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8. ごほうび

 

 それから数週間後、学校内で事件が起きた。

 甲高い悲鳴を聞いて、階段の付近に生徒たちが集まってきた。


 階段の下では、女子生徒がしゃがみ込んでいる。セディアスの浮気相手であるジョゼだった。その近くには男子生徒が二人いた。一人はジョゼと同じ平民出身の男子生徒で、もう一人はセディアスであった。


 ジョゼが近くにいた男子生徒に被害を訴えた。

「この人が私を突き落としたの!」

 ジョゼが指し示した先は、セディアスだった。

「なにを」

 セディアスは驚きで目を見張った。

「私に飽きて、目障りになったからって……ひどい!」

 ジョゼは男子生徒に泣きついた。男子生徒は跪いてジョゼの背中を優しくさすってから、冷たい目でセディアスを見上げた。


「だから言ったんだ。貴族様に弄ばれているだけだって」

 ジョゼは全身を床に打ち付けたようで、身体の痛みを訴えていた。徐々に野次馬が増えて、こそこそと会話を交わす。


「ねぇ、なにがあったの?」

「ほら、前にセディアスさんが浮気していたっていう彼女と……」

「え、じゃああっちの男子は?」

「弄んだって…本当かしら」

 口伝えに良からぬ話が広がり、セディアスの立場が悪くなっていく。


「でたらめを言うな!」

 セディアスがカッとなってジョゼを怒鳴りつける。ジョゼがびくりとして肩を揺らす。ジョゼを庇う男子生徒の目つきが鋭くなり、険悪な雰囲気が広がった。ネフェリアはギャラリーに混じって、冷めた目でその様子を静観した。


 ほどなくして騒ぎを聞きつけた教師がやってきた。ジョゼは男子生徒の肩を借りて、保健室に連れて行かれた。

 その後、セディアスとジョゼは教師陣から聴取され、しばらく自宅謹慎となった。


 ***



「助かったけれど、ベルゼもなかなか陰湿な真似をするわねぇ」

 ネフェリアはいつもの校内の庭のベンチに腰かけて、隣に座るベルゼに笑いかけた。


 ネフェリアがベルゼに依頼したことは浮気の証拠を集めることと、ネフェリアの悪い評判を払拭することだけだった。

「二人とも、ご主人様を悪者に仕立て上げることに固執していたから。そこから逃れようとすると、どうしてもね……」

 セディアスとジョゼはやたらとネフェリアを目の敵にしていた。悪い噂を打ち消そうとしても、ネフェリアへの印象操作をやめることはなかった。ならばと、新たに演者を仕立てて、関係をかき乱すことを実行した。

 ベルゼはジョゼに新しい男をあてがった。階段下でジョゼに付き添っていた男子生徒である。もともとその男子はジョゼに気があったらしい。そこでベルゼは一般の生徒に扮して、「ジョゼを弄んでいる」と、セディアスの悪い評判を男子生徒に吹き込んだ。ジョゼの方にもセディアスに対して不審を抱くよう誘導したとのことだった。


 実際にジョゼを突き落としたかどうかはわからなかったが、セディアスの失態のおかげで、父の説得が上手くいった。近々、セディアス側の有責で婚約を破棄することが決まっている。



「意外な才能を見たわ」

 あまり気は進まなかったけど、と言いつつベルゼはどこか楽しそうだった。

「こういった工作は俺よりもっと上手いやつが故郷(くに)にいたよ」

「……」

 ベルゼの祖国のことを少し調べた。天竜の住まう山脈を越えた先にあり、国交もなく交流が乏しいので詳細な情報までは入ってこないが、わかったことはある。山向こうの国々は頻繁に戦争を繰り返しているらしい。孤児で魔術の才能があるとなれば、ベルゼは最前線に放り出された可能性が高い。身内に騎士団勤めの者がいて、そういった内情を聞かされたことがある。ベルゼの祖国も似たり寄ったりではないだろうか。

 なんとも言えず、視線を足元に落とした。



「この件はひと段落しそうだし、早くご褒美が欲しいんだけど」

 呑気な口調でベルゼは組んでいた足を伸ばした。

 ベルゼはこのところ顔色も良く、伏せることも少ない。ネフェリアの能力が功を奏している。身体に刻まれた、呪いの大元である呪印の経過をまた見せてもらったが、少し薄くなっていた。当然、今度は触ることはしなかった。



 ネフェリアはベンチの上に置いた籠を引き寄せ、祈りを捧げた後、蓋を開けた。中には彩り豊かなサンドイッチが綺麗に並んでいる。肉も魚も食べたいというベルゼの贅沢な要望に応えた。滑らかで酸味のあるソースをかけた白身魚のフライを挟んだサンドイッチや、甘辛く味付けた鶏肉と卵を挟んだボリュームのあるサンドイッチも作った。


(我ながら、よくできているわ)

 ネフェリアはひとり満足げに頷いて、魚と葉野菜を挟んだサンドイッチを手に取った。

「じゃあ、はい。あーん」

「うざ…」

 ベルゼはネフェリアに冷ややかな視線を向けた。ネフェリア直々に食べさせてあげようというのに、なんという言い草か。ネフェリアは差し出した手を引っ込めて、不機嫌に自分の口に運んだ。衣のサクサクとした歯応えがあって美味しい。あっという間にそれを食べ終えた。隣を見るとちょうどベルゼもひとつ食べ終えたところだった。ネフェリアにちょっとした出来心が芽生える。


「……やっぱり、食べさせてあげる」

 ベルゼは籠から二つ目のサンドイッチを取り出そうとしていた手を止めた。

「はぁ? なに言ってるの」

「拒まないで」

 ベルゼに拒絶されたくない。ネフェリアはもう、どうしてそう思うのか自覚している。ネフェリアは籠から新たにサンドイッチを取り出した。

 ネフェリアの提案にベルゼが籠から手を離して、居住まいを正した。

「…ご主人様のご命令とあらば謹んで」

 眉間に皺を寄せたまま、ベルゼは憮然として承諾した。

「いいえ」

 ネフェリアは首を振った。強要はしたくない。

「命令じゃないわ。『お願い』よ?」

「それは……」

 ベルゼが呆れて言葉を失くす。それから抗議の声を上げた。


「余計に性質(たち)が悪くない? 断ったらねちねち文句言われそうだし」

「……っ」

 サンドイッチを持つ手に力が籠る。まずい。このままでは具を破壊しかねない。頼み方を少し変えてみることにした。上目遣いにベルゼを見た。


「……どうしても、いや?」

「あのね……」

 辟易とするベルゼの顔を見続けるのも辛い。本当に嫌がっているのがわかる。


「……一回だけだよ」

 やがてベルゼが根負けして、溜息を吐いた。内心「勝った!」と思った。


 籠を挟んでお互い向き合う。おずおずとサンドイッチを差し出した。

「……はい」

 不機嫌なベルゼの顔が無言のまま近付く。

「っ」

 ベルゼの唇が指に触れそうになり、思わず手を引っ込めた。

「ご主人様?」

 食べ物にありつけず、ベルゼの声色に怒りが滲む。腕を掴まれて、固定された。


「べ、ベルゼ」

 気恥ずかしくなり、ぎゅっと目を閉じた。気配が近付く。一口食べたところで、ベルゼはネフェリアの手から残りを取り上げた。


「恥ずかしくなるくらいなら、やらなければいいのに」

「だって……」

 巷で流行っている、恋人同士の真似事を試してみたかった。ほかのだれでもないベルゼと。

 顔が熱い。下を向いてパタパタと両手で顔を扇いだが、まったく効果はなかった。


「俺だって恥ずかしいよ」

「うう……」

 顔を上げることができない。ベルゼは冷たく念を押した。


「もうやらないからね」

「はい……」

 スカートを握りしめて、消え入るような声で頷いた。

 俯いたままのネフェリアは、同じくらい顔を赤くしたベルゼを見ることはなかった。


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