4. 旅芸人の一座
冷静に考えれば、キスが痛いものであるはずがない。
痛みを伴った理由について、ベルゼが解説した。
ベルゼ曰く、相反する属性を持ち、且つ魔力の相性が良くない二者の間に見られる、とても珍しい現象らしい。肌を接触した程度ではあまり現れないが、粘膜部分を合わせることによって刺激が強くなるらしい。反発したのはおそらくネフェリアの持つ光属性と、ベルゼの持つ闇属性だということだった。
ネフェリアは説明を聞いてショックを受けた。
(じゃあ、まともにキスもできないってこと?)
癒しの力を授かってから、ネフェリアは初めてその力を持ったことを後悔した。しかしネフェリアの癒しの力がなければベルゼは死んでいたのだ。それを思い出して、すぐに考えを改めた。
一方、二人の初めてのキスであったというのに、ベルゼは違うことに気を取られていた。
「話に聞いたことはあったけど、本当にあるんだね」
キラキラと目を輝かせるベルゼに、嫌な予感がした。
ネフェリアは、もう一度試したいと迫る魔術オタクの頬に思いきり平手を食らわせた。
**
翌朝。
二人は険悪な雰囲気のまま、宿を出た。昨日の実験以降、会話も最低限しかしていない。
集合場所の街の東口まで、無言で歩く。ベルゼはネフェリアの少し後ろを歩いていた。街の出口までやけに遠く感じる。
これまでも喧嘩は時折あった。喧嘩の際には、ネフェリアが一方的に怒って、ほとぼりが冷めた頃にベルゼが謝る、という一連の流れが恒例のパターンだった。
(今度こそは、謝ってきたって絶対に許してあげない)
ネフェリアはそう心に誓う。とはいっても、喧嘩のたびにネフェリアは同じことを思っていた。
(二人のファーストキスだったのに……。最っ低の魔術オタク!!)
心の中で思いきり相手を罵った。
一方、ベルゼは居心地の悪そうな顔で、とぼとぼとネフェリアの後をついていった。
集合場所に辿り着くと、ネフェリアたちのほかにも、一座に同行する者が数名ほどいた。行商や巡礼者のほか、学者風の人物もいる。ネフェリアたちは、魔道具の修復師を名乗り、その肩書で関所に提出する身分証を持っていた。もちろん偽造である。書類の偽造などはベルゼに任せきりであった。
荷馬車が二台、街の門の前に停まっていた。その近くにいた若い女性が、ネフェリアたちに気付き、近づいてきた。
「先日占いに来てくれた子ね。その後、調子はどう?」
知らない相手に馴れ馴れしく声をかけられたネフェリアは一瞬体を強張らせて身構えた。しかし、その声に聞き覚えがあった。ネフェリアはまじまじと相手の顔を確認して、あ、と声を上げた。
「ひょっとして広場にいた占い師さん? でも、髪の色が…」
ネフェリアが会った占い師は流れるような黒髪だった。今、目の前にいる女性の髪は明るい金髪である。長い髪をひとつにまとめて結い上げていた。
「占いをするときは鬘を被っているの。黒い髪のほうが、それっぽい雰囲気が出るのよ」
「神秘的な?」
「そう」
占い師は悪戯っぽく、ふふ、と微笑んだ。
「占い屋の屋号は『クロウ』だけど、私の名前はエステルというの。普段はレーツェル座で弾き語りをしているわ。道中よろしくね」
多くの客がいて、しかもベール越しであったのにネフェリアを覚えていた。商売柄、人の顔を覚えるのは得意だという。
「私はネフェリア。こっちはベルゼよ」
それから二人は座長にも挨拶した。街を囲う防壁に寄りかかって出発を待つ。しばらく門の出入りをそれとなく眺める。
一昨日の話題を思い出し、ネフェリアはふと気になって空を見上げた。天竜の様子を確認しようと、遠く離れたルプティア山脈を望む。しかし、ぶ厚い雲が山頂付近にかかっていて姿は見えなかった。隣を見ると、ベルゼも無表情で山脈の方角を眺めていた。
「まだひとり、合流する手筈になっている。申し訳ないが、もう少し待っていてくれ」
座長は同行者たちにそう説明したが、待ち人はなかなか現れなかった。あとから追いつくだろうと、一行はゆっくりとしたペースで国境に向かうことになった。
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道中の力仕事は、主に男性陣に割り振られている。
一日目の夕方は早めに野営の準備に入った。山の中に少し開けた場所があって、そこに皆で天幕を張った。近くには川も流れている。往来する者が多いため、竈が設置されていた。ファマの街が管理しているという。
ネフェリアは一座の女性たちと一緒に、夕飯を作ることになった。軽く自己紹介をしたあと、当たり障りのない雑談を交わしながら、野外で分担して調理を進めた。二十数人分を四、五人ほどで作る。量が多いので食材を切る作業は一苦労である。
調理をしている最中、ネフェリアは意識して魔力の出力を制限した。癒しの力について、人に知られないためである。魔力を制限することで、何の効果も表れない料理を作ることが可能になった。
こういった魔力の操作も、出奔前にベルゼに課された条件のひとつである。
ネフェリアは鍋に食材と水を入れて沸騰するのを待った。待っているあいだ、過酷な修行の日々を思い出してげんなりとした。冷徹で私情を交えない厳格なベルゼの指導に、何度も泣き言を漏らした。実家の家庭教師や学校の教師よりよほど厳しかった。思わず溜息が口をついて出た。しばらくして沸騰した鍋の灰汁を取り、味付けをしていく。
「ネフェリア。なにかあった?」
いつのまにか、エステルが近くにいてネフェリアの顔を覗き込んでいた。
「いいえ。ちょっと考え事をしていただけ」
そう、とエステルが瞬きをした。長い睫に縁取られた蒼い瞳が神秘的な輝きを放っていた。
「あなたの連れのベルゼ、と言ったかしら。二人ともお互いに全然喋らないけど、いつもそうなの?」
「……今は喧嘩中なの」
「あら……」
それを聞いて、周りにいたほかの女性たちが、興味津々で二人の話題に乗ってくる。わいわいと詰め寄られて、二人の喧嘩の理由を聞き出されることになった。
最初は言葉を濁していたが、やがてネフェリアは理由について渋々と話をした。
「私とのキスより、別のことに夢中になっていたから、彼の顔を引っぱたいてやったのよ」
まぁ、と女性陣からベルゼに対して非難の声が上がった。
「それは最低ね」
「ひどいわね。アタシだったらグーで殴ってるわ」
女性たちは口々にベルゼを非難する。寄せられる共感の声にネフェリアは気を良くした。
「好きなことに夢中になるのはいいんだけど、そこはやっぱり、私を優先してほしかったわ」
「うんうん」
「私もさ~。このあいだ、彼と二人きりのときに……」
話題はあちらこちらへと移り、取り留めのない話が続く。時には際どい話題で盛り上がった。
ネフェリア以外の女性は、全員一座の座員だった。レーツェル座には、座員同士で結婚した者や、恋人同士の者、ランドール王都に所帯を持っている者がいた。
ネフェリアは平民になり王都を出てから、ベルゼ以外の人間と接点を持つことがあまりなかった。ネフェリアは新鮮な気持ちで興味深く皆の話に聞き入った。




