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5. エステルの唄


「ネフェリアは所作がとても優雅で上品よね。ひょっとして、貴族の出?」

 座員の女性のひとりが、ネフェリアに話しかけた。おっとりとした見た目で、年はネフェリアとそう変わらないようだった。

「いいえ。商家の出で、一時期貴族の屋敷にメイドとして奉公していたの」

 内心ひやひやしながら、ネフェリアはあらかじめベルゼとの打ち合わせで決めていたことを話した。


「ああ、なるほどねぇ。裕福な商家が娘に箔を付けるために、貴族の家で働かせるって聞いたことがあるわ」

「でも今は商家ではないのよね?」

 お互いの安全のため、出発前に一座に身分証を示している。


「親に薦められた縁談が嫌で、か、駆け落ちしたの」

 あまり事実とかけ離れた話を作ると、ボロが出る恐れがある。虚実を織り交ぜた設定をベルゼが考えていた。

「え~! 連れの人…ベルゼさんだっけ? そんなに情熱的なタイプには見えなかったわ」

「どっちから迫ったの? 彼? それともネフェリア?」

 よってたかって、女性たちがネフェリアに迫る。ネフェリアは返事に窮した。これ以上何か言うと、本当にぼろが出そうだった。


(駆け落ちは本当だけど……。嘘を続けるのは苦手だわ)

 ベルゼもネフェリアの演技が上手くないことは知っているので、あまり無茶をしないようにと釘を刺していた。


 女性陣のなかでは一番年嵩のシャンティが、皆の追及を遮る。シャンティは座員女性たちのまとめ役を担っていた。

「あまり人の事情に首を突っ込まないの。あと皆、作業の手が滞っているよ」

 シャンティの一言で、集まっていた女性たちが霧散する。各々仕事に戻った。


**


 テーブルの設置はすでに男性たちが済ませていた。完成した料理を手分けして運ぶ。そこから調理器具の片付けをする者と皿を取り出して配膳をする者とに分かれる。


 ネフェリアがカトラリーを準備していると、座員の男性のひとりが、忙しく動くネフェリアの隣にぴたりと陣取った。

「きみはどこから来たんだ?」

 パフォーマーだというその男性は、名をジオといった。爽やかな風貌に均整の取れた体つきをしていた。

「グーヴニル王都よ」

(近い……)

 今にも肩が触れそうで、ネフェリアはジオに不快感を覚えた。

「へぇ~。あそこからここまでって結構遠いだろ」

「まぁね」

 ジオは手伝いを口実にして、やたらとネフェリアとの距離を詰めてきた。

「今、としはいくつ?」

「……」

 ベルゼがネフェリアにかけた認識阻害の魔術のおかげで、容姿は地味に見えるはずである。学校にいた頃のように、ネフェリアの美貌に惹かれて男性が寄ってくることはないはずだった。しかし、このジオからは明確に下心を感じた。

(連れがいるって知っているはずだけど。どういう神経してるの?)

 唐突に他人に年齢を聞くのも礼を欠いている。

 少し離れた場所にいたベルゼが、何食わぬ顔でネフェリアに声をかけた。

「ネフェル。こっちのお皿は何に使うの?」

「ああ、それはね……」

 ネフェリアはその男性に軽く会釈をして、ベルゼのほうに小走りで駆け寄る。

「ベルゼ。ありがとう」

「うん」

 ベルゼが訳知り顔で頷いた。ジオはベルゼのほうを軽く睨んで、その場を離れていった。


「せっかく認識阻害の術をかけてもらっているのに。こういうこと、結構あるわよね……」

 ネフェリアは小声で愚痴を吐いた。

「ネフェルは立ち振る舞いが綺麗だからね。美人に見えなくても人を寄せ付けるよ」

「急に褒めるじゃない」

 ネフェリアは気恥ずかしくなって、俯いた。

「私の容姿のことだって、今まで何も言わなかったくせに」

 常々、不満に感じていたことを零す。

 ベルゼは余った肉と野菜を挟んだパンを皿によそって、ネフェリアに手渡す。ネフェリアは皿を受け取ったが、ベルゼが離さないため動かせない。不思議に思い隣を見上げると、真摯な瞳と目が合った。


「初めて会ったときから、ずっと綺麗だと思ってるよ」

「………初耳なんだけど」

「そうだっけ」

 ベルゼは皿から手を離した。

「そういう大事なことは、もっと早めに言うべきだわ」

「言っても怒ったんじゃないかな」

 怒るわけがないと言おうとして、気付いた。ベルゼが言っているのは、女神の力に覚醒する前のネフェリアのことだろう。あの頃のネフェリアはベルゼを邪険に扱っていた。


「……恋人になる前の私にじゃなく、なった後の私に言いなさいという話よ?」

 つんと顔を背けて、ネフェリアは唇を尖らせた。じわりと胸に滲んだ罪悪感に蓋をした。

 ベルゼはふいに神妙な顔つきになって、声を沈ませた。

「ネフェル。昨日はごめんね」

「……」

「まだ怒ってる?」

「…もういいわよ」


 デリカシーがないだとか、度を越えた魔術オタクだとか、ベルゼの欠点を知ったうえで付き合っているのだ。ベルゼの胸元にはネフェリアがかつて贈った留め具が光っていた。ベルゼの服は旅に出るにあたって、新調している。昔着ていた、くたびれたローブは、ベルゼが捨てようとしていたのをネフェリアが引き取った。今は旅道具の袋の底に、表面の削れた留め具とともにしまってある。


「よかった。魔力の反発の対処については考えておくから、また仕切り直しさせてほしい」

 ベルゼの瞳が細められる。いつも浮かべている薄っぺらな笑みではない。ネフェリアを見る視線に微かに熱が含まれていた。

「え、あ……。う、うん」

 キスのことを言っているのだと理解した。ネフェリアは動揺して熱くなった顔を俯けた。そのまま、テーブルに皿を並べた後、カトラリーを並べていった。


「あと、さっきの人がネフェルに近寄らないようにしておくね」

 ベルゼが小声でネフェリアを窺う。

 ネフェリアはベルゼが魔術を使って対処するのだと理解した。ネフェリアは横目で別の解決案を示した。

「そこまでしなくても……牽制したらいいんじゃないの? その、たとえば…」

(『俺の女だ』って、主張したり)

 貴族だった頃、恋愛小説や劇でよく見た展開である。ネフェリアは当時からそういった場面に憧れを持っていた。友人のロイナとは、互いにその感想を言い合って、盛り上がったものである。期待を込めてベルゼを見つめた。


「ああいう手合いは、牽制すると逆に燃え上がることが多いんだよ。俺の容姿だと舐められるし、魔術を使うのが一番平和で効果的だよ」

「……」

(本人の(あずか)り知らぬところで魔術を行使しているのは、平和的でなく物騒だと思うけれど)

 ベルゼがネフェリアの望むような、わかりやすい嫉妬をするはずがなかった。ずれたベルゼの感覚にいまいち付いていけず、小さく溜息を零す。


 ふとロイナのことを思い出して、懐かしくなった。手紙を出すことはかなわない。ネフェリアの生存を実家に知られると厄介なことになる。ネフェリアはもう会うことはない友人を想って、郷愁に駆られた。


**


 夜は男性と女性に分かれて、それぞれ天幕で休息をとる。

 夕飯の片付けを終えても就寝時間には少し早かったため、人々は火を囲んで雑談をしていた。座員の一部は芸の練習をしたり、道具を手入れしたりしていた。

 これから先は道が狭くなって険しくなる。今夜のようにのんびりとできそうにない。皆この時間を満喫していた。


「羽振りがいいよね」

 ベルゼの呟きにネフェリアは頷いた。一座が荷馬車に持ち運んでいる食料も豊富で驚いた。初日だけとのことだが、傷みやすい食材も用意していた。

 一座から同行者たちに少しだけ酒が振る舞われる。座員達も飲んで楽しんでいた。一方でネフェリアたちは辞退した。

 エステルが弦楽器を取り出し、弦を弾く。雑談をしていた人々はその素朴で澄んだ音色に視線を向けた。白い指先が弦を爪弾き、鮮やかな朱を引いた唇が唄を吟じ始めた。


 北方に日々他国との戦争を繰り広げる国があった。その国の王子は武勇の誉れ高く、雷と風の魔術を自在に操った。厚い信頼を寄せる部下とともに戦場を渡り歩き、数々の武勲を立てた。しかしあるとき、悲劇が起こる。一人の魔術師により、国王とその一族が一夜のうちに命を絶たれたのだ。ただ一人残された王子は勇敢にもその邪悪な魔術師を討ち倒し、国を継いで新たな王となった。

 それから周囲の国々を次々と平定し、ともに戦ってきた部下たちと協力しながら、荒れた大地に少しずつ平和を取り戻している。

 聡明で勇猛な王と、その王に付き従う部下たちを巡る救国譚だった。


 ネフェリアは目を閉じて弦の音色に耳を傾けた。朗々としたエステルの語りが耳に心地よい。

 ふと目を開けて隣を見ると、ベルゼが真剣な眼差しで聴き入っていた。

 唄が終わったところで、ベルゼはエステルに歩み寄った。

「エステル。さっきの唄に続きはある?」

「……いいえ」

 エステルは薄く笑みを浮かべたまま、首を左右に振った。

「エステルの唄が気になったの?」

「ああ、うん。ちょっと」

 ベルゼの歯切れが悪い。珍しく思えた。


 エステルは二人を交互に見比べて、微笑んだ。

「ふふ。仲直りしたの?」

「ええ。お騒がせしました」

「まったく迷惑はかけられていないけど、仲直りしたのはよかったわ」

 焚き火の周りには、雑談をしている人々がまだ残っていた。座長が声をかけて、夜の見張りの当番以外は寝床に移り始めた。


(確か、ジオという名前だったわね)

 テントに移ろうとして歩き出した時、ネフェリアに粉をかけてきた男性と目が合った。ジオはすぐに目を逸らした。ネフェリアに対して、すっかり興味を失くしたようだった。


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