3. 実験と口実
*キス描写を含みます
出発前日。
宿の厨房には、ベルゼとネフェリアの姿があった。
厨房の真ん中にあるテーブルの上には、皿に盛られた料理がいくつか並べてあった。調理場の器具を借りて、ネフェリアが作ったものである。宿の主人の許可は得てあった。
これまで色々な料理を作り、ベルゼの呪いの解除を試みてきた。しかし最近は呪いの浄化について、際立った進展がなかった。あるときから、呪印が薄まらず、消えなくなったのである。二人はこの問題に行き詰っていた。呪印はまだベルゼの背中半分ほどの面積を占めている。
テーブルを前にベルゼが腕を組んで考え込む。
「効能を表す数値はどれも高いんだよね……。もうこれ以上は効果がないのか。それとも、次に効果が出るまで、継続的な摂取が必要なのか」
言いながら、手前に置かれた魔道具に記された数値を眺めていた。
「ベルゼ。あの…」
ネフェリアは左右の指先を合わせて、落ち着きなく視線をさまよわせた。そして唇を固く結んでからキッと顔を真っ直ぐに上げて、ベルゼに意見を申し出た。
「き…口付けは、効かないのかしら」
ベルゼは隣にいるネフェリアを一瞥した。
「ほとんど効かないんじゃないかな。以前、ネフェルの飲みかけを摂取したときの数値も良くなかった。料理の工程が多いほど効果があるってことは、魔力を少しずつ素材に練り込んでいる状態なんだよ。体の接触だけじゃ効果は期待できない」
魔術には術式を練って人体から直接発動させる方法と、素材を介して効力を発揮させる方法がある。ネフェリアの能力は料理もそうだが、魔道具作りにも向いているとのことだった。
「ネフェルは魔力を出力するためのゲートが狭い。一度に大きな効果を発揮しようとすると、そのぶん魔力を練り込む工程が必要になる。とはいえ魔力の全体量が少ないから、そのほうが魔力切れになりにくくていいんだけど」
ネフェリアの思惑から話が逸れていく。ネフェリアは慌てて軌道修正を試みた。
「で、でも、色々と実践してみて、新しくわかることもあるんじゃないかしら」
ネフェリアはもじもじとして左右の指先を合わせたまま、ベルゼを上目遣いに見た。
「……」
束の間、沈黙が下りた。
「ひょっとして、キスしたいの?」
「……」
ベルゼの指摘に、ボッと顔に熱が集中する。
デリカシーの欠片もないベルゼの言動を、ネフェリアは鋭い視線で咎めた。
「えっ」
ベルゼは自ら言い出したにもかかわらず、ネフェリアの反応に目を丸くして狼狽えた。
ネフェリアは焦りながらベルゼに背を向けた。
「勘違いしないで」
ネフェリアから接触禁止を言い渡した手前、自らそれを破るようなことは言い出しにくい。なかなか素直になれずに、ネフェリアは遠回りを続けた。
「最近、呪いの浄化の進行が鈍っているじゃない。これは行き詰まった現状を打開しようという試みなのよ」
「はぁ……」
ベルゼが気の抜けた返事をする。
本当は解呪だけでなく、行き詰まったネフェリアの気持ちをどうにかしたいという気持ちもあった。しかし迷いもある。
(これがファーストキスでいいのかしら)
そういえばと、以前にファーストキスをジョゼにあげたことをネフェリアは思い出した。まさか、元婚約者の浮気相手にファーストキスを捧げる羽目になるとは夢にも思わなかった。しかし、当時は緊急事態だったのだ。ネフェリアはそれをカウントしないことに決めた。
無理矢理気持ちにケリをつけて、よし、とネフェリアは意気込んだ。くるりと体を反転する。
「じゃあ、試してみましょう」
そう言って、頬に熱を保ったままベルゼの前に両手を広げた。ベルゼはネフェリアの勢いに唖然としていたが、すぐに我に返って表情を硬くした。
一歩踏み出してベルゼがネフェリアと距離を詰める。ベルゼは腕を伸ばして静かにネフェリアの頬に触れた。灰色の瞳がはっきりとネフェリアを映していた。
「ネフェル」
「……ベルゼ」
ベルゼの声音がいつになく甘い。呼び返したネフェリアの声が上擦った。実験を口実にした触れ合いだと、互いにわかっている。
ベルゼの顔が近づいてきて、ネフェリアはドキドキしながら目を閉じた。
互いの唇が触れた直後、ピリッとした痛みがネフェリアの口元に走った。閉じていた目を開ける。
(静電気?)
ベルゼも驚いた顔をして唇を離した。
「……」
ベルゼが思案するように口元を手で覆う。それから何かに気付いたようにハッとして、再びネフェリアと唇を重ねた。
「んん!?」
先ほどより深く重なってネフェリアは動揺した。一度目と同じく痛みを感じて、身じろぐ。それには構わずベルゼが無遠慮に舌を挿し入れる。歯列を割って入った舌が口内を弄った。体を引こうとしたネフェリアをベルゼの手が捉えて、引き寄せた。静電気が強くなって、ビリビリとした痛みがネフェリアの顔全体に走る。痛いうえに、息継ぎできなくて苦しい。後頭部や腰に手を回されていて身動きがとれない。抗議の意味を込めて拳で、どん、とベルゼの背中を叩いた。ベルゼの唇がようやく離れて、ネフェリアは息を吸い込んだ。
「痛い!」
解放され、開口一番に怒りの声を上げた。
「…………反発した」
ネフェリアの怒りをよそに、ベルゼは呆然としていた。
「……知らなかった」
ネフェリアは片手で口元を抑え、はぁ、と吐息を漏らした。ネフェリアの手がベルゼのローブを強く掴んで、深い皺を刻んだ。
「キスって……痛いものなのね」
「……絶対に違うから」
ベルゼはネフェリアの言を、呆れた表情で否定した。




