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18. あなたといたい -ネフェリアside-


 精神に干渉する魔術の使い手など、とてもネフェリアの手に負える代物ではない。ベルゼは呪いに罹り、遠からず死ぬはずだった。その運命をネフェリアが捻じ曲げてしまった。それは果たして正しかったのだろうか。あのとき、路地裏で拾ったのは間違いではなかったか。ただでさえ、ネフェリアは重大な秘密を抱えているというのに。身の丈に合わないことを抱え込み過ぎてしまった。


 そう改めて理解して、打ちのめされ、恐怖して後ずさった。逃げようとした。けれど。


 ベルゼに名前を呼ばれた途端、胸が締め付けられた。諦めきった眼差しに、心底腹が立って、いともたやすく絡めとられた。

 ベルゼの腕の中にいると不安が和らぐ。ふわふわと高揚した感覚はあったが、不思議と気分は落ち着いてきて、ネフェリアは閉じていた目を開いた。

「助けに来てくれてありがとう」

 少し体を離して、ベルゼと向き合った。

 まだ顔が熱いネフェリアとは対照的に、ベルゼは平然として見えて、癪に障る。明らかにベルゼが動揺しているときに顔を覗けばよかったと後悔した。

「ご主人様専属だからね。呼ばれればどこにでも行くよ」


 ベルゼの言葉に、ふと暗い思いが頭をもたげる。少し逡巡してから、口を開く。

「……でも」

 ネフェリアは、夢の中で未来を見たときからずっと心の奥底に抱えていた不満を零した。

「でも、肝心なときに来なかったじゃない」

「?」

 未来のネフェリアは婚約者の浮気相手を虐げたという、ありもしない罪によって裁かれた。

「どんなに呼んでも、叫んでも怒っても……泣いても」

 縋るようにベルゼの袖の端を掴んだ。

 現実のような、未来の疑似体験の感情が甦った。断罪の場で、ネフェリアは激しく取り乱した。友人も、家族すら皆、ネフェリアから離れていった。だれからも見放された。唯一最後に縋りついた先で絶望を突き付けられた。


「あなたは来なかった」

 断定的に告げてからハッとした。ベルゼが不可解な表情でネフェリアを見下ろしていた。いたたまれずに目を逸らし、夢の中の話よ、と誤魔化した。少し先の未来のことだと言ったところで信じはしないだろう。


 恨み言など、八つ当たりだとは自覚していた。今のベルゼが未来のことを知る由はない。それに、未来のネフェリアは随分とベルゼを酷使していた。あの調子では見限られるのも無理はないと思えた。


 ふーん、と軽い相槌を打ちながら、ベルゼは神妙な面持ちで考える素振りを見せた。

 そうして、彼なりの推測を口にした。

「だとしたら、もう死んでいたんだろうね」

「…………」

 ベルゼは真摯な口調で、ネフェリアの疑問に応えた。ネフェリアの主張を夢の中の話だと否定することも、適当にあしらうこともしなかった。

 いつもは何事もいい加減なくせに、妙なところでネフェリアの機微に聡く反応する。本当は、なにか察しているのかもしれない。

(ああ、こういうところが……)

 ネフェリアが掴んだ袖をそっと外して、ベルゼがネフェリアと距離を取る。安心させるために、ネフェリアの両肩に手を置いた。

 それからベルゼが離れた場所に落ちた箱のもとへ歩いていく。屈んで無惨に潰れて落ちたケーキの箱を拾い上げる。箱に付いたケーキの欠片を掬ってぺろりと舐めた。美味しいと、満足そうに微笑んだ。



「……そう……でしょうね。本当ならあなたの命は……」

 ネフェリアの肯定に、ベルゼは笑みを消して目を細めた。

「知ってたんだ。俺の余命のこと、ご主人様に話した覚えはないんだけどな」

 ネフェリアは曖昧に首を振って追及を逃れた。

 自分の命にすら頓着しない、淡々とした様子に悲しくなった。



 本当は、わかっていたことだ。

 未来で、ベルゼはネフェリアを裏切ったわけではなかった。


 夢の中だからこそ、ベルゼの凄惨な最期が知れた。女神はネフェリアに残酷で優しい真実を見せた。だれも訪れることのない屋敷の地下室でベルゼはただ一人死んでいた。体の肉が腐り落ちて骨だけになっていた。急に死が訪れたわけではない。

 日に日に弱っていく体を魔術で騙し騙し動かして、ネフェリアの前では何でもないように振る舞っていただけだった。今は、呪印はだいぶ薄れている。少しは楽になっているだろうか。死は遠ざかっているだろうか。


 未来で断罪されて修道院に送られる道中、賊に襲われた。ベルゼが最後にくれたお守りがネフェリアを救った。


 あなただけは私を裏切らなかった。


 そのことが希望となって冷え切っていたネフェリアの心を温かく灯した。


 無事修道院に辿り着いたあとは、毎日女神に祈りを捧げ、奉仕した。三十歳を超えた頃、流行り病に罹りあっという間に天に召された。それが予知で見た、己の最期だった。



「せっかく、ベルゼのために作ったのに…」

 ネフェリアもベルゼの後を追って、隣に屈みこむ。箱の中を覗くとケーキは無惨な姿になっていた。セディアスとのいざこざの際に犠牲となったらしい。


「崩れてるけど、十分食べられるよ」

「形も装飾もうんとこだわったの」

 ケーキ職人直々に教わって完成させた傑作であった。


「…ねぇ、ベルゼ。私の作ったもの、毎日食べたい?」

「うん」

 ベルゼが横を向いたまま素直に頷く。

 気付いているのか、いないのか。ベルゼの耳が赤いので、さすがに気付いていると思いたい。

「じゃあ、これからも、あなたのためにだけ作るわ」

 そして必ず呪いを解いてみせる。


 言葉にできない想いを込めて、ベルゼの手を取った。

 ベルゼの瞳が揺れる。

 以前はやせ細っていた腕も随分と逞しくなった。

 奔放で気ままな性格だが意外にも義理堅い魔術師は、たった一度のネフェリアの気まぐれを大事に抱えて、恩に報いるために未来で残りの命を捧げた。

(あなたの献身に報いたいの)


「……その対価は?」

 ネフェリアが瞬きをして顔を上げると、ベルゼは胡乱な目つきでネフェリアを注意深く見ていた。どんな無茶な要求を突き付けられるのかと、戦々恐々としている。

「……」

(いや……そこは普通、もっと違う反応をするでしょう……)

 ネフェリアの好意を信じていないのか、人間性を信用していないのか。いずれにしろ悲しくなると同時に、沸々と怒りが沸き上がってきた。

「はあぁ……」

 深く溜息を吐き、少し間を置いてから、ネフェリアは誰もが見惚れる美貌で微笑んだ。よく耐えたわ、とネフェリアは心の中で自身を労った。もともと短気で我儘な性格なのだ。今まで大した癇癪も起こさず、デリカシーの欠片もない男とよく向き合った。


 それから躊躇なくベルゼの手の甲を捻り上げた。



こちらで第1部終了です。ここまで読んで下さりありがとうございました。

6~7月中には第二部の投稿を始めたいと思っています。引き続きお付き合い頂けると嬉しいです。

また、気に入って頂けましたら評価やブクマ、リアクションを頂けると創作の励みになります。

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