29・領主と連邦の諜報員
帝国と共和国の関係は、お互い利用しあっているという良好な関係にある。
それというのも戦後、共和国と露骨に対立する大国として、連邦が力を増していたからだった。
連邦の創立時の理念は、資本家ではなく労働者のための国を作ろう、というある種まっとうなもので、とはいえ国家にはそれを維持し、対立する者と戦うための組織が必要だったから、しだいに特定個人の指導者と、それを維持する組織になっていった。
つまり、国のありかたとしては穴熊戦法かな、将棋はよく知らないけど。
共和国は資本家と民主主義の国だから、みんなが豊かになればあとは指導者は雑でもいいや、ぐらいの、あまり正義とか悪とか言ってるとしんどいしー、みたいな、ゆるい複数の、おれがこの国をなんとかしてやる、というほどの理想や信念を持たない指導者、というより経営者によって運営されていた。
というより、小さな組織ならともかく、国家的レベルになると、共和国の指導者はあまり権限がなくなるため、なり手はどんどん減っていったり、固定化したりしていった。
ひとことで言うなら、連邦およびそれに従う国々と、共和国およびそれと共にうまく金を回そうと思っている国々とは仲が悪かった。
本格的に両大国が武力行使しちゃったら、どっちも核兵器という名前の大量破壊兵器を持っているため、世界が滅亡してしまうことは双方理解していた。
だから、ちまちまと、中小国に対して軍事援助や経済援助をしたり、科学技術力・生産力で相手を抜こうという、地味ながら金のかかる活動をしていた。
そういうときに役に立つのは、相手の行動の予測や研究に対する知識をすばやく得て利用すること、つまり諜報活動である。
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役所の庶務課の若い職員は、定時に仕事を終えるといったん家に戻り、服を着替えて、忘れ物でもしたかのようにふたたびび職場に戻る。
そのときにたとえば黒い忍者のような、いかにも忍び込みますよー、といった服を着るという風な間抜けなやつではない。
領主の執務室の入口に鍵がかかっていることはめったになく、昼間にはいつも開けっぱなしの扉だけれども、夜中にはいちおう、鍵のかからないまま閉ざされている。
若い職員は、扉の開閉部の足元に髪の毛が一本張ってあるのを慎重にはずし、さらに手が届く高さのところに張られたもう一本の髪の毛にもちゃんと気づく。
領主の執務机にある机の引き出しは鍵を開けかけられており、その鍵の置いてある場所も職員は知っているので、それをつかってまずいちばん大きな引き出しを開ける。
中に入っていたがらくたや書類には用はないけれども、紙類は重たいのでいったん机の上に置く。
大きい引き出しの裏にあいていた小さな穴に筆記具を突っ込むと、二重になっていた底板が開き、「重要・領主専用」の印が押された薄い数枚の、閉じてある書類が見つかる。
これは職員幹部全員が見ることができる月例報告書の抜粋で、特に重要な部分には赤で印が付けられ、赤線が引かれ、さらにところどころに付箋が張られている。
職員はすばやく手持ちの撮影機で一枚一枚を撮ると、部屋を出ていく。
細かな分析は自宅でおこない、しかるべきところに報告するのである。
領主専用の書類には、たとえば穀物の備蓄に関しては、来年の凶作が予想されるという気象予報士の判断のほか、軍事関係の備蓄調達もそれに合わせて、どの程度増やすのかという風なことも手書きで書き込みがされている。
これらの情報は暗号化されたうえで連邦本部の情報担当官に送られて、さらなる分析がなされるのだった。
領主の領地は、面積としてはさほど大きいものではないけれども、戦時においては重要な物資の提供が、帝国中央部を通して共和国に求められる程度の規模であり、電子機器で守られている帝国の、本当の機密を直接入手するよりは、ほどほどに忍び込み盗み出しやすい保安度だった。
職員は連邦の諜報員であり、定期的に領主の執務室から、連邦に役立ちそうな機密情報を回している。
職員の職場偽名はイリヤと言い、翌日領主が執務室に入ると、その者により書類が盗み見られたことをしると安心する。
しかしいつも同じとこに書類を隠しておくといかんな、と思った領主は、二重底の裏蓋の裏に、さらに重要な書類は秘書官の机の中、というふうなことを書きおいていった。
職員が諜報員であることは、領主に限らず軍事大臣を含む閣僚級の人間はみんな知っていたけれども、職員を逮捕拘束あるいは領地追放などは誰も考えていない。
そのようなことをすると、もっと有能な諜報員が送られてくる可能性があるからである。
その職員はほどほどに有能であり、役に立つということも連邦の関係者には知られていたし、そんなに有能すぎないということも領地の関係者には知られていた。
領主は裏蓋のふちを手でさわり、底に残るかすかな匂いをかいだ。
どんなにごまかそうと思っても、苺系じゃむと紅茶のいい匂いは隠せないんだよなあ、と領主は思いながら、秘書官に自分もお茶を用意させ、柑橘類の皮を利用したじゃむを入れた。




