↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/6

第四章

 緋色《ひいろ》の炎が本能寺の天井を染めていた。

 丑三《うしみ》つ時、夜を裂くような火の光が闇を突き抜けた。


 杉本は本能寺の奥、庫裡へと続く通路を裸足で駆け抜けた。

 夜風が火と煙を運び、熱気が肌を襲った。


「明智……光秀……」

 その名を口にした途端、すべてが現実になってしまう気がして唇を噛み締めた。


 歴史が書物の中の伝承ではなく、今、目の前で起きている。叫び声や兵の怒号、弓の音、剣戟《けんげき》が響く中、杉本は小間を目指して走り続けた。


 宗久が教えてくれた場所――信長の私的な茶室。あの曜変天目茶碗が「信長の未来の眼」として秘蔵されている場所。

 火の粉が舞い、杉本のシャツに黒い焦げ跡がついた。


 煙にむせながら床を弄った。


「……あった!」


 畳の下、節目に沿って切られた細い溝。指先で押すと板が軽く浮き、小さな空間が現れた。


 その中に天目茶碗があった。黒い釉薬に浮かぶ星のような結晶。薄暗い中でも、青、紫、金、緑――多彩な輝きが茶碗の内に渦巻いていた。


「……信長の曜変、本当にある!」


 声が震えた。現存する三椀とは異なる誰も知らない幻の国宝。歴史の炎に焼かれ、その光を知る者はおらず、伝説だけが残された名品。


 杉本は茶碗を前に膝をついた。両手が震える。触れてはならないと分かっていながら、目を逸らせなかった。


「見たい……覗き見たい……」


 曜変の内側には、あの油膜のような虹色の光が渦巻いていた。深く、底知れない星空の世界へ、意識ごと引き込まれそうだった。


――吸い込まれる。


 気がつけば杉本の身体は傾き、手が茶碗へと伸びていた。意識も視界も、時間さえも――すべてが崩れていく。炎の音が遠ざかり、現実が剥がれ落ちていく。


 曜変の底に星々が流れ、その渦の中へ、闇の向こうへと引きずり込まれていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。