009 ♕ 初めての異文化
病院に迎えに来てくれた女性はキサキと名乗っているらしい。所謂、コードネームだろう。
こうして事務所での、というより、日ノ本国での生活が始まった。
もっとも医者曰く、ストレスから魔力が不安定になっているらしいので、週1でしばらくは通院することに。
その間に教わった内容は、この国は阿修羅帝国よりも全く異なる文化圏だということ。
覚悟はしていたとはいえ、衝撃的過ぎて時間が過ぎるのも異様に早かった。
まず、事務所内の水道を捻れば飲用も可能な水が出てくる。それはこの国では当たり前のことだという。
しかも、そんな綺麗な水を使用して、毎日シャワーを浴びて身体も綺麗に保つ必要があるという。
母国ではポイポイと、それこそ砂にさえ埋めてしまえばどこへ捨てても良かったモノだが。
この国のゴミは、燃えるゴミ、燃えないゴミ、リサイクル可能なモノは更に細分化して、固定の曜日、固定の時間までに、特定の場所へ持って行かなくてはならないという。
どうしてここまで完璧にしなければならないのか。
聞けば、それが綺麗な街並みや健康を保つために必要なことだという。
この国、特に東都近郊、この辺りの地域では風土病が広範囲に残っているらしく、多少のキズでもそこに病原菌が付着してしまうと、そこから壊死していく破傷風という恐ろしい病原菌があるという。キズは気付かず出来たニキビが潰れた痕の程度でも危険なので、毎日のシャワーは必須になったらしい。
また、それらの雑菌を増やす原因になるのがゴミであり、それを漁りにくる野生動物は拡大の要因となるため、少しでもゴミを減らす努力をしているらしい。だから回収する曜日や時間を固定化し、街中にゴミが散乱しないような政策を強いているのだとか。
外での交通ルールも、そもそもふらついていた時から細すぎる道や交差点の信号機が多い時点で驚いたが、歩行者が最優先ということには驚きを隠せなかった。
更に路上駐車は基本的に違反で、違反の点数を貯め過ぎると運転免許が取り消しになるとか。また自転車も登録が必須で、事故を起こせば罰金や厳罰が待っているという。
スーパーマーケットでの買い物も、代金を支払って商品を購入してから、わざわざ店外で開封することが常識なのだそう。すぐに使用する電池やビニール袋などは別らしいが、食品に関しては飲料であっても必ず店外で、とキサキにきつく注意された。
同様に、公共施設内でも飲食禁止を徹底している所が多かった。
というのも、店や施設内で飲食してしまうと、多少なりとも汚れが付着したり、食べこぼしが発生する。それらを避けるために、最低でも店外で、という文化らしい。
物品の場合は、会計前か会計済みか、傍から見ている他人には判断できないのと、会計前の商品は開封してはならない(開封したら厳罰らしい)ので、誤認を避けるためにも店外で開封するべきらしい。
もっとも、店外でも通行の妨げになるので良くはないが、せめて邪魔にならない(汚れても踏まれにくく広がりにくい)箇所で、という暗黙のルールがあるとか。
さらにバリアーこと結界にも種類があり、千波県は独自のルールが課されているらしい。
大まかには、千波県の大結界、各市の中結界、各施設・名家の屋敷結界、舟山の迷宮結界、各集落の妖結界など。(なお、もっと細かく分類されているらしいが、今はその認識で良いとのこと。)
住民や仕事などで招かれた場合は挨拶も確認も不要だが、招かれていない場合は結界主に挨拶をすること、又は事前に速達の手紙を出すことが基本となっているらしい。
キサキは特殊能力があれども低能力者で、検査しても魔力が無く一般人と大差がないらしい。
ただ、過去に自分の子育てをミスったから反省して今の役目を担っている、などと言っては、色んなことを教えてくれた。
そんなキサキが仕事で不在の時は、カオルが一緒に居てくれた。
そして日曜日だけは、同じくらいの年齢層が集まっている場所へ連れて行ってくれた。
そこは通称、青空教室。
廃校になったばかりの私立の中学校の校舎を利用して、ローズ先生とムラオカ博士がクイズ形式、実践形式で日ノ本国の文化やルールを教えてくれている、春限定のイベント。
参加できる条件は、舟山出身の未就学児であること。ほぼ妖怪だが、たまに悪魔族とのハーフが居たので、私が居ても浮くこともなかった。
そして毎週参加する必要が無い点でも、名前ではなく配布された番号で呼び合う点でも、仲良くなり過ぎないのでありがたかった。
きっと、同じ妖怪でも種族が異なれば、当然ながら集落も別なのだろう。以前、サムが名前だけで種族バレして口を利いてもらえないことがあった、他の種族のルールが厳しくて安易に会話を交わせない、と嘆いていたことがあったので、そのための対策だろうと思う。
ローズ先生は近隣の学校で教鞭をとっている本物の先生。
だから青空教室は日曜日しか開催できないことと、完全にボランティアだから金品は受け取らないことを毎回、最初に強調している。菓子折りも、全員に配布できないモノは受け取らないという徹底ぶり。
ちなみに、舟山出身のカオルもローズ先生から教わっていたようなので、母親に近しい存在と言っていた。なお、年齢は聞いてはいけないらしい。
ムラオカ博士は変わり者ではあるものの、基本的には子供が好きなおじさんだと思う。
当初は魔力暴走を起こしがちな子供や、逆に魔力があっても扱えない子供などの研究のために中学校を知り合いと共同で創立したものの、個性豊かな(性格上の)問題児ばかりが集まってしまい、さらに研究が捗らず、結果的に経営破綻をしてしまったらしい。
なお、ローズ先生に片思いしていた時期があるらしく(今は違うと否定しているけど)、さらにローズ先生の母親に、廃校に通っていた子供たちの転入先や資産的な後始末を任せてしまったため、後ろめたさがあるのだとか。
そんな2人による教室のおかげで、日ノ本語はだいたい理解できるようになった。
また、そんな私の様子からか、しばらくしてキサキが小槌市内の図書館へ連れて行ってくれるようになった。
そこは以前に私が利用していた図書館で、何故か阿修羅語の書籍も数多く置かれてある所。蔵書の種類も独特で、コミックや児童書は一切無い。
しかも聞けば、個人が経営する私設図書館だというのだから驚きを隠せなかった。
そこでは ミノル という、恐らく女の子と仲良くなった。
何せ受付よりも蔵書に詳しく、彼女に聞けば大体の本に辿り着けるから。たまに関連する本を持ってきてくれることもあったし、解らないことは聞けば彼女が何でも教えてくれた。
ただ、ミノルは身体が弱いらしく、たまに不在の日もあったが。
そんなミノルでも、青空教室には興味があったらしい。
知識は豊富でも、実際に経験することは必要だから、と。
そこに私が居ると知って、一度だけ参加してみることにしたらしい。
ミノルの登場に驚いたのは、ローズ先生やムラオカ博士だけではなかったらしい。
何故か他の生徒までソワソワしていたことが気になったものの、誰もがミノルの事情を聞きには来なかったので、そちらの理由を最後まで聞くことは出来なかった。
だけど、ローズ先生はミノルの知識量を存じていたのだろう。
その日は珍しく黒板を一切使用しないレクリエーションを皆で楽しんだ。
内容は、本物の魔法石を探すこと。
高確率でムラオカ博士が撒いた違法魔法石が混ざっていて、本物の魔法石の場合は景品が貰えると知り、誰もが躍起になって魔法石を探し回っていた。
探し尽くした後で実際の2つを見比べて違いや危険性を教わったが、流石のミノルでも難しいらしく、大半は早期に降参して『違いが不明な場合は安易に手を出さない・所持しない』ということだけを理解した。
なお、私もその1人だったことは言うまでもない。
そんな放課後も、普段なら大人の御迎えが来るまでは、何人かで残ってドッジボールが始まるのだけど、その日に限っては早急に帰る生徒が多かった。
だからか、ドッジボールが出来る程の人数も残らなかった。
ただ、ミノルはローズ先生とムラオカ博士、2人と少し話しがしたいと言って残ったので、私は1人、校庭に巡回しにきたのだろう1匹の猫と戯れていた。
そんなミノルが話し終えて、しかし、急ぎ足でモジモジしながらトイレへ向かったので、察して黙って待つことにした。
なお、猫はミノルの登場に驚いて去ってしまっている。
だけど、ミノルは何故かすぐに戻って来て一緒についてきてほしい、と小声で言ってきた時は衝撃的だった。
ミノル曰く、今まで施設内のトイレしか使用したことが無く、知識では知っていても、屋外の公衆トイレは初めてなのだとか。
帝国内では、公衆トイレは凄く汚かった。個室ではなく壁があるだけでドアは無いし、水洗ではなく穴が空いているだけなので酷い汚臭が漂っていた。男女で分かれてはいたが、そこにもドアは無かった。
でも、このあたりの公衆トイレはドアのある個室で、どれも水洗だったから臭いも少ない。当然、男女別の出入り口にもドアがある。ドアノブだって綺麗な方だろう。
綺麗好きな文化だからか汚れている程ではないが、屋内の管理されているトイレよりは汚いし、薄暗くて怖く感じたのだろう。
女子トイレに入るのは抵抗があったけど、ミノルの必死な表情を見て、誰も居ないことを確認して思い切って入った。そしてドアの前で立っていてあげる。
しばらくして出てきたミノルだったが、何故かその手には1本の鍵が握られていた。しゃがんで用を足していたら、目の前にコロンと落ちて来たらしい(そこまで説明された私の方が恥ずかしくなったが)。
誰かの忘れ物かもしれない。
そう思って偶然にも校庭に居たローズ先生にも相談してみたものの、恐らくは通気口に引っ掛かっていた古い忘れ物がドアを閉めた衝撃で落下したのだろう、という見解だった。
そもそも、今回の生徒は舟山の妖怪の集落内に住んでいるので大半は鍵を持っていないという。持っていたとしても簡易的で、ここまでしっかりとした魔力が込められていることはないらしい。
ローズ先生は訳アリ物件に住んでいるので、魔力の込められた品物を持ち帰るのは厳しいという。
ムラオカ博士も、今は他人の家に間借りしている状態らしいので貴重品は預かれないという。
当のミノルは、今回限りの参加にしたいと言っている(公衆トイレが相当嫌だったらしい)。
警察に預けることも考えたが、年代物は呪物扱いになってしまい、最悪は廃棄時に悪霊化して襲い掛かってくることがあるため、警察からも(登録はするけど)しばらく持っているよう言われることが多いそう。
実際、カオルに伝えてミノルと一緒に警察に行けば、そのような対応になってしまった。
よって、何故か私が持っていることになった。
キサキやカオルが一緒にいたからなのか。
それとも、本当に最初の襲撃は相手方のミスだったのか。
舟山で出くわしたような悪霊にも、それより凶悪だという悪鬼にも出遭うことなく。
ただただ、平和な日々を過ごした。
そんな日々が続いていた、ある朝のこと。
青空教室も終業していたので昼近くに目覚めたら、キサキが珍しく事務所のソファーに座っていた。
キサキは、最近は事務所に来てもコーヒーだけ立ち飲みし、すぐに去ってしまうことが多い。
本来はフリーのカメラマンとしても有名で、仕事が恋人というくらい忙しない人だとカオルも言っていたから、恐らくは私のために休みを設けてくれていただけなのだろう。
そんなキサキと対面しているのは少年っぽい人。
だけど、何か得体の知れないオーラを纏っている。
「……ん? あぁ、起こしてしまったかな?」
少年の方がいち早く、寝起きの自分に気づいてくれた。
振り返ったキサキが目を丸くした後に微笑んで、頭の上の方で両手を動かしている。
「ふふっ。角が出来ちゃってるわよ」
「……はっ!」
やっと意味に気づいたので給湯室の鏡を見れば、確かに髪の毛が逆立って上向きに跳ねてしまっていた。
なんと恥ずかしい姿。
慌てて水道水で手を濡らして馴らす。
「全く、所長をお遣いに出す市長がいるか?」
「美島市内には居たんだよ、ここに。おかえり、香」
どうやらカオルは既に起きていてどこかへ出ていた模様。
私が戻ると同時に、事務所のドアを静かに閉めて戻って来たところだった。
少年は美島市長だったのか、と理解したあたりで、慌てて3人の居るソファへと寄る。
得体の知れないと感じたオーラは、恐らく長寿の妖怪だからだろうと察した。
『市長様、受け入れていただき、ありがとうございます!』
元気よく言ったものの阿修羅語だったことに気づく。
だが、妖精は姿を見せなかったが市長に通訳してくれたらしい。
自分に憑いている妖精は通訳者でもあったらしく、病室でのカオルの慣れない阿修羅語のフォローまでやってくれていた、と後から教えてもらった。
美島市長は驚きもせずに笑顔のまま口を開く。
「あぁ、構わないよ。それに万が一、君が他の県に行っていたとしても受け入れるつもりだったから。どちらにしても、預けるのはこの事務所の予定だったし」
「おい」
「私も大丈夫。滅多にココには来れないし」
キサキの発言にカオルは溜息をついていた。
「お前の場合は事後報告が多すぎるんだよ。本来は動く前に一報入れろ。なんのための事務所専用の携帯電話だよ」
「娘と連絡するための手段?」
「あのなぁ」
カオルはそんな2人に呆れながらも、手にしていた紙袋を美島市長の目前に置く。
「そんで?」
美島市長はニヤリと笑って紙袋からストールを取り出した。
それを見て思わず目を丸くしてしまう。
残っていたオーラからも、母国で執事・サムが身に着けていたモノだとすぐに理解した。
「君の従者は東都に居るよ」
その一言は非常に嬉しかった。
だがしかし、どうやって日ノ本国に来たのか、という疑問を含む。
というのも、海を渡れる大型の船舶は真っ先に沈められた、私の場合は沼にあった船舶をこっそりと海へ持ち出して運んでもらった、と聞いている。
実際、乗り込む際に見えた船舶は大半が傾いていた。
美島市長は、恐らく私の顔色の変化に気付きつつも、笑顔のまま続ける。
「岸間家の別邸を訪ねたようだが追い返されてしまったらしい。もっとも、君のことを探していただけのようだが。今は東都の知り合いの家でお世話になっているよ」
「それなら合流して、」
「と、それは俺も知り合いを通じて提案したが、断られた。ただ、コレと一緒に伝言が託されたから渡しにきたよ」
美島市長はそう言いながら、サムのストールを私の首に巻き、ポケットから1枚のメモを手渡してきた。
半分に折り曲げられただけのソレを1ヶ所だけ広げれば、何故か2倍くらいの大きさに広がって、何も書かれていなかった白い紙に真っ黒の文字が浮かび上がってくる。
「なっ?!」
「その反応、新鮮ねぇ」
「まぁ、俺らだって初めて見た時は驚いたしね」
どうやらこの国では普通のことらしい。
「感心していないで説明してやれよ、お前ら」
カオルだけが大きな溜息をついていた。
「魔法石を練りこんだ特殊な和紙で、ヒミツの手紙を出す時に使うモノだ。書き手が受取り手と関係が強ければ、受取り手の魔力を和紙に込めるだけで、受取り手以外がその紙を開いても、何なら折り曲げなくてもただの紙にしか見えない、文字が出てこない仕組みになっているらしい」
「凄いね、この技術」
「ただ、それも未完成なんだとよ。一体、何度目だ? アンタらの所為で俺がこの説明すんの……」
「まぁまぁ」
美島市長は笑顔で誤魔化す。
「で? その手紙には何て?」
すっかり忘れていたのでざっと目を通す。
―― そして、更に目を丸くすることになる。




