010 ♕ 初めての東都へ
その翌日。
私は初めて電車という未知の乗り物に乗せられていた。
隣にはカオルと、もう1人の正社員であるシズカが立っている。
シズカは色んな資格を持っているが、魔力は全くない一般人。普段は事務所の1階で受付を兼ねながら事務と会計を一手に担ってくれているらしい(カオルと私は2階に居るし、カオルと面識のある人は直接2階へ来るそうだ)。
奥さんと子供は能力者だが、仕事の都合上、もう何年も別居しているから会話することも最小限なのだとか。
ホームではかなり喋っていた人達も多かったが、電車内は思ったよりも静かだった。
席は空いているのに立っている人が多いのは、橋を抜けてすぐの駅で降りる人が大半だから、らしい。
ちなみに、私の希望で私達もドア近くに立っている。
ドア近くではないと外が見られなくて不安だったからだが、そこまで2人には伝えていない。
子供の大半は大人や友人同士で乗っていたが、たった1人だけ、同じくらいの年代の少年が1人で乗っていた。血色が悪く、かなり細身で、如何にも体調が悪そうに見える。
空いている方とはいえ、何故かその少年の周囲には誰も近寄らない。面倒に巻き込まれたくないのか、―― 悪霊が見えてしまっているのか。
気にはなったが、目線でカオルに疑問をぶつけても、頭を横に振られて教えてはもらえなかった。
そして気付けば、電車は橋へと差し掛かる。
傍から見た時は橋のギリギリを走っているように思えたが、上から見るとそこまででもなく、むしろ1人なら余裕で端を歩けるスペースがあった。
が、逆にそのスペースのおかげで川底は見えない。もしかしたら、川底を見させないために幅を広くしているのではないか、と思ったほど。
重力加速度を感じるくらい電車のスピードが速かったこともあり、あっという間に橋は終わった。
しばらく下り坂で、線路の部分が掘られているのか、壁があるのか。外は見えなかった。
ただ、カオルが言うにはこの辺りも平原とあまり代わり映えしないらしい。
しばらく進んでトンネルを抜けたら、景色が一転して高層ビルが立ち並んでいた。
「わぁ……!」
そこは母国に居た時の自分が知った、この国の景色だった。
「じゃぁ、私は先にこっちだから、また後でね」
駅の改札を出る前にシズカは右側を指しながらそう言い、既にその方向に歩きだしていた。
「シズカはどこへ?」
「機材をレンタルしに。ったく、面倒な依頼だよな、これ」
カオルがやけに苛立っている様子だったが、私は無言でついて行くことにした。
改札を出て最初は左に行ったかと思えば、今度は右へ。
まるで迷路のようで、3分ほど歩いているというのに未だに駅の中を出ていなかった。
きっとここはターミナル駅なのだろう。
そう思っていたら、妖精がすれ違った人の会話を勝手に翻訳し、耳元で伝えてくれた。
【この駅って3つの線しか繋がっていないんでしょ?】
【うん。東都駅だと16路線じゃなかったかな? ここより広いし、大きいし】
【でも広いよ、十分】
【駅が2つ、地下道で繋がっているから広く感じるんだよ。その繋がっている駅まで電車で向かおうとしたら、かなり大回りになって20分くらいかかるよ?】
なるほど。だから歩いているらしい。
納得しているうちにもかなり進み、違う改札口へと辿り着く。
そこからたった1区間だけ乗って。
今度は改札口を降りてすぐの、すれ違うのも大変な階段を上った。
視界が強い光を浴びて眩しく、思わず立ち竦んでしまう。
「はぁ、やっと外か」
よく見ると、階段で息切れしたのかカオルは呼吸を整えていた。
「俺、東都は嫌いなんだよ」
「えっ」
「土も草もない、アスファルト・ジャングル。真夏も真冬も、とにかく暑いし、寒い」
「……?」
「あー……じゃぁ、ちょっとあのビルにでも入るか。トイレにも行きたいし」
そう言って、信号を渡った先にあったビルへと立ち寄る。
ビルの自動ドアを入ったら心地いい冷気で満たされていた。
外があんなに暑かったから冷房でもかけているのだろうか。そもそも、自動ドア1つだけで冷気がこれほど保てるのは凄い。これも魔法ではなく電気だというのだから驚きだ。
それにしては、さっきまで居た美島市と外の気温がだいぶ違うような。
「……こちらの4月は過ごしやすい暖かさ、と聞いたことがあるが?」
「実際、美島市じゃここまで暑くなかっただろ? この辺りみたいに土や草が無いと湿度が調整されないから、湿度が高いこの国では真夏は致命的な猛暑になる。しかもアスファルトからの熱反射もあるし。まぁ、春先の今日はまだマシな方だけどな」
「これでマシ、なの?!」
「……さて、さっさとトイレ寄って目的地まで歩くぞ」
カオルに先を急かされた気がしたものの、確かにこのビルの中の心地よさを知ってしまったら、外に出るのは少し勇気が必要だった。
サムの手紙が届いた後、その依頼を受けるかどうか、皆で話し合っていた。
そこにシズカが戻ってきて、所長寄りの案件があると、ニヤニヤしながら別の依頼書を渡した。
結果的に、その両方の依頼を済ませる予定で東都まで来た。
依頼の1つは、あるバーテンダーに恋文を渡す、という一見簡単そうな内容だった。
だが、何せバーテンダーの特徴しか解らず、依頼主は店名も場所も覚えていないらしい。依頼書は色んな事務所を回ったがどこもお手上げで、もしかしたら既に廃業しているのでは?という状態らしい。
しかし、カオルは何かしらの事情を知っていたらしく、その時はただ大きな溜息をついていた。
もう1つの依頼もやはりカオル宛だったが、カオル曰く、そのバーテンダーが助太刀してくれたら楽になるらしい。
危険も伴うらしいが、それを見越した上でも、やはり私が一緒に居た方が良い経験となる、とのことだった。
「まぁ、普通のバーじゃなかったんだろうよ」
カオルはそう言いながらタバコの吸い殻を自前のホルダーにしまった。
辿り着いたのは住宅地。目の前にあるといえば、何故か道の中央に電柱があり、左右にも家があるが奥は行き止まり。突き当りはゴミ集積所になっているのか、英語でも注意事項が書かれてあったので理解できた。
「タバコ臭い手で悪いが」
カオルはそう言いながら私の手を取った。
思わずドキリとしたのは、以前、母国で私のための社交界デビューを果たした際の、父親の手の大きさを思い出してしまったから。
だが、カオルは気にした素振りもせず、中央の電柱に向かって歩き出す。
ぐにゃりと視界が歪んだ。
そして瞬きをした間に、視界は狭い喫茶店の光景に切り替わっていた。
「おや、珍しい」
バーカウンターの中、マスターらしき老人が呟いた。
その隣に居る青年は嫌そうな表情をしている。
老人はすぐにカウンター席へと手で案内してくれた。
テーブル席の方も、ぱっと見は他に客は居ないらしい。
「お連れ様もどうぞ、お座り下さい。ここまでは長かったでしょう? サービス致しますよ」
「まぁ、こうなるわな」
何故か溜息をついたカオルは仕方なさそうにカウンター席の最奥より1つ手前に座った。
そして最奥の席に座るようカオルに手で誘導されたので座ってみる。
至って普通の椅子だった。
カウンターは大人の身長で設計されているのか、まだ背の低い私ではギリギリだったものの、奥が見えないくらい高いという程でも無い。
「香様はアイスコーヒーで宜しいですか?」
「あぁ。こっちにはジュース系で頼む」
「承りました。ユエ、ジュースの方をお願いしますね」
ユエと呼ばれた青年は黙ってカウンターの奥へと引っ込んだ。
が、老人が準備に動き出す前にユエは戻ってきた。
先に出されたのは、私の方。
(先に)飲んでも良いよ、という表情でカオルに頷かれたので口にしてみれば、果汁の美味しさで目が冴えた。酸っぱさもあるが、程よい酸味も、甘みもある。鼻に抜ける空気も美味しい。だけど甘すぎず、口にはさっぱりとした感じが残る。
こんなに美味しいジュースを頂いたことは、母国では一度もない。
「美味しい……!」
その一言でユエがやっと笑ってくれた。
が、カオルが預かった手紙をカウンターの上へ出したことで、また嫌そうな表情になってしまう。
これには流石の私でも察することができた。
「何で依頼を受けてしまったのですか?」
「仕方ねぇだろ。誰かが渡しに来なきゃ、この喫茶のことが世間様に公にされちまう可能性がある。まだ舟山の巫女にも言えないだろ、異世界にも渡れるこの店の存在は」
「ぐっ」
「薄々、気づかれてはいるようですがねぇ」
老人は失笑しながらもアイスコーヒーをカオルに出していた。
カオルは受け取ってすぐに飲み始める。
「その手紙のせいで何度店を移動させたことか……」
「だから移動する直前に来てやったんだろう? どうせ今繋げている場所から違う所にする予定があったようだし」
「ここは臨時ですからねぇ。流石に出先がこわーい家柄ではお客様も避けてしまいますから。それにここは立地も、場所もかなり悪いですし」
「ウィル、それさっさと飲め」
カオルはそうどつきながら言った。
見れば、既にカオルのアイスコーヒーは空に近い。いつの間に一気に飲んだのか、解らなかった。
慌てて飲み始めたものの、老人は早くも喫茶のドアのカギを閉めに行っていた。
無事に飲み干したが、既にユエは手紙を開封し始めている。
「やばっ! ジュースいいや、耳塞いでおけ!」
何やらカオルが大慌てで両耳を塞いだので真似をしておいた。
カオルも老人も、そしてユエまでもが、何故か分厚い結界まで出している。
未だに理解が追い付いていなかったが。
「好きです!
好きです!!
大好きです!!
結婚です!
結婚しかありません!!」
店中に響き渡る以上の音量で女の声が再生された。
軽くしか塞いでいなかったので今もまだ耳がキンキンする。
そして今度は何かが爆発した。
ヒュー と鳴った後に ドンッ
それが複唱していることから多くの爆弾が仕込まれていたらしい。
今度は店中が振動していた。
やっと静かになった店内は、結界が無かったら大変なことになっていたかもしれない。
結界で大半が守られていたはずなのに、振動の所為なのか、一部のカップが落下して砕けている破片が目の端に映っていた。
だが、カオルが広範囲に強力な結界を作ってくれていたからか、人的被害はユエの手だけで済んでいた。薄々気づいていたけど、カオルはかなりの結界術の使い手らしい。
なお、ユエは自身の手に治癒魔法をかけているので、恐らくは大丈夫なのだろうと思う。
女の声は、ただただ大きかっただけで、何を言っているのか理解は出来なかった。
「ったく、客には先に断れよ」
「貴方が原因ではないですか。そもそも、私たちの結界では店内は無事でも店外までは守れないのですから、そこは持ってきた責任を取って頂かないと困りますね!」
ユエはフンッと鼻を鳴らした後、不意に私の、実際には私の頭上を見つめていた。
そしてゆっくりと手を指し伸ばしたかと思えば、あの妖精が姿を現してくれていた。
しかし、辛そうにユエの手の上でヘタってしまっている。
どうやらあの大音量を防ぎきれなかったらしい。
「あぁ……かわいそうに」
「それをお前が言うか」
ユエの一言にカオルが呆れながらも答えた。
「その妖精が居ないと、恐らく女帝が困るぞ?」
「あら、それはマズイですね。仕方ありません」
ふぅ。
ユエは息を吐くと詠唱を始めた。
浮かんだ魔法陣を見て、人間のように見えるユエが、実は天使族であることを知った。
それも、妖精の属性に合わせて魔力を分けてあげられる、ほぼ全ての属性を扱える純粋な天使族。
「……全く、舟山の住人は巫女に感化されすぎですよ」
詠唱を終えたユエはカオルに言った。
妖精はユエを見て素直に頭を下げていたが、ユエが指でちょんちょんと突いたら困った表情を浮かべている。
「キミもあまり無理はしないで下さい。彼はまだ幼いですが、既に立派な意志を持っています。少しは休んで、彼自身に魔力を使わせるようにしないと彼は成長できませんよ?」
ユエの言葉に妖精はシュンッとしていた。
が、カオルはそれを見て立ち上がる。
「おや、もう少し休んで下さっても宜しいのに」
「依頼がもう1つあってな。実はこっちよりも、そっちがメインなんだ」
「そうでございましたか。仕方ありませんね」
カオルに答えた老人は喫茶店のドアを開けてくれた。
「今度は依頼ではなく、普通のお客様としてご来店をお待ちしておりますよ、異国の王子様」
ビックリして振り向いたものの、老人は口に人差し指を当てながらも、もう片方の手でドアを閉じてしまっていた。
出された場所は、先ほどとは異なる景色だった。
が、電柱に書かれてあった土地名から察したのか、カオルは既に歩き始めている。
「やっぱり食えねぇジジイだわ」
「?」
「ジジイの方、ムラオカって言うんだが、次の依頼内容を知ってたんだろうって話しだよ。電車で移動して駅に慣れてもらう予定だったんだが。ほら、もう目的地が見えてきた」
カオルが指した方面には、何やら巨大なオブジェの一角が見えてくる。
「青葉の樹っていう、どこかのアーティストが作ったオブジェらしい」
大自然を連想させる名前なのに枝先には沢山の顔が付いていた。
でも不気味と感じなかったのは、どの顔も自然な笑顔、愛らしい顔に思えたからかもしれない。
「奥の劇場が閉館するんで、その舞台装置に使用されていた巨大な魔法石を移設するんだと」
魔法石は最大でも10cmほどと言われている。
だからカオルに説明されてもピンとは来なかった。
劇場の職員はカオルのことを知っていたらしく、すぐに舞台の裏側へと案内された。
母国にも舞台はいくつかあったものの、舞台の構造からして全く違う。
だから全く見たこともない黒い機械だらけの狭い通路を歩く。
オブジェよりも、その光景の方が薄気味悪かった。
辿り着いたのは真っ白の小部屋。
その奥に祭壇のような場所があった。
職員は手慣れた様子で祭壇の上部を外し、下部の大きな土台の上蓋を持ち上げる。
「魔法石はこちらの中です」
「厳重な警備を強いていたんだな」
「もちろんですよ! こんなに大きな魔法石、そうそう見つかることはありませんからね。まして奪われでもしてみて下さい。私の首が飛びます!」
「そりゃそうか」
カオルはそう言いながら祭壇に近づいた。
手招きされたので覗き込む。
土台の内部はクッション材になっていた。が、魔法石は楕円になっていて、思っていたよりも大きい。
思わず両手を広げて見比べてしまった。
「国内最大の魔法石らしい。これをある場所に運ぶのが今日の依頼というわけだが」
そう小声で言いながらカオルは大判のハンカチを取り出した。
「魔法石の放つオーラを遮断する生地。こいつを使って運ぶから、危険はだいぶ緩和すると思ってる」
「 "天使の皮膚" から製造されている、とウワサのそちらをお持ちでしたか!」
職員は大げさに、しかし、図々しくも首を突っ込んできた。
何故かカオルはサッと手を引いてハンカチを引っ込めている。
「じゃなきゃ危険極まりない依頼は受けない主義でね。それにこのハンカチは特殊仕様で」
カオルは職員に答えてから魔法石の上にハンカチを被せる。
そしてハンカチを取った後には何も残っていなかった。
それは私のズボンのポケットに素早く突っ込まれ、カオルがもう片腕で私の腕を引っ張る。
ハンカチはしっかり入っているはずなのに、何故かその重量は全く感じられなかった。
後方からシュッと不思議な音がする。
振り返れば、硬そうな土台に黒光りするナイフが突き刺さっていた。
その隣には職員のギラギラする目がこちらを睨みつけている。
「あぁ、やっぱりね。大きめの魔法石は輝緑岩と同じくらい重いと聞いたから、運送しようと持った瞬間を狙ってくると踏んでいたんだよ」
カオルはあっさりと答えながらも職員からの2撃目を避ける。
「職員を装ったことは良かったと思うけど。ちょっと粗いんだよ、やり口が。考えたら解ると思うけど、普通、所長じゃない職員が祭壇の開け方を知っていることが妙だよね」
「あ……」
「それにここまでの道中、職員の誰ともすれ違わなかった。まだ閉館も、移送完了もしていないってのに警備がゆるゆる。ありえないね」
3撃目、4撃目、と私を引っ張って誘導しながらも余裕で避けるカオル。
やはりカオルは強い。
「追い込み方も下手だね。まるで下っ端が建物の外に居る仲間が居る方のドアに誘導しているようにしか思えない」
「っ!」
職員(?)は動揺したらしい。
その隙にドアの外へと出る。
館内には人の気配すら感じ取れない。
どうやら屋外で奪う気らしい、とまでは理解できた。
「どうやって追手から逃げる?」
「既に手配済みだから、そろそろ繋げてくれるんじゃないかな?」
『運送屋ではないんですがねぇ』
不意に声がしたかと思えば、カオルのすぐ脇の壁に大きめの黒い穴が空いた。
でも敵以外の気配はない。
『あと私が捕まらないからって弟を利用するの、止めて頂けませんか? 流石にキレますよ?』
「弟の方が、だろ? アンタがキレたところ、一度も見たことねぇわ」
カオルはそれに答えながらも、私を引いたまま黒い穴の中に入った。
穴の中は天井も床も無地で境目が良く解らない。
ただ、その何もない洞窟の先に1点の明かりが見えるだけ。
『私がキレたらどうなるか、なんて ―― 過去に島を消したことがありますかね? 他には女帝を唆したこともありますが……』
「ひっ」
『おや、失敬。お連れ様がいらっしゃったとは』
「今度、アンタの研究に必要な素材、入手したら優先的に流してやるから。それで今回含めて3回分、手を打ってくれないか?」
『素材にもよりますが。まぁ今日のところは弟にも非がありますから、それで手打ちにしましょう』
相手が答えたところでカオルは歩き出す。
私も引っ張られる形で歩き出すが、靴の裏の感覚にゾッと背筋を凍らせた。
何だか、弾力があるのに異様なほど表面は柔らかい。
―― まるで生物を踏んでいるような気がした。




