002 ♕ 森の中
本当なら海沿いを進めたら良かったのだが、残念なことに左右どちらも断崖絶壁だったので森に入るしかなかった。
もっとも、兄から渡されたこの国のお金には数字が書かれてあったので支払いには困らないだろう。
そう思っていたのに、森を進んでも誰ともすれ違うことは無かった。
それどころか、永遠と森を歩くばかりで獣の気配すらしない。
時折、気配を感じて振り返った。
だが、そこには消えかかった悪霊が漂っていただけ。
悪霊は死者の魂で、悪鬼はそれが融合した悪しきモノ。
悪神は更に凶悪化したモノだという知識はある。
どれも憑依という手段で生き物に宿り、悪事を働く。
ただ、悪鬼でも支離滅裂な行動をするだけなので、基本的には母国では牢屋行き。
憑依が確定後に死刑という形で排除されていたので、自分の目で悪霊を見たのはこれが初めてだった。
でも、母国では悪霊ですら見かけることは全くなかった。
そもそも、他国との戦争が一切無いこの国で、死者が母国の数字より多いことは不思議に思っていた。
しかし、こうして悪霊ばかりが目立つとアトミが言っていたことにも納得できてしまう。
森はなかなか抜けられなかった。
日が傾き始めて、ようやく開けた場所に出る。
でも、そこはまだ森の中ではあったのだと思う。
「(ここは、本当に自分の知識にある日ノ本国なのだろうか)」
高層ビルが立ち並び、電車が地下に通っている、と動画を見て知っていた。
もしかしたら、自分が知っているのは大都市の一部なのかもしれない。
思い返してみれば、帝国でも電車があったのは城下だけだったし、高額なので使ったことも無かった。
養生していた地方では未だに車か、貧困層だと馬車を使っていたくらいだし。
そんな経験の浅い自分でも、過去に一度だけ砂漠で野宿をしたことがあった。
今もそうなのだが、あの時も、自分はあまりお腹が空かなかった気がする。
一緒に居た護衛たちは夜の冷え込みに震えていたが、自分は何も感じていなかった。
それでも、この国の森は砂漠よりも過ごしやすいと感じた。
テントが無くても草が布団代わりになってくれるし、砂ほど冷たくはない。木々は木陰を作っていたので日中でも暑くなかったし、すぐ近くの谷間には川も流れていたのだから。
そこまで疲れていなかったけど、夜はどんな生き物が出てくるか解らない。
それは砂漠でも同じだったし、自分に他国の生物どころか砂漠以外の知識はほぼ無い。
だから、開けたこの場で休むことに決めた。
とはいえ、流石に護衛も無しに寝てしまう訳にはいかなかったので横にはならず、ただ空が明るくなるのを待つだけだが。
こうしてやっと明るくなってきた頃、不意に悪霊とは異なる気配を感じて身構えた。
しかし、そこに現れたのは1匹の子犬だった。
子犬とは言っても、ちょうど大人と子供の間という顔立ちだし、犬種としては大型に属するだろう。
子犬はじっと自分を見つめた後に来た方向へ戻っていったが、万が一にも仲間を連れて来られては困る。
毛並みは良かったが、野犬だったら餌にされる可能性も無いとは言えない。
もう少し明るくなるのを待ちたかったが、仕方ないので動くことにした。
そこから歩くこと、体感で3時間ほど。
やっと民家らしき人工物と出会えた。
だが無人だったので先を急ごうとした。
しかし、その視線の先にあの子犬が居ることに気づいた。
子犬は尾をこちらに向けて少し進み、立ち止まってこちらを振り返る。
まるで付いてこい、と言われている気がしたので後を追った。
そこから更に1時間ほど。
「なっ?!」
思わず目を丸くした。
というのも、背中を押された途端に浮遊感があったから。
かと思えば、急に硬い何かを背中と尻で受ける。
そして何度かバウンドして、そのままズルズルッと下ってゆく。
体が停止したところで目を開ければ、綺麗な民家が立ち並んでいた。
「ワンッ」
不意に降りてきた後方、上の方から鳴き声がしたので振り返ると、案内をしてくれた子犬が尾を振って満足そうな顔をしていた。
どうやら結構な急斜面の城壁の上から落とされたらしい。
だが、おかげで人の住んでいそうな場所には来られた。
「ありがとう!」
多分、迷子だと思って案内してくれたのかもしれない。
そう思って阿修羅語ではあったが感謝の言葉を述べた。
それは子犬にも通じたのだろう。
尾をブンブンと振りながらも森の方向へと立ち去っていく。
さて、と民家の方角を見た。
高層ビルよりは低いが、長方形の建物も見えている。十字のマークから病院と思われた。
近隣には三角の屋根の建物が多い。
屋根は確か、瓦という名称だったと思う。
自分が今座っている石畳はアスファルトという物質で塗装された道路なのだろう。
もっとも、この国が作成したアニメーションからの知識だったのだが。
「何て美しいのだろう」
尻はじんじんと痛かったが、帝国とは全く違う景色にただただ見惚れてしまった。
――やっと異国に来たのだな、という実感が持てたのもあるが。




