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ユアハート・マイリーズン  作者: 八武希幽水


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1.51 あなたが生きたセカイ

 祭りの音楽と人々のざわめきも遠い山の中、由紀は頬を紅潮させて駆け上っていた。神城山は一応とはいえ桜美丘の霊山であるからか、すぐ近くが世俗的な喧騒に塗れていても不思議と空気が澄んだ厳かな雰囲気がある。

 中途の廃神社を抜けその裏へ。この山の主に許された者だけが入れる聖域。


 そして由紀と結実の大切な場所、『神城の大桜』。


――やっぱり、居てくれた。


 美しい桜色の衣を纏い、煌めく花びらを舞い散らせながら立つ、荘厳の大桜。その巨大な幹の元に、『桜華の亡霊』ユイは佇んでいた。


「……隣、いい?」

「…………ん」


 何故ここに居るのか、何故居るのが分かったのか。無粋な事を聞き合いはしない。ユイが空けた隙間に由紀が座り込み、ユイも同様に幹に背を預けた。


「もう、行っちゃうんだね」

「……えぇ。もう、ここでの使命は終わったから」


 霊子濃度が薄く、『彼世』への距離が近い神城山。それ以上に由紀は最後にユイが訪れる場所はここだろう、と不思議な確信があった。


 ユイはおもむろに懐に手をやり、由紀に言う。


「行く前に、今一度確認したい事があった」


 そう言って取り出したのは、既に見慣れた白銀のリボルバー。それを由紀に差し出し、


「……私への『裁き』は、本当にいいの? あなたにはその権利が――」


 言葉は途中で切れる。由紀は俯くように頭を下げた後、


「――えい!」


 そのままユイの方にタックルするように頭突きをした。


「……ぅ」


 容易く避けられるそれをユイは受け止める。その彼女を見上げて由紀は笑った。


「ね?」

「……わかった。もう言わない」


 ユイは参った、と言わんばかりに溜息を吐いた。


 柔らかな風が吹く。舞い散る花びらのカーテンが二人を包み込む。


「もう一個だけ聞いても良い?」

「うん……なあに?」


 ユイは紅い瞳を、今は黒い瞳に向ける。


「……何故、私を受け入れてくれたの?」


 出会った時も、再会した時も、仇と知った後も、最後の戦いの時ですら。

 由紀は少しだけ目を閉じた後、目上の桜を見、再びユイに笑った。


「『桜が綺麗』、だなんて言える人に、悪い人なんて居ないんだよ?」

「……それは」


 あの日、初めて二人が出会った時。彼女が彼に最初にかけた言葉だった。


「……結実がね、教えてくれたんだよ。ずぅーっと昔。ここで会った時に」

「そう、だったの」


 ユイは自身の胸に手を当て、薔薇色の唇を震わせる。


「……奇遇ね。昔似たような事を教えてもらった事がある」

「そうなんだ。……奇遇だね」

「ええ。……本当に奇遇」

「ふふ」


 不思議と由紀が笑っていると、ぶわっと一際強い春風が吹きすさぶ。思わず目を瞑り、そして再び開けると、ユイは立ち上がっていた。

 懐から取り出した懐中時計を見、その時が来たと言わんばかりにユイは呟く。



「――そろそろ、行かなきゃ」

「ユイ……」

「最後に、言いたい事あったわ」


 何と言えばいいだろうか。由紀が悩んでると、ユイがこちらを振り返っていた。




「こんな事を言う資格すらないかもしれない。あなたの日常を壊し、傷つけた私に言われても気に障るだけかもしれない。……だけど、言わせて。あなたが私を信じ、私に信じさせてくれたから、ユリス達に救いを齎された。私の命も救われた。――何より、私に神城結実との約束を守らせてくれた」


 不思議と輝いて見える桜の雨の中、ユイは。


「だから」


 彼女は、





「――――――――――――――――ありがとう」


 満開に乱れ咲く、天上の桜のように笑った。




「――――――――」


 由紀は、惚けていた。ユイのその微笑みの前に、惚けながら確かな確信を得ていた。


――あぁ、きっと。今までも、これからも。


 この世界だろうと、『彼世』だろうと、全世界。

 目の前の、『これ』に匹敵する美しさなど、絶対存在しない事を。

 真っ赤になりながらも、口をパクパク動かしてどうにか言葉を紡ごうとした、その時。


「――――由紀!」


 林の向こうから、この場には来ない筈の、聞き慣れた『姉』の声がした。


「……ゆ、優香里姉ぇ!?」


 制服姿の泉優香里が息せき切って走ってきた。桜の下の由紀の姿を見つけてパァっと笑みを綻ばせた彼女は、次にユイの姿を認めて途端に気まずそうな顔を浮かべた。


「……あぁ。す、すまん、取り込み中か?……でもさ由紀、ちょっと目を離した隙に黙って消えることはねぇだろう?」

「ご、ごめんね」

「……あー。ほら、何んとも無いなら良いや。私先に戻ってるよ。明人も待ってるし。何よりほら、私……此処にはあんまりいちゃいけないし、さ」


「――いいえ、大丈夫。もう、話は済んだから」

「え」


 そう言いながらユイはトン、と軽く由紀の背を押した。真上に咲き誇る『神城の大桜』が色褪せる程の美しい笑顔をたたえながら。優香里もそんな彼女の顔を目の当たりにし呆気に取られていた。

 そしてユイは桜の下で俄かに光り輝き始める。足元から霊子の奔流が溢れ、ユイの全身の輪郭をぼんやりと不明瞭にしていった。

 それが何を意味するか、由紀も優香里もすぐ理解できた。


「ユイ!」

「――もう、あなたは大丈夫。『彼世』は姿を現さない。あなたを守り、あなたが守る価値のある人達も沢山。あなたの『幸せ』はここから」


 消えゆくユイは目を閉じ、由紀に囁いた。




「さようなら。――――――――――――どうか、……健やかに」










「――――優香里姉ぇ、ごめん!!!!」



「!?」


 由紀の突然の叫びに優香里はビクッっと跳ねた。同時に、閉じたユイの目が再び開く。

 光に包まれた桜とユイを背に、由紀は困惑する優香里に深々と頭を下げる。


「本当にごめんなさい……っ。でも、少し」


 怖かった。これからやる事が。自分の決断が。

 何よりその決断が恐らく絶対、此処にいる自分以外にとって絶望そのものだったから。


――それでも。


「少しの間だけ、待っていて」


 僕は罪を犯す。僕が取り得る、最も重く最悪の大罪を。


『――『現世』では決して叶わぬ願い。それでもそれを求めるならば』


 あの世界での言葉が蘇る。由紀は静かに懐に手を。


『身を裂き心裂かれても、どうしようもなくなっても求めるならば』


 手にした『それ』を掲げ、ひたすらに強く願う。


『ただひたすらにそれを求める為に、『生きる覚悟』をする事だ。そしてその上で、君の世界における『君の全てを喪う覚悟』もだ。つまり――』



 自らの首筋に『それ』を当て、佐倉由紀は静かに微笑んだ。






「――必ず、取り戻してくるから!」







『――君が出来る、史上最悪の大罪を犯す。それこそ、カノヨビトになる方法だ』


 銀色に光る、アドラヴァイスのナイフを、由紀は引いた。




「ダメええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」



 少女の絶叫が、神城山に響き渡る。

 前からも。そして、後ろからも。

 視界が暗転し、同時に白く明滅する。由紀の意識も混濁し、心も体も輪郭がぼやける。


「――――――――ぁ」


 薄れゆく意識の中で、由紀が最期に見た光景は。

 桜の花を舞い散らせる、『あの子』の姿だった。






「――――――――?」


 泉優香里は、神城山の桜の前に立っていた。


 妙な気分だった。何故自分が此処にいるのか判然としない。……そう、今日は桜美丘市の『桜花祭』に来ていた。だのに、気付けばこんな場所に、一人っきりで。

 おかしな心持だった。自分の名前は分かる。生年月日、出身、あまり思い出しくないが両親の顔と名前。おかしな所は別にない。

 なのに、何かが、無い。

 そんな訳ないのに、自分の命すら軽く見える程の、決定的な何かが、自分の中に無い。


「……………………」


 それにしても。

 見事な桜だった。全国探したってここまで美しいものはそう見つからないだろう。こんな名所をどうして私は。学校の誰かからでも聞いたんだろうか。

 ふと、盛大に乱れ舞う桜色の花びらの中に一つ。他とは違う光の粒があった。桜花と普通相容れる事の無いだろうそれは、吹く風に抗うようにひらひらと落ちてくる。

 それは優香里の目尻、その先に舞い降りる。そして間もなく、零れ落ちた。





「――――――――――――――――ゆ、き」




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