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ユアハート・マイリーズン  作者: 八武希幽水


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1.35 ユイと優香里

 校舎全体を揺るがした振動と爆音に皆が混乱する中、廊下を猛スピードで駆け抜ける女生徒が一人。「廊下は走るな」、「階段は飛ばさず一歩ずつ」。普段誰よりも規則に厳しく全生徒の規範たらんとしている泉優香里は、爆発音を感じた数秒後には目的地を定め必死の形相で疾走していた。


「由紀っ!!!」


 粉塵が立ち昇り廊下にへたり込む生徒達も居る中、優香里は教室の入り口から叫んだ。

 窓際の壁は綺麗さっぱり消し飛び、透き通った青空が教室内を照らす。その中心で倒れる明人の前で無表情で佇むユイの姿があった。


「……アンタ」

「――失態ね。我ながら情けない」


 ユイはまるで優香里が一早くここに来ることを予見していたかのように呟き、紅い二つの目を彼女の方に向けた。


「あ、明人!? 何が……由紀、由紀は」

「ナツメさんは大丈夫、落ち着いて……あの子は連れていかれた」

「何だって……!」


 一気に血の気が引く優香里にユイは再度「落ち着いて」と呟きながら、明人の顔をじっと窺う。続いて自身を驚愕と好奇が混ざった表情で見つめる生徒達を順に見回す様にして小さく息を吐いた。


――全員、無事。律儀ね、本当に。


 ユイはゆっくりと立ち上がり、風通しの良くなった教室から覗く青空を見据える。


「待ってくれ、ユイさん。おい」

「今からすぐにユリス達を殲滅し、あの子を取り戻す。安心して。……イズミさんは生徒達の避難誘導を。貴方のすべき事をして」


 そのまま歩みを進めようとするユイの腕を、優香里は素早く、力強く掴んだ。それを振りほどこうとはせずゆっくりと振り返るユイに優香里は必死の表情を向ける。


「頼む。……私も連れて行ってくれ。アイツの、由紀の所に」


 ユイの変わらぬ表情に、優香里は今にも泣きそうな顔で訴えかけた。


「由紀は私の『弟』で、この世界で一番大切な奴なんだ。……結実のヤツが居なくなっちまった今、アイツまで何かあったら。私が一番に傍に居て守ってやらないと。だから」


 優香里は消え入りそうになりながら項垂れる。最悪の事態を嫌でも想像し、力が抜けた手からユイの腕がするりと抜ける。


「頼む。ユイさ――」

「終わる覚悟が決められるなら、手を取って。しっかり掴まって」


 足元に淡い桜色の霊子術式を展開しながら、ユイは静かに優香里に手を差し伸ばした。


「……ありがとう」


 涙をぬぐい、優香里は今できる精一杯の笑みを見せた。そしてその手を取りながら残る生徒達に叫ぶ。


「歩ける奴は隣の棟まで避難しろ! 余裕あんのは肩貸してやってくれ。後は先生達の指示で動く事。私は由紀を連れ戻す! 駿河、悪いけど明人の面倒と皆の引率を――」


 そうクラスの委員長の女生徒に話しかける優香里を、ユイはがっしり抱え込み、



「いきましょう。……急ぐ」

「え、ちょま――――あああああああああああああああああ!!?」


 残った生徒達のどよめきの中、絶叫する優香里と共にユイは舞之宮の空に飛び立った。





「うおおおおお! 空! おま、飛んで、走って!? わああああああ」

「……もう少し、静かにして」


 自身より一回り背の高い優香里をバッグか何か軽く小脇に抱えるようにユイはビルとビルの間を跳躍していく。踏む足場がない場合には足元に霊子式の紋様を浮かべ更に先へ。無表情とは裏腹にユイの内心の焦りを表すかの如く風のように空を疾走する。

 漸く辺りを見回す程には落ち着いた優香里は、眼下の街を見て目を見開く。


「なん……じゃ、こりゃ。街が」


 騒動が起きているのは学校だけでは無かった。駅と隣接するショッピングモール、近くの高層ビル群、商店街、視界の届くありとあらゆる場所で、青白く明滅する粒子を纏った爆炎が立ち昇っている。地上の人々は叫び方々に逃げ回り、駅には我先にと逃げ出そうとする人間が殺到している。空を飛び回るユイと優香里に気をやる余裕もない。

 舞之宮市全体が大混乱に陥っていた。


「爆発は見た目ほど破壊的ではない。私の追跡への目くらましと、自身の霊子を一帯に拡散して『世界の核』を開く下準備ね」

「よく、分かんねえんだけど、由紀は結局何処に連れてかれちまったんだ!? 犯人の目的は、そいつら由紀をどうするつもりなんだよ!」


 ユイは煙と霊子の干渉を避けるため、一際高いビルの屋上へと降り立ち四方を見回す。


「目的はおおよそ分かった。……ただ、所在が分からないから探している。あの短時間で移動できる距離だから流石に県外へは出てない筈だけど」

「……目的から推測できる、場所の条件は?」

「この『現世』の霊子濃度が濃くて強度と純度が薄い場所。具体的に言えば昔は人の往来が激しくて今は無い所。そう遠くない昔に閉鎖・放棄された工場とか、廃墟」


 それを聞いた優香里は必死で記憶を探るように考え込む。時間にしたら十数秒。地上で不規則に起こる爆発音すら遠く感じる程深く考えた後、ハッとした様子で顔を上げる。


「……こっから南、海沿いに広がる舞之宮コンビナートってデカい工場地帯がある。その一画、七、八年くらい前に起きた洪水と爆発事故で死傷者も出ちまって、今も立ち入り禁止になってるんだ」


 優香里が指差す向こう、遥か南の水平線にユイは意識を集中する。攪乱の霊子術を極力避けながらその術の発生源の方向、先程接触したユリスとアリアの霊子の痕跡を探る。


――何より、あの子の気配を。


 ユイは無表情のまま、されど力強く頷く。


「助かった。ありがとう」

「――あぁ! じゃあ急いで南に、ってああああああああああああ」


 言い終わる前に優香里をむんずと掴み、ユイは再び空を駆ける。


「彼らの行動目的には幾つか候補があったけど、先日の接触と立ち振る舞いで漸く見当がついた。あの子の利用方法も」


 彼の強大な霊子核を分解し、純粋なエネルギーとして利用するのか。

 自分達の仲間、新たなカノヨビトとして籠絡するつもりだったのか。

 そのどちらでもない。彼の命を狙う割にその心身の安全を極めて優先的に守ろうとしていた。身重で余裕の無い状態でこちらから逃げつつ、レベッカを喪って尚も。校舎での襲撃だってもっと攻撃的に、他生徒諸共破壊して奪い取る事だって出来た筈だろう。

 それもしなかった。彼らのセオリーも関係するだろうが、それ以上に彼が精神的にも肉体的にも、この『現世』との繋がりが薄れてしまうのを避ける為だろう。


――だから、私にわざわざ『交渉』まで持ちかけてきたのだから。


「ユリスは、あの子を依り代としてこの『現世』の根幹に繋がろうとしている。大昔のカノヨビトが考案し実行しようとした、『理想郷』創造の霊子術の為に」

「……新しい異世界を作ろうって事か? 自分達の為に」

「そう。必要なものは術者の霊子核に膨大な量の霊子。そしてエクサ級以上の巨大な『現世』一基とそれと深く繋がる特異点……あの子の事。所在すら分からない『彼世』の聖域を目指すのではなく、いっそ自分の手で『楽園』を作ろうという事でしょうね」


 カノヨビトとして長く彷徨った末にユリスが辿り着いた、彼なりの答えなのだろう。


――それが例え、彼という存在を終わらせることになったとしても。


「由紀は……由紀はそれでどうなるってんだ」

「――ユリスは恐らくあの子の魂も尊重しようとはしている。だけど彼が発動しようとしている術は自殺行為に等しい。上手くいったとして新しい世界に連れていかれるか、そうでなければ存在そのものが消えてしまう。……つまり、死ぬ」


 死ぬ、の言葉を聞いて優香里は真っ青になった。


「ふ……ふざっけんな!! そんな勝手な事させて――」




「させない。絶対させないから。――私の全部に代えてでも」




「!」


 優香里が叫び終わる前に発せられたユイの言葉は、静かながら不思議なくらいに強く響き渡った。


「『あの子の幸せな日常を守る』。それが私に課せられた契約であり、約束だから」


 優香里をしっかり抱きかかえたまま走り飛ぶ。急いで。急いで。周りの景色は商店から住宅街、そして建物同士の感覚が広くなり郊外の様相を呈していく。


「……あのさ、ユイさん」


 真剣な表情で前を見る彼女に、優香里はおずおずと口を開く。


「――ユイさんなのか? 結実に手をかけたの」


 明人も考え至った、聞くのも恐ろしい事。それでも確認しなければならない事。


「……………………」


 応答はなく、沈黙。しかしそれは肯定しているも同義だった。

 しかし、優香里はあえて聞く。


「……答えられない?」

「……………………ごめんなさい」


 優香里は聞こえるか分からないくらいの小さな声で「そっか」と呟く。

 暫くの間、ユイの霊子式の足場を蹴る音と風を切る音だけが二人の間を取り持った。

 やがて、優香里が溜め込んでいたものを全て排出するように、大きく息を吐いた。


「…………はぁ。やっぱりなぁ、おかしいと思ったんだよ。結実が簡単に死ぬなんて」


 進む足は止めないまま、ユイは初めてきょとんとした顔をした。


「……やっぱり、とは?」


「アイツはな、そんなヤワじゃないんだ。昔っから由紀の前だとそりゃー大人しく良い子ぶって見せてよ。良妻賢母でも気取ってる感じ。……だのに、由紀の目が届かん所じゃどうだ、兎に角我が強くって我儘! おまけにありえんくらい馬鹿力で由紀に近づく気に入らんもん全部ブチ壊すって、そりゃあ暴力お転婆女さ。あと乳でけえのムカつく!」

「……思ったより、問題児だったのね。神城結実」


 先程までの陰鬱な空気から一変、堰を切ったようにまくし立てる優香里に、立場上何と返していいか分からないユイは珍しく歯切れ悪く言う。

 優香里は悪戯っぽく「だろー?」と笑った後、そのままじっとユイを見る。


「そんな奴だからよ。アイツは絶対、由紀を置いて勝手にどっか行っちまったりなんかしねぇんだ。例え巷の連続殺人鬼野郎だか、……異世界から来た奴だか、どんな奴に襲われたってくたばりゃしない。私が一番に認めた女だからな」

「……………………」


 優香里は切なげに、しかしどこか誇らしげにそうこぼす。自身を運ぶユイを見つめる瞳に敵意は無く、ただ真摯に訴えかけるようだった。


「もし、それでも結実が生きるのを諦めるようなことがあったなら……それは、そんなアイツでも仕方ないなって思っちまうくらい、強い『想い』があったってことだ」

「……イズミさん」

「私はそれ、尊重しようと思う。だからユイさん、アンタにこれ以上の事は聞かない、気にしない。今、由紀を私以上に必死に救おうとしてるアンタを信じる」


 周りの景色から何時しか民家の数が少なくなり、向こうには港、そして巨大な金属の煙突や建物が無数に並ぶ地帯に差し掛かる。

 ユイはやや手前で地上に降り立ち、優しく下ろした優香里に向き直る。


「……私はカノヨビト、『桜華の亡霊』。本来はこの世界に居てはならない『彼世』の裁定者。この先に居る者達もそう。これより速やかに彼らを殲滅し、あの子を助け出す」

「あぁ」

「結界を張り、今後の『彼世』からの干渉を全て遮断する。その後の、この私への裁定はあの子に一任している。どういった判断にせよ、それでカノヨビトも皆消える」

「…………あぁ」


 出てきそうになった言葉達を飲み込み、優香里は首肯する。


「――だからその後。あの子の事をお願い。ナツメさんと共に」


 言われるまでもない、その言葉はやはり飲み込み、優香里は満面の笑みを浮かべる。


「ん、任せとけ!」



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