1.34 戦いの狼煙
三月二十四日、午前五時。目覚まし時計が鳴る前に由紀は目を覚ます。まだ朝は肌寒い三月下旬の今日、それでも由紀は素早く布団から出て階段へ向かい、僅かな希望を抱いてリビングに向かった。
薄暗い其処には、当然のように由紀以外誰も居ない。
「……ユイ」
あの日から数えて三日。三度の朝で三回とも同じ景色だった。
由紀は台所の冷蔵庫のドアを開け、ペットボトルのお茶をグイっと飲み、大きく息を吐いた後、思い立ったように自身の両頬を数度強く叩く。
「しっかり、しなきゃ」
僅かに涙が滲む目で冷蔵庫の棚を、台所に並ぶ鍋や皿を見る。そこには由紀がここ三日間で作った手料理があった。日持ちするものを中心に作ったそれは、由紀が自身の心のモヤモヤを少しでも軽減し前を向けるようにと無心で制作したものだった。
そして何より、あの子が何時帰って来ても良いように。
炊飯器からご飯をつぎ、作り置きしたそれらを次々と口に運び入れた。由紀は基本的に料理を作る方が好きで、見た目通りむしろ小食で胃も小さい筈だったが、今日の朝に限ってはやたらと食欲がわき、自身の料理ながらやたら美味く感じていた。
手を合わせた後、本来の日常通り手早く片付け身支度を整え玄関に向かう。
今日は月曜日、学校がある日。
木曜の騒動から今日に至るまで、自分の置かれた状況から考えて本当は行くべきでもないかもしれない。しかしそれでも。
「いってきます」
今日、色んな決着が着くから。由紀にはそんな強い予感があった。
金曜日から今日にかけて、舞之宮市は静かな緊張感に包まれていた。
先の舞之宮高校で起きた騒動に加え、土曜の早朝に市内の路地裏で見つかった三人の男の遺体。これまでの被害者や事件現場から得られた証拠物等から連続殺人の犯人グループと目される者達が、更に別の何者かに揃って射殺された状態で発見されたのだ。
同一のグループ内での仲間割れか。用済みの実行犯を始末した主犯が居るのか。はたまた完全に別組織との抗争か。テレビでは朝から晩まで一日中報道、議論されワイドショーのコメンテーター達は緊迫しつつも視聴者の興味を煽るように色めきだっている。
由紀が舞之宮駅に到着し、校舎に向かうまでも忙しなかった。道中で地元のメディアはおろか、全国から集まった報道チームらしき集団を幾つも見かけた。インタビューに応じる人達も複数。そのような異様で緊迫した空気だからか、由紀と行き先を同じくする生徒達の会話も報道の話で持ちきりだった。
先週ユイとレベッカの戦闘で酷く荒らされた校舎は教員や事務員、大人たちの尽力でどうにか表向き問題無く修繕され片付けられていた。破損した壁や窓にはブルーシートの覆いで隠されており、どうしようもない区画は立ち入り禁止を示すロープで道が塞がれている。幸い学期末であり、卒業式も期末試験を終え終業式までの補習期間に入っていたので教室が使えない生徒を他に割り振り、残りの授業を乗り切る事に決定したらしい。
「……しっかし、そこまでせんでもこのまま早めの春休みにしちゃえばいいのになぁ」
「だよな。どうせもう自習ばっかだろうし。だりー……」
「もう、不真面目なんだから。……私はそれより、誰も怪我無くて良かったよ、本当に」
「な。そういえば俺、登校ん時にアナに声掛けられちゃったよ。それでさ――」
午前の授業と昼食時間が終わり、由紀のクラスは午後の自習時間に突入していた。本来の授業を受け持つ先生は学年主任も務めているので、恐らく事後処理と今後の対応に追われているのだろう。正直授業どころではない心境の由紀にとっては考えをまとめる時間としてありがたかった。
「にしても、ユイさん何処行っちゃったんだろうな。本当に心当たり無いのか、由紀」
「……へ、えっっ!?」
机を互いにくっつけ自習をしている風にしていた由紀の心を見透かすように、向かいに座る明人は教科書に目をやりながら唐突に問いただしてきた。
「いやいや、いつの間に二人してモール外に出てたかと思えば帰ってきたのはお前だけ。ユイさんは用事の為にそのままサヨウナラ……いくら何でも不誠実だろ。そんな人にゃ見えなかったけど?」
「……分かんないよ。僕にも」
あの日、路地裏であった出来事と知った事実。由紀は誰にも話せないでいた。そのまま上の空で帰り、とっくに快復していた優香里と明人にただ「ユイは今夜はもう家には帰らない」旨だけを伝えた。二人とも当然納得していないようだったが由紀のただならぬ様子にそれ以上の追及は避けてくれていた。
しかし明人も、これ以上の無視は耐えきれなかったらしい。
「あの後、ユイさんと何か喧嘩でもしたのか?」
「してない、よ。喧嘩なんて」
「ユイさんはお前を守るのが一番の目的なんだよな。それを何で放っておくような行動をするんだ。わざわざ距離を置く理由は?」
「ユイにとって僕は別に特別じゃないよ。ただ、仕事をしているだけで」
「……あの夜、帰ってきた時のお前、大分服も汚れてたよな。商店街の向こう、例の路地裏がある方から帰ってきたように見えたけど。なぁ、由紀?」
「…………気晴らしに散歩した帰り、こけちゃっただけで」
「由紀」
「……はい」
一瞬だけ二人の間に張り詰めた空気が流れる。しかし、先に明人の方が一周回っておかしくなったように吹き出した。
「お前ってば、実は意外と嘘つきだよな。自分の為につくとてんで下手だけど」
「…………ごめん」
「いいよ。そういうところもお前の良い所だから。俺は好き」
明人はそう言って笑いながら申し訳なさそうに縮こまる由紀の顔を見て、ふと何かを考え込むように頬杖をついた。
「なぁ、由紀。あんまり俺が何か言うのも違うかもしんないんだけどさ」
何処か言い辛そうに、それでも明人は言う。
「……もしかしたらユイさん、結実ちゃんの事で何か知ってたりするのかな?」
「えっ!?」
再び素っ頓狂な声を出した由紀の反応は明人に答えを提示しているようなものだった。
「……言えないような事か?」
「……………………あの。……ごめんなさい、言えない」
明人は小さく「そっか」と呟いた後、また言葉を悩むように俯いた後、由紀に言う。
「実はあの日さ。お前が席を外してる時にユイさん、俺に色々聞いてきたんだ。お前の事と、お前の周りの事。……そんで、結実ちゃんの事」
「え」
「その……勝手に言うけど、どうも優香里さんにも同じように聞いてきたらしい」
「ユイが、明人と優香里姉ぇに? ……何て」
ユイに対する不義理を感じ気まずそうな様子の明人は、静かに答えた。
「――結実ちゃんが居なくなって、時間かかってでもお前が立ち直れそうかって。お前が前を向いて生きられるように支えて守ってくれるか、とか。無表情のまんまだったけど、滅茶苦茶さ、こっちが慌てちまうくらい心配そうにしてた」
「――――――――」
――――ユイ。
由紀は声こそ出さなかったが、駆け巡る感情を抑えるように胸にギュッと握り拳をあてた。明人は少し気恥ずかしそうに目を逸らす。
「安心させたくってさ、俺は言ったよ。『由紀はああ見えて俺の知ってる奴で一番強い奴なんです。今は辛くたって絶対立ち上がるから大丈夫です。……当然俺もアイツの近くで引っ張るつもりだから』ってさ。……優香里さんもやっぱり同じ感じに宣言したって」
思い出したかのように明人は微笑む。
「そしたらさ、ユイさん。やっぱりこれまた無表情のまんまだったけど。『ありがとう』って……すっげぇ安心したような顔してた」
由紀は心底後悔した。
結実を傷つけ、自分をも襲った犯人の男達の姿。
彼らから自分を助けた、自分の命を狙うユリス。
そして本人の口から告げられた、ユイが結実を殺したという、一つの真実。
自身に突然畳みかけるように訪れた情報の波に圧し潰されてしまっていた。
しかし、あの路地裏に辿り着くまでに巡っていた想い。短い時間とはいえ、ユイが自分に向けていてくれたモノ。今しがた明人から聞いた話も重ね合わされる。
きっと彼女は何も嘘はついていない。自分の大切な人を殺した人。そして自分に断罪を求める『彼世』の裁定者。
でも。
――ユイ。君ともう一度と向かい合わなきゃ。
しがみついて止めてでも、無理矢理にでも問わなければならない。
彼女に負わせる贖罪の事ではない。彼女の真意を。
「明人、教えてくれてありがとう」
「ん。……本当は良くないよな、これお前に言うの。ユイさんに」
たはは、と笑う明人を見て由紀は首を振る。
「それだったら、僕もだよ。……明人や優香里姉ぇに隠し事してる」
言葉には詰まる。だけど二人だって知るべき事をこれ以上に黙ったままにする事は、由紀にはもうできない。
「……明人、実はね。ユイ。ユイは――――」
意を決したように由紀は切り出す。
「――んぁ? 何あれ、人?」
その背後、窓際の席でぼーっと外を眺めていた男子生徒が声を上げる。
「……へ。え? アレ? え!!」
ほぼ同時に外に目を向けていた女の子が素っ頓狂な悲鳴を上げた。
そして。
「――――――――由紀っ!!!!」
由紀の肩越しに窓の向こうを見た明人が、血相を変えて飛び出した、その瞬間、
――――――――ガシャァァァァァン!
凄まじい爆発音と衝撃が二人を襲い、外を振り返る間も無く由紀は吹き飛ばされた。
「――迎えに来たよ、ユキ君」
一瞬で瓦礫と化した教室の床に降り立ちながら、ユリスは笑顔でそう言った。
「……ユリ、スさん」
クラスメイト達の悲鳴や叫び声が上がる。衝撃に少し耳をやられたからか、不思議と遠くから響き渡る印象だった。フラフラとする頭でユリスを見、そして血の気が引く。
「――――――――明人!!!」
自身を抱き覆いかぶさる形で倒れ伏す明人は、由紀の返事にも応じず固く目を閉ざしたままだった。吹き飛んだ破片で血が滲んでいる箇所もある。
「大丈夫だよ、気を失ってるだけだ。……勇敢なお友達だね」
明人を一瞥したユリスは、由紀を安心させるように優しく呟く。とても今しがた教室を諸共吹き飛ばして乱入してきた者とは思えない、人の好さそうな表情だった。
「他の子も大丈夫さ。……にしても、結局最後はこんな乱暴な手で攫いに来て我ながら恥ずかしい。しかし、こうでもしないと意表もつけないものでね」
ユリスは微笑みを絶やさぬまま、「さぁ」と由紀に手を向ける。初めて廃ビルで出会った時のように恭しく品のある佇まいで。
「サクラ・ユキ君。我が悲願の成就の為同行を願う。出来る事なら、君の大切なお友達をこれ以上傷つけない内に」
柔らかな口調から出る、確かな脅しだった。由紀は蒼白の顔のまま辺りを見回す。クラスメイト達は既に必死で逃げ出した者も居たが、足がすくみその場から動けず震える者、激しく動揺しながらもユリスを睨みつけ他の子の前に立ち塞がる者も居た。
何より、目の前の明人。落ち着いて様子を見ると、やや荒いが息もある。頬を拭うと僅かに反応もあった。ユリスの言う通り命に別状は無さそうだった。
――まず、僕が皆から離れなきゃ。
由紀は軽く明人の頭を抱き締め、なるべくゆっくりと明人の身体を振りほどきひび割れた教室の床に寝かす。そのまま立ち上がり前に進む。
「あぁ。助かるよ、ユキ君。手を取って。すぐに飛び立つよ」
差し出された手のひらに由紀はゆっくりと手を伸ばす。
「さぁ――――」
その瞬間、
――――――――ダァァン!
「……え」
先程より更に大きい爆音。由紀にとっては既に聞き覚えのあるそれは銃声音だった。
「――――ユイ!?」
音の主である光の弾丸は、廃ビルの時と同じようにユリスを、しかし今回は正確に胸の位置を捉えそのまま彼の身体を空中に吹き飛ばした。辺りには血しぶきと、それに混じって青白い霊子の粉が撒き散らされ、二度目の悲鳴が響き渡る。
「…………ふ」
しかし、身体に大穴が空き宙に舞ったユリスの顔は、まるでしてやったりとでも言わんばかりに喜色満面に溢れていた。
「……………………」
校舎から校庭を跨いだビルの屋上、白銀に輝く巨大なライフルのスコープ越しにユリスのその様子を見たユイは一言、
「――――――――やられた」
「……はい。隙あり、です」
ユイの独り言に応えるようにアリアは何処からともなく眼前に迫り、メイドらしからぬ暗い表情のまま、霊子を帯びたナイフを振り上げた。
郊外で遠く響き渡る破壊音を背に、ユリスの損傷した身体は俄かに輝き始め、まるで脱皮をするように新しい身体が現れる。由紀が数度瞬きをする頃には数刻前と寸分違わぬ微笑みを浮かべたユリスが立っていた。
「さぁ、急いでユキ君。――共に行こう、我が『楽園』へ」




