1.31 公爵の思惑①
「……あ?」
路地の入口から唐突に響く、柔らかく澄んだ男性の声。由紀に触れる直前だった手を空中で止め、佐々山は血走った瞳を声の方向へ向ける。野田と坪川も同じように。唯一その声の主に心当たりがあった由紀は遅れて顔を向け、ハッと息を呑んだ。
ユリス・フォン・アドラヴァイス。この世界の者ならざるカノヨビトにして、由紀の魂を狙う男は、いつの間にか音も無く一同の前に立っていた。
「――――ぁ」
「……なんだ、お前」
先程まで感じていた恐怖とも違う、理外から来る危機感に由紀は寒気を感じ、どっと冷や汗をかく。佐々山達は当然ユリスの事を知らない様だったが、暗く鬱屈とした路地裏におよそ似つかわしくない彼の出で立ちと気配に只事ではない何かを感じ取っているようだった。柔和な笑みを浮かべながら男達に向ける眼差しには冷たい殺気があり、それに慄いた様子の野田は「ひっ」と由紀への拘束を解いて後ずさりする。
「情けない声出さないでよ、野田ちゃん。……えー、あー。近くの店のホストさん、か何か? 騒がせちゃったかな?」
「いや? ただの散歩さ。この街には来たばかりでね。連れと居たんだがあれこれ散策している内にはぐれてしまったところさ」
「あはは、じゃあ今一人? 危ないよぉ、お兄さん。ここんとこ物騒みたいだし」
坪川が作り笑いで話しかける後ろで、佐々山は怯える野田に目配せしつつ暗い表情でユリスの前へ歩み寄る。更にその影に隠れるように野田が立つ。後ろ手に隠し持つのは先程まで由紀に向けていたナイフ。気弱そうな外見に似合わず動きに淀みがない。
戸惑いはしたものの佐々山達の行動は冷静で早く、迷いが無かった。さりげなくじわりじわりとユリスに近づき退路を塞ぐ。
「僕達もねぇ、夜遊びの子供を送ってあげる所だったんだ。安心させたくって」
「あぁ、そう。ふふ、親切な事で」
「でしょ? ……お兄さんも、こんな路地裏に居ちゃダメだよ」
まさに今から由紀に手をかける現場を目撃されたのだ。当然この妙な男も逃がすわけにはいかない。身なりから金銭にも恵まれていそうなのも、今の彼らにとって都合がいい。
この男達、舞之宮の連続殺人犯はこれまでもそうして来たのだ。この舞之宮に訪れてからも、その前も。類い稀なる手際の良さと行動力、敏感な危機察知能力を以て警察の捜査の手を逃れてきた。その上で気のままに襲い、奪い、犯し、殺してきた。
今からやる事も同じ。前回の失態によりこの街での仕事はこれが最後になるだろう。この軟弱そうな優男を瞬殺し金品を奪い、後ろの上玉でしこたま肉欲と鬱憤を晴らす。
それで終わり。それが彼の生き方であり日常。
「……なぁ、おい。ホスト野郎。そこ動くなよ」
佐々山のドスの利いた声が静かに響く。坪川は張り付けた笑みで、野田はおっかなびっくり弱弱しい表情のまま、位置につく。
そして、佐々山の小さな合図とともに坪川、野田が素早くユリスに飛びかかり、
「――――――――っ!?」
一瞬だった。突如一同の間に眩く光る、淡く白い閃光。
ユリスは襲い来る二人の間をするりと搔い潜り、目を見開く佐々山の眼前に迫る。その右手には、一体何処から手にしたのだろう、白銀色の西洋剣を握りしめ、切っ先を佐々山ののど元に突き付けていた。
「……悪いのだけど、もう向こうに行ってくれないかい? 出来れば同じ空気も吸いたくもないんだ。君達のような下衆の」
囁くように静かなユリスの一言には、確かな殺意と重い圧があった。顔全体にどっと冷や汗を浮かび上がらせた佐々山は、それでも次の瞬間には、
「――――走れ!!!!」
大声で叫び、弾けるように路地裏の闇へ走る。呆気に取られていた仲間達も、数瞬後には同様に駆け出し後に続く。
時間にして数秒の出来事。後に残るは、呆然と座り込む由紀と、静かに佇むユリスの二人。闇の向こうでけたたましく聞こえる足跡も次第に遠くなる。
「……うん。流石に世間を騒がせている連続殺人犯だ。清々しい程に判断が早い。逃げ先も追跡し辛いルートを直感で選んでいるようだし。いやはや」
ユリスの何処となく呑気な感想を聞いて、由紀は漸く我に返る。
「……っ。ま、待って!」
「よすんだ。君が追いかけてどうなるんだい? 彼らを裁く?」
「それは……」
「さっきは君に危害を加えようとするから私も割って入った。だけど本来必要以上にああいう手合いに関わる柄じゃないし、目に入れておきたくも無いんだ。だから追いかけるんだったらユキ君一人でだ。……何かできるのかい?」
そうだ。何もできない。警察を呼ぶ? 無理だ。仮に呼べたとして到着する頃にはきっと彼らは遠くまで逃げ切ってしまっているだろう。じゃあ今から一人で追いかけて何とか捕まえる? もっと不可能だ。それどころか先程ユリスが来なかったら今頃自分は――。
そこで今更ながら、由紀は自分が新たな危機に瀕している事を再認識する。ユリスは手にしていた剣を手品のように消し、先程と打って変わって人の好さそうな微笑みを浮かべて由紀の前に立っている。ユイと同じ異界の住人にして、今は己が目的の為に由紀の魂を狙っているという彼が。
「……逃げないんだね。私から」
身じろぎする程恐怖を感じながらも、すぐに彼から逃げなきゃと理解しながらも、由紀は背を向けたりせず、ユリスと向かい合っていた。やがて思い立ったようにその場にしゃがんで、先程坪川に荒らされ散らばった荷物を集める。そして幸いにも開けられていなかったバッグの内ポケットに手を伸ばし、そこから取り出したものをユリスに差し出した。
ひび割れた、オレンジ色の宝石を。
「――レヴィ」
「……はい。彼女を、ユリスさんに渡さなきゃって。何時でも大丈夫なように」
笑みが消え目を見開くユリスに、由紀は小さな声ではっきりと伝える。
「レベッカさんから貴方とアリアさんに伝言があって。……ごめんなさいと、ありがとうって伝えて欲しいって」
「…………あぁ」
俄かに泣きそうな程辛い顔をするユリスに、由紀は慌てふためいて言葉を続ける。
「あ、あの! ユイが僕にレベッカさんを預かる事を許してくれたんです。ユイも撃ちたかった訳じゃなくって、でも僕を助けるために咄嗟に。だから、僕が……」
「あぁ、あぁ。大丈夫。分かっているとも。……ありがとう」
由紀から手渡されたレベッカの霊子核を、ユリスは本当に、心から本当に大切そうに上着の内側にしまい込む。軽く目を拭い、先程までの笑顔に戻った。
「ユキ君は、本当に優しいね。私の立場で言うのも何だが、危なっかしい程に。いや、だからこそこの素晴らしい世界の特異点なのかな」
「僕……そんな凄いものじゃないです。普通の学生で。普通に生きていて」
「いいや。大した存在だよ。世界の均衡の為とはいえ、あの『桜華の亡霊』がここまで積極的に人前に出てまで守ろうとしているなんて、長く生きている私も聞いた事が無いくらい珍しい事だからね」
そう言いながら、ユリスは由紀の服についた汚れを軽くはたいて丁寧に落とす。
「ユイ……」
こんな自分をそこまで気にかけて守ってくれた彼女。
そんな彼女に言い放った言葉を思い出し、由紀は再び落ち込んだように項垂れる。
「喧嘩かな? ……さっきも何やら謝っていたようだったし」
「え?」
「あの男達に囲まれていた時、言ってたよ。『ごめんなさい』って。彼女に向けての言葉だったんだろう?」
その時から見ていたのだろうか? そもそもあのタイミングでの登場。もしかして一日中監視していたのかもしれない。それはさておき。
「探さないと。それで、謝らないといけなくて。……でも」
なんと言って良いのか。謝罪は当然として、自身の願いはどうすれば。
延々と悩む由紀の様子を見かねたユリスはほんの少し考え込むように顎に手を当てた後、笑顔で覗き込むようにして言った。
「……良かったら少し、一緒に歩かないかい? 話したい事もあるし」




