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ユアハート・マイリーズン  作者: 八武希幽水


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1.29 失意と決裂

 ほぼ気絶したようにぐったりとしている優香里は明人に任せ、由紀はユイに外の空気を吸わせる為に、未だ顔が赤くフラフラした足取りの彼女を介抱しながら屋上に向かった。ショッピングモールの屋上エリアには人工的に植えられた木々に囲まれた公園スペースが設置されており、ショッピングに疲れた人が一休みできる場所となっている。地上の喧騒や眩い街明かりを眼下に、歩行路沿いに並んだライトと夜空の月が淡く照らす新緑の空間は、舞之宮庭園と似て非なる不思議な雰囲気を漂わせていた。


「大丈夫、ユイ? だから無理しちゃ駄目だって言ったのに」

「……全く問題無いわ。美味しかったし」

「もう」


 気丈に振る舞うユイの顔はまだ赤い。エリア端の手すりにもたれかかるユイの背中を由紀は時折なでつつ、先程自販機で買ってきた甘めのリンゴジュースを差し出す。ユイはそれを両手で受け取りこくこくと喉を鳴らしてジュースを飲んだ後、漸く落ち着いたと言わんばかりに深く溜息を吐く。その姿は今まで見せてきた中で一番普通の人間らしい姿であり、由紀は思わず吹き出して笑った。


「なぁに」

「ごめんなさい、つい。ユイって意外と負けず嫌いだったんだなって」

「そんな事は無い、けれど。いえ、どうだろう。戦いには負けたことは無いし。そもそも勝負なんてする程人と関わる事も……うん」


 自問自答するようにウーンと考え込むユイに、由紀はまた笑う。二人しかいない屋上公園に、春を迎えたばかりの涼しい夜風が休憩所にふわりと優しく吹き込む。


「優香里姉ぇはさ、勝気だから、何かある度に勝負したがるんだ。喧嘩でもゲームでも、テストの順位とか、それこそ今日みたいな大食い勝負みたいに」

「……あなたの『姉』を自称する割に、子供みたいな人なのね」

「あはは、そうだね。そこが僕の好きな所でもあるんだけど。それにしても『炎獄亭』であんなに食べて負ける優香里姉ぇは初めてだったな。辛いものが苦手な結実と勝負する時なんて何時も余裕綽々で――」


 笑いながらそう話していた由紀は、そこでハッと我に返ったように口をつぐむ。


――あぁ、僕はまた。


 今日だけで何度目だろうか、この気まずい空気は。明人も、在子も思わず結実の名を口に出しては、何よりも由紀に申し訳なさそうにしてくれていた。そんな姿を見ていたというのに、自ら切り出してしまうなんて。それも関係の無い他人に。

 再び涼しい風が屋上に吹き込む。ユイは綺麗な桜色の髪をたなびかせ、風の冷たさを味わうように目を閉じる。そして小さく「そう」と呟いた。


「この舞之宮市も、カミシロ・ユミとの思い出で一杯なのね。桜美丘市と同じように」


「……それは」

「今日一日、案内してもらって良く分かった。あなたを育む街と人、世界の在り様。類い稀な大きさの『此世』の、取り分け強大で特別な『特異点』であるあなた。あなたが穏やかに育まれ、幸せな日々を過ごすに足る居場所である事。十分に見て取れたわ」


 瞼を開け、ユイは地上で光り輝く街の夜景を赤い瞳に映す。


「素敵ね、あなたの『世界』は」


「う、ん」


 由紀はそう生返事を返す。感慨に耽るような、何か得心したかのような、そんなユイの心持ちが分からなかった。


「だから」


 そして、困惑の表情を浮かべたままの由紀に、ユイはゆっくり向き合い、告げる。



「――カミシロ・ユミの事は、今日でもう忘れなさい」



「……え」


 ドクン、と心臓の高鳴る音がした。目を見開く由紀に、ユイは静かに続ける。


「身の回りの人も、ものも、環境も。世界を取り巻く霊子はあなたを守り、健やかに生きられる方に働きかけている。だけど、肝心のあなた自身がそうでない。今のあなた、普通に生きる意志が無い。」


「そんな事! ……無いよ、僕は、絶対に」


「――カノヨビトは」


 慌てて否定する由紀の言葉を遮るように、ユイは首を振る。


「強い力を持ったカノヨビトは、『現世』に存在する人の役目、在り方、辿るであろう運命が、……そしてその人の意思が、直感レベルで感じられるようになる」

「……ユイには、僕の考えてる事とか、全部分かるって事?」

「そんな都合よくすべて見える訳では無いけど、ある程度は。……信じられないかもしれないけど」


 由紀には心当たりがあった。あの日、アリアに再会した時にかけられた言葉。


――分かっていました。佐倉様にとって良からぬ事が起きる事。負の因果律線。


 そして、当の由紀自身が体感した、強く印象に残ったあの光景。

 レベッカに命を狙われた際、霊子核を通して見えた、レベッカの過去の記憶。彼女だけの筈の、大切な風景。ただの人である自分に、それが見えた。


「あなた、ずっと良くない事を考えている。美味しいご飯を振る舞ってくれた時も、街案内をしてくれた間もずっと。一体何を期待しているの?」


 全てを見透かしてくるような瞳を向けるユイに気圧されながらも、由紀は重い口を開く。


「……ずっと、気になっていた事があるんだ。ユイ」


 カノヨビトに関して、一番肝心な事。その存在の拠り所であろう部分。


「ユリスさん達が言っていた場所」


 由紀が一番聞きたかった事。だけど恐らくユイも話題にする事を避けていた事。


「カノヨビトの皆が目指す『楽園』は」


 そして、今の由紀にとって最も重要で、最も怖くて、最も欲する情報。



「――全ての願いを叶えられる神様、『彼世の女神』は本当に居るの?」



 屋上に吹き抜ける風にかき消えてしまいそうな程の声。しかし由紀の震える小さな唇から紡がれた言葉は、確かに目の前の少女に届いていた。


「……………………」


 ユイは、ただ黙って由紀を見つめる。変わらずの無表情だったが、由紀を映す宝石のように紅い二つの瞳は僅かに揺れているようだった。


 やがて彼女は、少し俯きながら、ゆっくりと告げる。



「――ある。カノヨビト達が追い求める楽園、『ヱディ・カナディア』。そこに居るとされる『彼世の女神』は、確かに実在する」



 ドクン、と由紀の心臓が再び震える。先程より強く跳ねるように高鳴り、高揚に似た感情が溢れ出る。逸る気持ちを抑えながら、由紀は囁くような小さな声で問いを重ねる。


「誰か、辿り着けた人は居るの? 楽園に。……女神様に出会えた人は今までに」


「本当の意味で到達出来た者は居ない。……私が知る限りは。だけど長い彼世の時間の中で、楽園に限りなく近く迫った者は何人か居る。だから存在は保証できる」

「願いは。何でも願いを叶えられるというのは、本当?」

「……およそ、人が思いつく内容なら可能でしょうね。アレは」


「じゃあ!」と、最早なり振り構わず食い入る様子で由紀は最後に問いかける。


「人を。人を、生き返らせる事は?……できる、の?」


 絞り出すような声で出されたその問いに、ユイは目を細める。その顔は何処か怒っているような、哀れんでいるようであった。しかし、彼女は静かに答える。



「――できる。前例、あるから」



 それを聞いた由紀は目を大きく見開き、絶句した。しかしそれは悲嘆や絶望などといった負のモノではない、真逆の感情。ユイに向ける由紀の表情は、本人でも分からない程狂喜と狂気に満ちた笑みだった。

 思えばあの日、ユイに会った時から、何となくそれは感じていた。

 結実の死に絶望していた中で、自分の知らない世界がある事。『彼世』とカノヨビトという、自身のこれまでの人生では絶対あり得ない現象や出来事を生み出す存在を知った時から、由紀は無意識にその可能性を見出していた。


「……ユイ、もしさ。もし、『楽園』を目指すのなら」


 ユリス達に襲われる中で『楽園』と『彼世の女神』、その可能性の具現化とも言える存在を耳にして、そして今信頼できるユイの口から確証を得た。


「万が一にでも、そこに辿り着けて、願いが叶えられるなら。ユイ」


 であればもう、由紀に他の選択肢は思いつかない。それがどんなに困難で恐ろしく、そして何より今の自分の世界を、他の全てを捨てなくてはならないとしても。

 彼は一切も迷わない。





「僕、僕もカノヨビトになるよ。それで結実を――――――」





 由紀が決死の想いで放った言葉の続きは、



「そこから先は、絶対に許さない。……たとえあなたでも」



 いつの間にか手にしていた白金の銃を由紀の額に向けながら、恐ろしい程冷たい目で睨むユイによって阻まれた。


 押し付けられた銃口、その冷たい金属の感触にそれまで高ぶっていた由紀の心は一瞬で凍り付き、思わず「ひっ」と小さく悲鳴を上げてその場にへたり込む。そんな彼に冷たい視線を送りながら、ユイは静かに銃を下ろす。銃の周りに淡い桜色の魔法陣が浮かんだかと思えば、次の瞬間には跡形も無く霧散していた。


「私は『彼世』の裁定者。そこに浮かぶ数多の『現世』も含めて、世界の安定と秩序を守る機構。そう教えた筈よ。その私が理外の塊のようなカノヨビトに自ら成るなんて事、冗談でも認める訳がない。まして、あなたのような特異点に」


 あり得ないわ、と言わんばかりにユイは首を振る。由紀は先程向けられた殺気に対する恐怖も冷めやらぬまま、震えた声で尚も食い下がる。


「……でも、『楽園』はあるんでしょう? 願いを叶えられる『彼世の女神』も。カノヨビトになって、ほんの少しでも可能性があるなら、結実を取り戻せる可能性、が」

「カミシロ・ユミは、死んだのよ」

「――――っ」


 冷酷に告げられた真実に、由紀の身体がビクッと硬直する。一瞬だけ瞬いた希望の光がすぐにまた消え暗黒の中に叩き落されたようだった。そんな由紀の様子にユイは怒気を帯びていた表情を緩め、元の無表情のまま深く溜息をついた。


「……死んだ者が生き返る理は、この世界には無い。それは殆どの『現世』でもそう。万象悉く何時か滅び消え去ってしまう。たとえそれが唐突で不条理なものであってもよ」


「でも」と、ユイは続けながら、しゃがみ込む由紀に手を差し伸べ優しく助け起こす。


「あの日、あの桜の前であなたと出会った時、こうも言ったでしょう。『真の想いは決して滅びない』、と。あの時、あなたが私に吐露してくれた言葉には確かにそれがあった。彼女には、カミシロ・ユミにはそれでもう十分だわ。……私はそう思う」

「……そんな。そんな、想った言葉だけで。ちゃんと伝えられても無いのに」

「それが一番大切な事だから。……彼女は幸せ者だ。あなたのような子にこんなにも強く、深く想って貰えたのだから。死者に対しそれ以上のものなんて何も無い」

「……………………」


 ユイはなおも無表情だったが、掛ける言葉の声色はこれまでに無い程優しく、心からの本心である事は明らかだった。そしてその言葉が正しい事も理解できた。しかし、それでも由紀には納得できる筈も無かった。

 堪らず涙を浮かべる由紀に対し、ユイはするりと両手を由紀の頬に伸ばし顔を見合わせる。互いに吐息がかかる程の距離に目を見開く由紀に、ユイは言い聞かせるように囁く。


「今のあなたが考えるべき事はあなた自身の事。特異点であるあなたが負の感情に囚われている状態はこの世界にとっても良くないし、何よりあなた自身にとってもロクなことにならない。死を悼むのは良いけど、その後は前を向いて生きなくてはならない」

「それは、わかってる! けど……」

「けど、じゃない。亡くなってまだ数日とはいえ、今のあなたは死者に意識を引っ張られすぎている。極めて危険。あなたがさっき口にしかけた事は万に一つも実現し得ない絵空事で、許される事でもない。馬鹿な事は考えず、……彼女の事は、忘れなさい」


 二度目のそれを聞いた由紀は思わず咄嗟にユイの手を振り払い、腕を構えたままキッと睨む。それは出会ってから初めてユイに見せた、拒絶の姿勢だった。


「なんで……ユイが、そんな事言うの? 結実の事、忘れるなんて」


 あの日、どうしようもなく悲嘆に暮れた自分を抱き止めてくれた人が、どうして。一時でも辛い現実から自分を逃がしてくれた君が、何でそんな事を。


「忘れるなんて、出来る訳ないよ。結実は僕にとって大切な……」

「幼馴染、友達。……それだけよ。あなたの長い人生のほんの一部分でしか無い」

「なっ――――」


 信じられない。聞きたくない。よりにもよって君が。

 流れる涙を拭おうともしない、酷い表情の由紀に、ユイはなおも優しく言い聞かせるように語りかける。


「昨日今日と見て聞いただけで、十分わかった。あなたにはイズミさんやナツメさん、『すみぞめ』のマスター、沢山の周りの人に恵まれている。今は悲しくても、時間が経てばそれも皆が癒してくれる筈だから。だから……」

「そんなの、絶対無理だよ! 結実は、結実は」


 何も聞きたくはなかった。ユイの発する言葉が、全て正しいと頭で理解できる真実が、由紀の心にナイフのように突き刺さる。


「あなたは優しいから、知人一人の死を必要以上に悼んでいるだけ――」

「違う!!」


 聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。そんな言葉。


「ユイには、分かんないよ」


 分かって欲しかった、君だけには。そう願っていたのに。

 そして、由紀は最早喚き散らさんばかりの顔と声で叫んだ。




「――独りでも大丈夫だって言えるくらい強いユイには! 大切な人も居なくたって良いユイには、僕の気持ちなんて分かんないよ!!!!」




 そう叫んだ由紀は、叫び終わるか否やの時点で、心の底から激しく後悔した。そして、



「――――――――――――――――」



 目の前のユイの表情を見て、由紀の後悔は数億倍に跳ね上がった。


「あ……」


 ユイは何も言わず、ゆっくりと踵を返す。フェンスの端まで歩んだ後、ボソリと呟く。


「……少し、周りの様子を見てくる。ユリス達が潜んでるとも限らないから。あなたは先に二人の元に戻っていて」


「待って。待って、ユイ――――」



 由紀の必死の静止も聞かず、ユイはそのままフェンスを飛び越え、夜の舞之宮の街に落ちていった。



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