1.28 ユイ vs 優香里
「……結局、ユイさんが探しているワルモノも、自宅待機を破る不良生徒も見つからなかったなぁ」
「ワルモノの方は知らないですけど、そんな不真面目な生徒、ウチの学校には居ませんって。優香里さんが一番知ってるでしょうに」
日が沈みかけた夕暮れの庭園の出口にて、大きく伸びをしながらぼやく優香里に明人は苦笑して答えた。一行と同じように帰り支度をする人々も多いが、この時間から庭園に入ろうとする列もある。
「んー、もう少し待ったらライトアップが始めるんだけど。流石に時間がな。折角だしユイさんにここの幻想庭園も見てって欲しいんだけど」
「いえ、夜中に大勢の人だかりにこの子が居ると私も困る。ただでさえ隠密行動に長けた連中だから。そしてこの『現世』の現地調査は十分よ。……うん」
ユイは由紀に誂えてもらった服に目を落とし、こくんと頷く。
「私としても、久しぶりに有意義な時間を過ごせた。案内してくれてありがとう、イズミさん、ナツメさん、……それに、あなたも」
「……ん、それなら良かった」
不愛想ながらも、混じりっ気のない感謝の言葉に、由紀達は照れくさそうに笑った。
「よーし、じゃあ、最後に夕飯でも食いに行くか! ここらは私の庭だからな、美味い店なら幾らでも知ってるんだぜ。ユイさんは洋風と和風、それとも中華で――」
「いいえ、このまま帰ってこの子の料理を食べる。それが食べたい」
優香里の提案は速攻でユイに拒絶された。
「……いや、いや。今から帰って作ったら遅くなるし、コイツも大変だからさ。あぁ、お金なら勿論私出すし」
「この世界で、この子の手料理に勝るものは存在しない。私は、この子のがずっと食べたい」
「ユ、ユイ……?」
頑なに意見を変えずそう言い張るユイに、由紀は次第に顔を赤くし始める。そんな意味では決して無いだろう、由紀からしてみればまるで唐突に愛の告白されているような心持ちだった。
そんな由紀の顔を見た優香里は、再びスンとした表情になり、そして今回は遂にそれでは収まらず、子供のように叫んだ。
「……だぁぁ! 頭きた。なんだアンタ。一々由紀にベタベタと、結実みたいに! いや腹立ち具合だとアイツ以上だ! あぁもう!!」
「ゆ、優香里さん。落ち着いて」
明人の静止も聞かず、怒れる優香里はビシッとユイに指をさす。
「……近くに馴染みの店がある。そこで一丁早食い勝負をしよう。見たところ大分大食いみたいだし、多少なら良いだろ。勝ったら好きにしていいさ。帰ってコイツに餌付けしてもらうなり、昨晩コソコソやってたみたいに二人でよろしくしてれば良いさ!」
「ゆ、優香里姉ぇ、起きてたの!?」
「うるせぇ、バーカ、バーカ!」
ドスドスと駅の方へ戻る優香里と、真っ赤になって問いただす由紀。取り残された明人とユイは何とも言えない表情を見合わせる。
「……賑やかな人」
「はは、本当に。……なんかすみません」
駅前のショッピングモール、その上階のレストランエリアには飲食店が建ち並び、昼夜問わず多くの人がひしめき合っている。大型のフードコートを中心に、和洋中華、ジャンクフード、各種スイーツ、果ては珍しい異国の伝統料理まで、そのジャンルは多種多様だ。
そんな中、中華エリア片隅の目立たない一画に構えられた店がある。赤と黒を基調とした禍々しい暖簾を吊り下げた小さな料亭。幼少から住み舞之宮市のあちこちを知り尽くした優香里一押しの中国料理屋。
その名も『炎獄亭』。
安値で大盛、おかわり自由。そして、超がつく激辛料理専門店だった。
「元はな、商店街の外れにあった店なんだ。ショッピングモールが出来るってなってから引っ越してきたんだ」
「土地の値段も上がったし、店仕舞いにしようかと思ったんじゃけどねえ。優香里ちゃんみたいな常連さんがあんまり言ってくれるもんじゃけぇ。ありがたいことじゃ」
恰幅の良い店主の男性が厨房から顔を出しながらにこやかに笑う。勝手を知ったように優香里は店の最奥にユイを案内し、由紀と明人は緊張した面持ちでそれに続く。
「さて、おっちゃん。由紀と明人にはいつものやつ、二元辛のを頼む。そんで、私とこの美人さんにはな……大十元辛超越無限コースの麻婆豆腐を用意してくれ」
「……ほほぉ。アレを二人も? こりゃ腕が鳴る」
一転、怪しい笑みを浮かべる店主に同じような顔で小さく頷いた優香里に、正面の席で怪訝そうな浮かべるユイは静かに尋ねる。
「……一体、ここで何を。言った筈よ、夕食はこの子の手料理が良いと」
「つれない事言うなよ。昨日今日の食いっぷりから、アンタ相当な健啖家だろう? ここで多少勝負していっても、帰る頃には腹空かせてるよ」
「勝負?」と、首を傾げるユイをよそに、店員が手際よく料理を運んでくる。由紀と明人の分はオーソドックスな麻婆豆腐定食。明るい赤色のスパイスと湯気と共に漂う独特の香りが食欲をそそる。付け合わせの餃子も含めて食べる前から美味いと分かる品だ。
「あぁ、勝負だよ、大食い勝負。ルールは簡単、今から私とアンタに同じメニューが運ばれる。内容はこいつらと同じような麻婆豆腐だ。ただおかわりは一時間自由で、その間どれだけ食べられるか、或いはどっちかがギブアップするまでの簡単な勝負だ。……それで勝った方が今晩由紀のお守りをするって事にしよう」
「ちょ、ちょっと優香里姉ぇ。だからそんなんじゃないって! ただ、ユイは僕を守るために見てくれてただけで」
「お前は何も言うな。……どうする? ユイさん、棄権しても良いけど」
そう問われたユイはちらりと横の由紀を見て、小さく溜息をついて答える。
「いいでしょう。それで『姉』の貴方が納得するのなら」
「えぇ、ユイ?」
「ふふん、そうこなくちゃ。あぁ、でも意地張って無理はすんなよ?」
自信ありげな表情を浮かべる優香里の背後から、店主が店員と共に大きな盆と寸胴鍋が乗ったカートを運んできた。ユイと優香里の前に料理を並べながら、店主は神妙な顔でお辞儀をし、料理名を告げる。
「お待たせ。麻婆豆腐定食、大十元辛超越無限コースじゃ。倒れない程度に召し上がれ」
「……………………」
濛々と凄まじい湯気を上げる皿には、赤黒い色をした麻婆豆腐がなみなみと注がれていた。グツグツと煮えたぎるそれは最早マグマのようであり、漂う香辛料の香りも嗅ぐだけで涙が出そうになる程に攻撃的だ。それを見下ろすユイは相変わらず無表情だったが、やや引きつっているように見えたのは由紀の気のせいでは無いだろう。
「ユ、ユイ。やっぱりやめておこうよ。それ、美味しいけど辛すぎて……」
「……いいえ、問題ないわ。大丈夫」
心配そうに覗き込む由紀に、ユイは安心させるように頷き答える。
「一度決めたことを曲げる、嘘と同じくらい嫌いだから。必ず食べ切り、勝つ」
「……へ、潔いな。ますます気に入ったぜ、ユイさん!」
由紀と明人、店主達が見守る中、ユイと優香里は厳かに見合い、手を合わせる。
「「いただきます」」
ユイは静かに、優香里は勢いよく箸とレンゲを手に取り、大食い勝負を開始した。
一口、二口。物凄い勢いで麻婆豆腐を口に運ぶ優香里の顔は、見る見る内に赤く熱を帯びていく。第十元辛超越無限コースは彼女にとって小学生からの馴染みの料理。しかし口に含む度に舌と喉を襲う拷問のような辛さと鼻から抜けていく火の塊のようなスパイスの風味は、例えどれだけ回数を重ねても慣れることは無い。実際にまともに食べられるようになったのも最近で、勝負が出来る程に挑戦できるのは未だに優香里を含めた数名の常連だけだ。
滝のような汗を出し、両目に涙を滲ませながら優香里は、それでも嬉々として麻婆豆腐をかきこみ、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
――勝てる。ユイさん、アンタにゃ、この辛さは無理だろう?
昨日今日の様子から、ユイが大食いであると共に、極度の甘党である事は優香里も分かっていた。アルコスペシャルをあのように易々と食べるのは、身内で一番の甘いもの好きだった結実でも無理だった。それを見越した上での勝負でもあったのだ。
早々に一皿目を食べた優香里は、店主にお代わりをよそってもらう間に余裕の表情でユイの方を見る。そして、愕然とした。
由紀が隣で目を点にして見守る中、ユイは変わらぬ表情のまま凄まじい勢いで麻婆豆腐を食べ進めていた。食器の音は静かに淀み無く、見るだけで舌がヒリヒリしそうな麻婆を一切えづく事も無く一定の間隔で口に運び続けている。お代わりをよそう店員も半ば呆気にとられた様子で三杯目をユイに差し出していた。
「ユイ、だ、大丈夫なの……?」
「……ええ、素晴らしいわね。基となる味付けがとても美味しい。劇薬じみた辛さもその旨味を良く引き出している。流石イズミさん一押しの名店ね」
「おー。綺麗なお嬢ちゃん、嬉しい事ゆーてくれるねぇ。ご飯もお代わり自由じゃから幾らでも召し上がってくれぃ」
満足そうなら店主と対照的に、優香里は焦ったように唸りながら負けじと料理をかきこむ。次第に視点が定まらぬ表情になりながらも、意地からか箸を動かす手は止めない。
そうした二人の熱く静かな戦いは一時間後、決着の時を迎える。
「……えー。優香里さん15杯、ユイさん20杯で、ユイさんの勝ち」
限界を迎え死んだように机に突っ伏す優香里を心配そうに見ながら明人が勝敗結果を宣言した。終始心配そうに見ていた由紀は感動したようにユイに笑いかける。
「ユイ凄いよ、本当に凄い! 辛いもの勝負で優香里姉ぇに勝つなんて」
「……………………」
「……ユイ?」
優香里以外の皆から賞賛の目を向けられたユイは、食べ始めの状態で固まっていた。きょとんと由紀が見つめる中、そこだけ時が止まったように微動だにしない。
そうすること約一分。
「…………………………………………けふぅー」
「ユ、ユイイイイイイイ!?」
せき止められていたものが爆発して出たように、ユイは無表情のままイチゴみたいに真っ赤に顔になってその場に卒倒した。




