第3章13 おにごっこ
おまたせしました。更新再開します。
ここはうさちゃんが指差した曲がり角の先、路地裏。先程まで降り注いでいた太陽の光は無駄に突き出た屋根に阻まれ、その影を落とす。
足元にはいくつものゴミが無造作に散乱している。どれだけの長期間放置すればと言うほどの臭いがフレルたちの鼻を刺激する。
暗くて薄ら寒いこの場所には、いつしか降った雨の痕跡が今も残っている。
いくつもの水たまりを踏みながらフレルは走る。こんな場所を進むには不相応な靴で、飛び散った水滴が生足を濡らすも気に止めず。
「どうして?」
珍しい、うさちゃんがこんなにも興味を持つなんて。そんな言葉は思った通りに出ず、フレルの咳に置き換わる。走りながら喋るのは辛いものだとフレルは他人事のように思う。
フレルたちは今、一人の少女を追っていた。うさちゃんが指差した先にいた子だ。その幼い顔立ちに少女とは言っても、背はそこそこ高い。フレルとうさちゃんを縦に並べたくらいだろうか。
フレルたちと目が合った少女は逃げるように走る。ボロボロの服をたなびかせて、泥に足を取られ脱げそうになる靴にふらつきながら。
穴の空いた服の隙間から覗く素肌は所々に傷跡がある。痛々しい痣に最近できたような切り傷まで。
「彼女、何処かで見た気がするんだ」
先の質問から少し、思い詰めているようにも見える真剣な面持ちで返答が来る。その言葉にフレルは過去を思い返してみるけれど、当てはまる人物は見当たらない。
まだ聞きたいことのあるフレルは口を開くが、そこから声が音として出ることはない。酸素を取り入れるだけで精一杯だ。
少しずつ、少しずつ。ただでさえ最大値の小さいフレルの体力が擦り減っていく。余裕がなくなっていく。
大丈夫、まだ走れる。フレルは自分自身にそう言い聞かせ、もつれてこけそうになる足を矯正する。
そんな状態のフレルとは反対に、少女はまだ余力があるようだった。慣れているのか息の上がる様子すらない。
右へ左へ、フレルの知らない細道をまるで自分の庭のように進む。
角を曲がるたび、時間が経つたびに距離を離されるフレル。このまま離されるばかりなのかと思うと辛さが一気に増して来る。状況はそう酷くないと気付くのにそう時間はかからなかった。
「ちっ」
小さくフレルの耳に届くのは舌打ち。それと同時に少女は足を止めてフレルは顔をあげる。
「行き止まり、だね。さあ、君はどうする?」
「っ――」
格好がつかないからか、瞬きの間にフレルから降りていたうさちゃんは、追い詰めるようにゆっくりと近付く。
少女の背後は家屋、人が通れそうな隙間はもう全てうさちゃんの後ろだ。
「私は、捕まる訳には――っ」
少女ぎゅっと拳を握りしめる。そして消え入りそうなくらい掠れた、けれど何処か力強い声で言葉を紡ぐ。
勘違いしていると、捕まようだなんて思っていないと、そう弁明するためにフレルが口を開いた時にはもう遅かった。声なんて出しようがないほどの圧倒的な空気感がその場を支配していたから。
それはフレルが感じたことのないものだった。辺りの空間が重苦しくひれ伏し、威圧感に包まれる。涼しさは寒気に変わり、ほのかな風は空気の塊との衝突に化する。
取り巻くのは劣等感。劣等感が喉を詰まらせ、掌に刃を握らせる。
放たれるのは激情。激情が全体に広まり、目の前の少女たった一点へと収束する。
そして、無。残るのは虚無のみ。五月蝿かった耳鳴りも誰のものかもわからない絶望感も今や消え去る。
フレルはこの長い長い一瞬の中で思った。これは人ならざるものだと、この地に存在してはならないものだと、冷静な頭で。
「メインはそっち、なのでしょう?」
「――あっ」
返答を求めない少女の台詞が空虚を貫いた。
フレルの視界に入るのは羽。フレルを睨み小さく指差した少女からモノクロで無数の羽が飛来する。人を切り裂く刃のように。
それが魔法で、どうして扱えるのかなんて問いに辿り着くまでの時間はない。目を瞑って恐怖から逃れることも許されない。迫りくるのは急速な死。
それと同時か少し遅れて飛来するのはそれ自体に名をつけられない無秩序なものたち。周辺に転がっていた石ころに木片、ゴミ箱など。無数の羽による暴力からフレルを守るべく間に連なるうさちゃんが操ったもの。
単体では些か心許ないそれらがいくつも並び、羽の刃が勢いよくその全てを破壊する。
木っ端微塵となった破片が飛び散り、家屋の壁を叩き、突き刺さる。減れば減った分だけ継ぎ足されたものはフレルから距離10cmもない。
――バキッ
その全てを貫き、開けるフレルの視界に一枚の黒い羽。頭蓋骨を粉砕せんとする刃は急激に勢いを失い目前で停止する。
最後まで貫いて来た一枚は鋭利さを失い、ひらひらと舞い落ちる。支えを失った即席の盾は崩れ、羽を覆い隠す。
安心から息をついたフレルの真っ白な額から赤い血が一滴頬を伝った。
傷の部分が広がるように熱を持ち、じんわりと疼く。それをフレルが痛みだと自覚するのとほぼ同時。先程までフレルを攻撃していた少女の身体から力が抜けてゆっくりと地面に衝突する。
「はぁ、寝かせてやろう。言いたいことは山のようにある」
暗い笑顔で。痛みの引きつつある額を抑えながら、フレルは背筋が凍るのを感じた。
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五分、十分、十五分。すぴーっと小さく寝息を立てながら少女は眠る。なかなか目覚めそうにないその様子に、うさちゃんは無理矢理叩き起す。
少女は驚いた顔で身体を跳ね上がらせて起きる。
「痛い」
叩かれたところを擦りながら、不貞腐れたような表情で呟く。
もう諦めたのか攻撃する意思はないようで、両者はゆったりと向かい合う。
そうして始まるのはうさちゃんによる尋問にも似たお小言だ。フレルを攻撃したことに対しての説教と、どうやってあの魔法を使ったのかと。何故逃げたのかを問うたらきょとんとしていたけれど。
「そちらの彼女が大人を連れて走って来たのです。捕まえようとしていると考えるのが妥当でしょう?と言うか、でないのなら何の用事ですか?」
全く妥当ではないと、蚊帳の外なフレルが心の中でツッコミを入れる。一拍、二拍。
「大人?」
フレルが小さく呟く。キョロキョロと辺りを見回してみるけれど、ここにいるのはフレルとうさちゃんと名の知らぬ少女だけだ。
「大人って、そこの彼のことですが。――嗚呼、理解しました。わからないこともたくさんありますが、概ね。どうやらムーブを間違えたようです」
こほんと、わざとらしく咳払いをする。
「妾は神ぞよ、人間。そなたの変化は人間を騙せたかもしれないが、神との差を見誤るでない」




