第3章14 クラリス
この空間にピリピリとした雰囲気が漂う。それは、二人を睨みつける少女によるものだ。
先程までの下手に出るような、丁寧な言葉遣いとは真逆。少女はふんぞり返っている。
再び攻撃されればどうしようと考えれば、背筋が凍る。
フレルはうさちゃんを間に挟むようにしてジリジリと距離を取る。二回目だ、うさちゃんはもっとはやく安全に対処してくれるかもしれない。距離を取って警戒していれば避けることもできるだろう。
けれども、頬を伝った血液の感触と香りが、フレルの判断力を鈍らせる。即刻うさちゃんが治してくれたとは言え痛みの記憶が消える訳ではない。
「神を名乗るなんて、どう言うつもりかな?」
「どう言うつもりも、妾は事実以外申していない。そなたはあのような魔法を扱う道具を見たことがあるのか?」
当に一触即発。けれど両者共に斬り掛かる意思はないようだった。
片方はそれほど非情ではなく、片方はそもそも不可能なはったり。
どうしたものかとフレルは頭を悩ませる。真っ先に命を狙われたと言うのに、今ではすっかり蚊帳の外。走れば逃げられそうだと思えてしまう。
無論、そんなことはしない。そもそも逃げる理由がない。戦力になるかどうかは別として、二対一なのだ。強気で行こう。
後退する足を強引に前進へと向ける。少女の意識が一瞬フレルの方へと動いた時、失念していたことを思い出す。
そもそも、うさちゃんは彼女をどうしようと考えているのだろうか。少女は認識していないようだが、うさちゃんの様子から見るに面識がありそうだ。
部外者であるフレルには関係性が見えない。初対面であるフレルには口出しする権利を持たない。
「君はいくつも誤解しているよ」
「妾の知能が人間より劣っていると?」
「――はぁ、一つ、僕らは泥棒を捕らえるつもりはない」
「それくらい、とうの昔に理解しておる」
ぴくりと、一瞬だけ震えた眉はすぐに元通り。
泥棒――。フレルは小さく首を傾げる。それがこじつけにしか思えなかったからだ。
直近の記憶と強引に結びつけた推察。逃げた理由なんて、知らない人に追われたからで説明がつく。ついて欲しかった。
だが、その言葉を否定しないのが全ての答えであった。物語にて、誇張はあれど等しく高貴な存在として描かれている神が泥棒。
たかだか盗み程度ではあるが、どうにも受け入れ難かった。
「ふたつ、僕は――」
「うさちゃんは神だよ」
「――僕を神と呼ばないで欲しいな」
神はうさちゃんのような存在であるべきだと、フレルの中でいわば偏見のようなものが完成していたから。
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神。それはファーマメントに住まう者たちの総称である。亭々たる大空よりも高いところにある巨大な大地。それは簡単に太陽を覆い隠せてしまうが、光は常に降り注いでいる。地上に住まう人々はそれを目にする機会なく死に行く。
そこは神々の住まう土地。神々とは一口に言っても力はまちまち、地上以上に。故に平和であった。人口が少ないからと言うのもあるが、トップ陣の圧倒的な力によって治安が保たれている。
それでも、犯罪はなくならなかった。極端に少ないがゼロではない。法の存在しないファーマメントにおいて、犯罪となるか否かはトップ陣と当人しだいである。
罪を犯した者の未来は二つに分けられる。死か、見世物かである。
娯楽の少ないファーマメントでの主要を担っている犯罪を扱った見世物、コロシアム。うさちゃんと少女、クラリスはそこで出会った。
「おめでとう。さ、君は何を望む?」
ここはコロシアムの楽屋。出入りが少ないせいで禄に整理されておらず、空中を埃が舞っている。
うさちゃんの目の前にいるのは一人の少女、今回の試合の勝者。試合内容を見ていないのでわからないが、その風貌や観客席の白けた様子から見るに圧勝だったようだ。
彼女は鼻息を荒くし、闘牛のように今にも暴れそう。どうやら珠を制御しきれず理性が飛んでいる様子だ。その年にもなってと思うが、口にはしない。
腐っても勝者、敬意は示すべき。それにうさちゃんには殴り合いになった場合に勝てるだけの自信も力もなかった。
この場所のルールでは、勝者には賞品が与えられる。賞品とは言っても者である必要はない。一部の制約はあれど貰うものは自由である。
そして偶々、今日がうさちゃんが与える番だった。普段は面倒に思けれど今回ばかりは嬉しい。
「殺したい」
「それはダメだね」
何を言い出すかと思えば。嗚呼、そうだった。こいつの罪は殺神だ。誰かしらを手に掛けたらしい。
よくそれで生きていられる。何か黒い力強いでも働いたのだろうとうさちゃんは推測する。
首を掻っ切らんとする一枚の羽を避け、うさちゃんはため息をつく。本当に何も考えられないようだ。死ぬ気はないけれど、もし今ここで死ねば彼女の命もないのは簡単に理解できる。
背後で舞い戻る羽を、彼女が携えるナイフを奪って弾き、軌道を変え、床に突き刺す。存外深く刺さったそれは、床に円状のひび割れを作る。
「それじゃ、こうしよう。君はこのゴミみたいな場所から離れるために下界に堕ちることを選んだ」
何もおかしな点はないはずだ。普段なら無理なことだけど、今のうさちゃんにはそれを可能にするだけの権限がある。
行ってらっしゃいと心の中で呟いて、瞬きの次には彼女はもうここにいなかった。
「君は少し珠から離れるべきだ、クラリス」
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「――どうやら、またムーブを間違えたようです」
消え入りそうな声で諦めたように呟く。その言葉の中には悲しみだとか絶望だとか、そういった感情が含まれているようにフレルには感じられた。
「僕たちは君をどうこうするつもりはない。どう、誤解は解けたかな?」
「あなたはいったい何者なのですか?」
どうしてファーマメントではなくこの場にいるのか、どうして駒でしかない人間の味方をしているのか。理解できないこと全てを込めて一つの質問。それが伝わったのかどうか、少女にはわからない。
ただ、返ってきた答えは求めていたものとは全く違うものだった。
「何者でもないよ。か弱い女の子と、魔法が使えるただの兎。君の出自を知ってるだけの一般人だ」
言うだけ言って、立ち去ろうとするうさちゃん。ぐったりと、疲れたように地面へ座り込む少女。何か仕出かそうとする様子もなく、両者の距離は広がる。
わからない。フレルには、何も。二人が故郷を同じにすること以外、フレルは何も知らない。どんな関係で、因縁があったのか。その場に立ち会っていないフレルにはわからない。それが寂しく思えた。
刻々と秒針を刻む間に、両者の距離は埋めようのないものになって行く。
手を差し伸べようとしているのに、背を向ける。手を取られることを望んでいるのに、ただ小さくなる背中を見つめていた。その手を合わせてやりたいと思うのはフレルの我儘なのだろうか。
うさちゃんの歩く方向とは真逆、少女の方へと足を動かす――
「行こう、フレル。人違いだったみたいだ」
それは、ただの一言によって邪魔される。無視をするには決意が足りない。我儘であると、何処かで理解してしまっているから。
フレルは思う、無知は罪であると。再開はすれ違いを持って幕を閉じる。




