第3章10 カミサマ
場面が変わったあと、グロ注意です。
カタカタと、ペン先が紙を殴る音だけがこの広い部屋に響く。黒色の大きなデスクは散らかっており、その役目を果たせるスペースは小さい。
デスクの上に冷めたホットコーヒーが一杯。長時間放置され香りもとっくに失われたと言うのに、一滴も飲まれることなく並々の水面が揺らぐ。ガブリエルの卓越した技術も、これでは意味がない。
高く積み上げられた書類たち。紆余曲折で、大量の文字に埋められたそれらは読者を引き付けようとしない。読みやすさを全く考慮していないような文字列だ。
これらの書類は契約書だ。契約魔法は存在するが、庶民の間にまで浸透していないので紙が主流となっている。内容はユースが数年ほど前から始めた仕事、貿易関係のもの。最近は何とか黒字にまで売上を上げることができている。
この書類への、ペン先の動き一つでたくさんの人が職を得、又は失う。それほど規模の大きいものではないが、そこに関わる人は少なくない。
だからこそ、ユースの頭を悩ませる。でも甘い選択ばかりしていられない。
ユースは一枚の紙破ってゴミ箱に捨てた。
「……少しだけ休憩しよう」
その不必要な責任感から逃れられるようにと呟く。ずっと下を向き続けていたせいで首が痛む。どれだけ書類と睨み合いをしていたのだろう。時計のを見はために首を上げると目眩がした。
ぼんやりとした視界の中時計は午後九時半を示していた。
ユースはすぐ近くの冷めたホットコーヒーに手を伸ばす。容器まで冷え切っており、体温の上がった掌に気持ち良い。
もう片方の空いた手で一つの小さな箱を掴む。手の大きな人ならばギリギリ覆い隠せるくらいの大きさだ。そのまま少しだけ想像してやると、まるで淹れたてのように湯気の立ち上るコーヒーが完成する。魔法の力だ。神々と、神々に認められた一部の人間のみが扱える魔法。
今握った箱の中には魔法を扱うための珠が入っている。二対の鍵と魔法の重ねがけで厳重にロックがかけられている。
うさちゃんの持つ珠よりもずっとずっと小さな珠。けれど比べ物にならないくらいの厳重さだ。
珠による魔法を応用、普遍化させた物が魔導具だ。珠がない状態で魔法を扱う唯一の方法。けれど魔導具はたった一つのことしかてきない上に基本的に高価だ。一部の安価な使い切り品以外あまり出回っていない。
今温めたばかりのコーヒーを飲む。口の中に苦さが広がる。一度冷めたせいで風味も何もかも飛んでしまっているけれど、愉悦に浸るユースは気が付かない。
「………ん?」
使い終えた珠を元の場所に戻そうとした時、懐かしい物が視界に入った。
ガラスとはまた違う、透明で少し黄ばみのある硬い箱。珠が入っている物と同じか、少しだけ大きい。外から透けて見える中身には細かな部品がたくさん詰められている。
これはオルゴール、通称科学具。ネジを回せば、設計されたたった一曲を演奏し続ける科学具。何もしなくても動作する魔導具とは原理も違う劣った存在。神々から与えられ発展を遂げた魔法とは異なった道を歩んだ、忌み嫌うべき国の産物。
ふつふつと、怒りのような悪感情が湧いて出る。決壊したダムのように流れ出て制御できない。
科学なんて存在してはならない。学問ですらない。尊ぶべき神々の魔法を蔑ろにした。挙句こんなのが流通しているだなんて。
受け入れられないし、許せない。
手が当たったのか、今にも握り潰して壊さんとする掌の中で小さく音楽を奏でる。
どれだけ力を入れようと硬い箱に阻まれ、行き所を失う。どれだけ力をいれても掌に伝わるのは痛みだけ。投げ付けてやろうと腕を高くに持ち上げて――
「…………」
それを実行するだけの勇気が、決意がユースの心にはなかった。無意味に震える腕をゆっくりと下ろす。
これはたった一つの、大切な思い出の品だから。
昔、貴族制度が崩壊して両親が蒸発するよりも前。ユースがまだ子供で貴族学園に通うよりも前。とある国に旅行に行ったことがあった。
帝国、アルテスタン。神々の統治から逃げ、独自に科学を発展させた忌々しき国。この科学具はそこでお土産として買って貰った物だ。
今思い返してみれば、どうしてあんな国に行ったのかと自分を責めたくなる。
ただ、あの頃は無知だったのだ。魔法が神々から与えられたものだとも、神々が尊ぶべき存在だとも、科学が忌むべき存在だとも、何も知らなかった。無知は罪でしかない。
時間以外に止める方法のないオルゴールの音色は、聞こえないよう引き出しの奥へと詰めた。
一旦、落着かなければ。休憩のはずが無駄なことをして余計に疲れてしまった。このまま仕事をしても効率が悪いどころか損失が出かねない。
ユースは夜風を浴びて身体を冷やすべく、力まかせにドアノブを撚った。
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これを殴り合いだとか蹂躙だとかの言葉で片付けるのは間違っている。無傷の兎と痣や傷のある人間たち。一方的だった。けれどここに至るまでに所要した時間と、どれだけ攻撃しようと何事もなかったかのように立ち上がる様子を見ればどうにも蹂躙といった言葉は使えない。
「待ちくたびれたよ、僕は」
背後からの気配、一瞥もせず一言だけ。そのあんまりな態度に、ユースは少し口角を上げる。
「村の人たちに何をしているのかな?」
批難するような口調で、けれどそれを止めようとせずに二人は隣に立つ。何の色も映さない侵入者の瞳がユースを捉えた。
「はやく、僕の前に立って。僕はもう疲れたんだよ」
「そうは見えないけどね」
「そんなのはどっちだって良いんだよ。ほら、右手を前に突き出して。何か凄そうな台詞を言うんだ。派手であれば派手であるほど良い」
汗一つない身体でユースを誘導する。肉壁になるような陣取りだ。けれど反抗する様子も必要もない。言を発する兎など、神々の恩恵でしかないだろうから。
ユースは疑いもなく愚直に、言われた通り動く。右腕を前に突き出し、口を開く。
何をしようとしているのか、何をさせられているのか、ユースには何もわからない。
けれど、知らなくて良いのだ。知る必要は何処にもない。彼には思惑がある。それだけで実行するのに十分すぎる理由なのだ。
「神々の名のもとに、爆ぜろ」
瞬間、先頭にいた人の身体が引き裂ける。瞬きをするよりまはやい出来事で、断末魔の一つもない。四方に飛び散った血液が緑の草を汚し、内蔵はゴミのように飛び散る。腕は樹に引っ掛かりまるで飾りのよう。吹き飛んだ頭部の一部が別の侵入者の耳を抉り、うめき声。
その台詞はどうだろうね、と呟いたのはそれらの音にかき消される。
惨劇は、一度では終わらない。二人目、三人目。仲間が死のうと狼狽えることもなく、その時間を与えられることもなく、死んでいく。それは侵入者全ての命がなくなるまで続けられた。
綺麗だった庭園はもとの形を成していない。まるで死神でも通ったかのように、この通りにある心臓の鼓動は二つのみ。命だったはずのものが大多数を占める。
隣り合って転がるモノが同じ人由来なのかもわからない。
勿論、その影響はユースにも及んだ。内蔵が指に引っ掛かり、赤黒い血で高価な服は見るも無惨。足元には何処かの指が転がり、ポケットに侵入した一つの眼球がギロリとユースを睨む。
圧倒的な暴力、これこそ蹂躙。侵入者の目を通して空の上から見ているであろう奴らへのカモフラージュさえできれば、手加減する必要などない。
どす黒く汚れたまま立ち尽くすユースの後から、真っ白で綺麗な兎が隣に並ぶ。
「ハッ――」
消え入りそうなほど小さい笑い声。声が震えるのを抑えようとするけれど、それは叶わない。
正直、ここまでやる必要はなかった。確実に殺しさえすればそれで十分だった。それが今はこうだ。
戦いに派手さはいらない。無駄なエネルギーを消費するだけだ。最小限の力こそ、最高効率で美しい。
けれど、別の目的があったのなら?含みを持たせた視線でユースを見上げる。
「力量の差って言うのは、わからせておかないとね」
「元々、そんなつもりなんてないさ」
その視線に答えることなく真っ直ぐ前を見たまま、ユースは両手を上げて降参のポーズを取った。
頬を赤らめ高揚し、崇拝にも似た不気味な表情で。
祝!pv1000!!本当にありがとうごさいます!




