第3章7 おめかし
「言ってなかった?」
訳がわからないと棒立ちするリリー。フレルは左上の天井を眺めながら今日一日を思い返す。今日一日と言ってもまだ早朝。色々と濃いことはあったが、記憶を探るのにそう時間はかからない。
迷子になって、ジュースを零すして。
そうか、言っていなかったか。てっきり伝えたつもりになっていた。
思い返してみれば、リリーの前でうさちゃんは一言も発することはなかった。隠しておきたかったのだろうか。わからないけれど、そう考えるとあの素っ頓狂な声にも理由がつく。
「聞いてないわ」
フリーズしていたリリーが息を吹き返した。けれど自分の中で納得した訳ではない様子。徹底的に聞き出そうと顔を近づけてくる。
「何を兎が喋ったくらいで……」と言いかけてたのだが、冷静になる。慣れてしまっていただけで普通に考えればおかしいことだ。
うさちゃんとよく話し込んでいたスラムの人も、ユースも、兎が喋ったことについて特に何も反応を示さなかった。そのせいで感覚が狂ってしまっていたらしい。そう言えばフレルもはじめは驚いたかなとそう古くない昔を思い出す。……いや、そんなことはなかった。
兎に角、兎が喋のはおかしなこと。人間と同じ声帯を持っているでもないのにどうして喋ことができるのか。
「貴方にもわからないようね……。まあいいわ」
思っていたよりあっさりと諦め、シャワーを浴びる。お湯に濡れた長い赤髪がべったりと背中につく。浴槽に浸かるつもりはないようで、軽く洗ったあとすぐにこちらを向いてこう言った。
「早めに上がりましょう。朝食が待っているわ」
リリーに片腕を引っ張られ、風呂場を後にする。支える腕が一本になって不安定に揺れる、満更でもなさそうな顔でそっぽを向く兎がそこにはいた。
リリーの胸を見て「案外ある……」と小さな声を聞いたのはただ一匹の秘密だ。
風呂場を出て脱衣所、鏡の前。リリーの私物だろうか、用意されていた服に身を包む。それは可愛らしいワンピース。スカート部分にはフリフリがつけられてあるが、華美すぎることもない。丁度良い塩梅だ。
手を広げ、自身の姿を余すことなく眺める。フレルは満足気に頷き、振り返る。そしてすぐに広がる惨状に、出来立ての笑顔が小さくなる。
「おもちゃみたい」
用意されていた服が、一着二着ではなかったから。重度の収集癖でもあるのかと疑いたくなる着数。外出したくなくなるほど露出の多い服のように現実的だとは思えない、着る機会がなさそうなものまでそこにはあった。
その中から何着も、まるで着せ替え人形のようにされていた。それ故の台詞。そろそろ手も緩まってきていて安心だ。最初から一着、百歩譲っても数着くらいには絞って来てほしいものだ。けれどフレルの私物じゃないと言う事実と、この楽しそうな顔を見れば簡単には言い出せない。
「これでも結構絞った」なんて独り言のように言い訳しながら、次は帽子やリボンのような小物を漁り始めた。一旦服はこれで決定らしい。抵抗する理由も意気も無くし、今くらいは人形になってやろうと心に決める。
自分で動かなければいけない服とは違い、立っているだけで良いから。
ころころと装飾品が変化する中、どれだけあるんだとフレルは呆れ混じり。朝食の話はどうしたのかと鳴りかねないお腹を押さえる。
「……言い難いんだけど、どうしたらこんな髪型になるの?それとも新手のファッション?」
髪の毛を弄りながらリリーは言う。
本人に自覚があるのかどうかはわからないが、フレルは少しおかしな髪型をしている。それもそのはず、整える時がなかったから。
おかしくなったのはスラムから逃げる時、髪を無秩序に割かれてしまった。それから数ヶ月、整える機会は訪れていない。おかげで長さに結構な違いが出てしまっている。
それまでは素のルックスだとか、それ以外の整えられていない不格好な場所に紛れているだとかで何とかなっていた。しかし他の場所が綺麗になれば話は別。小さな歪も気になってくるものだ。普段はふんわりとした髪質が水に濡れているからと言う部分もあるだろう。
「とりあえず、わからないくらいに結っておくわね」
そう言って、選ばれたリボンで後頭部にポニーテールが作られる。首を振ると微かな重量感を感じて楽しい。それと同時にシャンプーの香りが漂って来て幸せな気分になる。
「もう終わり?」
「ええ。待たせてごめんね。さあ、早く行きましょう。せっかくおめかししたんだもの。今日は忙しいわよ?」
そう言いながらさっさと脱衣所を出て行ってしまう。忙しいのは苦手なんだけどなあと思いながらもリリーを追いかけざるを得ない。見失って再び迷子なんてことになったら目も当てられない。
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「ご馳走さまでした」
全員が手を合わせ、合唱する。
フレルたちがダイニングに来た頃にはまだ食事が完成しておらず、少しだけ手伝うことになった。勿論、フレルの料理技術が成長しているわけもなく、お皿を出したりと簡単なことしかしていないけれど。
だがリリーに関して言えば、女子力の塊らしい。普段から手伝いをしているのか、手慣れたようにコックさんと一緒に作っていた。和に交じりたかったが仕方ない。
そうして朝食。ここでようやくこの屋敷の面子がわかった。自己紹介なんてすることになったから。
まずはこの屋敷の主、ユース。この中では一番見知った顔だ。元辺境伯で、あの町の政治をしていたが既にその地位は剥奪されている。フレルの両親と同じく、元々貴族だった立場の人間ってわけだ。そんなこと気にしないで気軽に……なんて言っていたが、フレルには関係のないこと。
次にリリー。ユースの子供と言うわけでもなく、なんだか不思議な立ち位置にいるらしい。話し難そうに言い淀んでいたが、誰もそれを咎めることはなかった。ファッションに興味があるらしく、あの着数にも合点がいった。
そしてフレル。適当にこの屋敷に来ることになった経緯を話しておいた。それ以前は秘密。殺しだなんて言及できたものじゃないから。詮索されるのも嫌だったからうさちゃんの紹介でもしておいた。喋ることと、魔法を扱うこと。リリーからの視線は予想していた好奇によるものだったが、ユースと後述する人の視線は少し怖かった。
そして最後に、コックさんのガブリエル。初見がコックさんだっただけで、その他の雑事もこなす執事さんだったらしい。この中で一番年上の格好良いおじいさん。優しいそうな顔立ちをしているけれど、視線が怖かったのでガブリエルさんと呼ぶことにした。
屋敷の住人は来たばかりのフレルを含めてもたったの四人。広さに見合っていない。貴族制度が崩壊する前まではもっと住んでいたのだろうか。そんな答え合わせの難しい問いを漠然と考える。
食事は普通に美味しかった。馬車での移動中に食べていたものと同じ雰囲気がある。
例に漏れず、うさちゃんはご飯を食べることなくフレルの膝の上で大人しくしていた。お腹は空かないのかと心配になるが、弱っている素振りもないので一旦置いておこう。
ガブリエルさんがお皿を回収してキッチンに引っ込んでいく。手伝おうと立ち上がったのだが、拒否されてしまった。
「今日一日はゆっくり遊んできなさい」
らしい。
馬車から見た限りではあるが、それほど栄えた町には見えなかった。もちろん、遊ぶところも。運動は苦手だし……なんて思いつつも手を引かれるままだ。
予定もないからいいかと、フレルは自覚なしに口角を上げた。




