第三話 まだ、ここにある
夜になると、会場の窓の外は黒くなった。
ビルの光が海面にちらちら反射し、遠くで観覧車が回っていた。
律の試作品は、まだ半分しか動いていなかった。
画面は表示される。記憶カードも作れる。
疑似的にタグ情報も読み込める。
だが肝心の「記憶を物語として結び直す」部分が不安定だった。
入力した断片をAIが勝手に美談へ変えてしまう。
「父との温かい思い出」
「かけがえのない家族の絆」
「夏の日の奇跡」
違う。
律は何度も削除した。
そんなきれいなものだけではなかった。
父とは、最後の数年ほとんど話していなかった。
仕事が忙しいことを言い訳に、実家からの電話にも出なかった。
入院したと聞いても、すぐには帰らなかった。
父が亡くなる三日前、病室で交わした会話は短かった。
「仕事はどうだ」
「普通」
「そうか」
「うん」
それだけだった。
父は何か言いたそうだった。
だが律は、スマートフォンを見ていた。
未読の仕事メッセージが溜まっていたからだ。
そして父は、最後にあの言葉を言った。
「なくしたものって、本当に消えるわけじゃないんだよ」
律はうなずいただけだった。
今なら聞けるのに。
何をなくしたのか。何が消えていないのか。
なぜエアタグにシャーベットと名づけたのか。
だが、もう聞けない。
律はキーボードの上で手を止めた。
作っているものが急に無意味に思えた。
記憶をつなぐアプリ。
失くしたものに意味を与える仕組み。
そんなものを作ったところで、父は戻らない。
話さなかった時間は戻らない。
最後にスマートフォンではなく父の顔を見るべきだったという後悔は、
どこにも移動しない。
会場では、深夜用の軽食が配られ始めていた。
サンドイッチ、おにぎり、コーヒー。そしてなぜか、またシャーベット。
律は配布台から一つ取った。
蓋を開けると、白い冷気が立った。
プラスチックのスプーンですくう。
口に入れると、舌の上で甘酸っぱく溶けた。
その瞬間、律は涙が出そうになった。
思い出したからではない。
思い出せなかったからだ。
父の声の細かい響き。手の大きさ。笑ったときの目尻。
そういうものが、少しずつ曖昧になっている。
写真を見れば顔はわかる。
動画を見れば声も聞ける。
でも、自分の中にいた父が、少しずつ溶けていく。
シャーベットみたいに。
律は、試作品の仕様を変えた。
AIが勝手に物語を作るのをやめた。
代わりに、断片をそのまま並べることにした。
「夏」
「海」
「迷子」
「売店」
「父が走ってきた」
「レモン味」
「白い丸いキーホルダー」
「なくさないように」
「最後の病室」
「聞けなかった」
きれいにしない。
まとめない。
意味を押しつけない。
ただ、消えかけているものを、消えかけている形のまま置いておく。
それを見た人が、自分で思い出せるように。
律は画面の中央に、小さなボタンを置いた。
”まだ、ここにある”
そのボタンを押すと、登録した断片がゆっくり浮かび上がる。
位置情報がある場合は地図に点が出る。
写真があれば端に表示される。
言葉は勝手に文章化されず、短い札のように並ぶ。
最後に、アプリが一つだけ問いかける。
”あなたは、何を忘れたくありませんか”
律はその画面を見て、ようやく少し息ができた。
翌朝、発表の時間が来た。
寝不足の参加者たちは、妙な高揚感に包まれていた。
完成したチームも、完成しなかったチームも、
それぞれの画面を抱えて順番を待っている。
律の発表は、最後から三番目だった。
ステージに立つと、照明がまぶしかった。
審査員席には五人。前方には参加者たち。
後方には企業関係者や自治体職員が座っている。
律はマイクを持った。
「蒼井律です。作品名は、SHERBETです」
スクリーンに、白い背景と淡い黄色のロゴが映る。
「これは、失くした物を探すためのアプリではありません。
失くした物に結びついていた記憶を、もう一度見つけるためのアプリです」
律は、エアタグの画像を映した。
「位置情報タグは、物の場所を教えてくれます。
でも、人が本当に失くして困るのは、物そのものだけではないと思いました。
その物と一緒にあった時間や言葉、誰かの表情も少しずつ見えなくなっていく」
会場が静かになった。
律は、自分の父の話をするつもりはなかった。
だが、気づけば話していた。
「僕の父は、よく物をなくす人でした。
でも、大切なものだけは不思議となくしませんでした。
父の遺品の中に、シャーベットという名前のエアタグがありました。
最初は意味がわかりませんでした」
喉が少し詰まる。それでも続けた。
「思い出してみると、子どものころ、僕は港町で迷子になったことがありました。
父が見つけてくれて、レモンシャーベットを買ってくれました。
そのとき、白い丸いキーホルダーをリュックにつけてくれたんです。
なくさないように、と」
スクリーンには、試作品の画面が映る。
夏。海。迷子。売店。父が走ってきた。
レモン味。なくさないように。
最後の病室。聞けなかった。
律は画面を見ながら言った。
「記憶は、きれいな物語にならないことがあります。後悔もあります。
思い出せない部分もあります。
だからこのアプリは、勝手に感動的な文章を作りません。
ただ、断片を断片のまま残します」
律は、中央のボタンを押した。
”まだ、ここにある”
淡い光のようなアニメーションが広がり、断片が地図の上に浮かんだ。
「物はなくなります。シャーベットは溶けます。
人も、いつかいなくなります。
でも、完全に消える前に、私たちは手を伸ばせる。
そのための小さな場所を作りたいと思いました」
発表が終わった。
一瞬、会場は静まり返った。
それから、拍手が起きた。
大きな拍手ではなかった。
派手な歓声もなかった。
けれど律には、その静かな拍手が胸の奥まで届いた。
審査員からはいくつか質問が出た。
「プライバシー設計は?」
「タグ情報との連携範囲は?」
「高齢者向けに展開できる可能性は?」
「災害時の持ち出し品管理にも応用できるのでは?」
律は答えた。
完璧ではなかったが、自分の言葉で答えた。
結果発表で、SHERBETは最優秀賞を取らなかった。
優勝したのは、避難所の物資配分を最適化する実用性の高いシステムだった。
準優勝は、地域の空き家を短期利用スペースに変えるサービス。
どちらも納得できる作品だった。
SHERBETは、特別賞だった。
賞の名前は「記憶と生活をつなぐデザイン賞」。
副賞は、スポンサー企業の最新デバイスと、なぜか一年分のシャーベット引換券だった。
その発表を聞いた瞬間、律は少し笑った。
父ならきっと言う。
「そんなに食べたら腹を壊すぞ」




