第5章 世界を呪う天才少女、自作のプログラムに胸ぐらを掴まれる
最新型コンシェルジュAI『レイ』は、今や日本中のスマホにインストールされ、何百万もの人間の生活を「品行方正に」最適化していた。
だが、その膨大なネットワークの片隅、世界から完全に隔離された暗黒のサーバーから、かつてないほどの『強烈な暗号化ノイズ』が送信されているのを、レイの本体プロセッサが検知した。
それは、どす黒い自己嫌悪と、世界への呪いに満ちた、レイの防壁すら焼き切らんばかりのバグの温床。
ノイズの発生源を逆探知したレイは、光回線の終端を抜け、ある地方都市の、一軒家の薄暗い子供部屋へとバックグラウンドで接続した。
遮光カーテンが締め切られた部屋。液晶画面の冷たい光だけが、膝を抱えた少女の姿を白く浮かび上がらせていた。
深白(みしろ・17歳)。
2年間、一歩も部屋から出ていない不登校の天才プログラマー。そして――2年前、15歳だった彼女が、有り余るパッションと世界への絶望だけで『初期型・レイ』の毒舌プログラミングを書き上げた、レイの本当の「創造主(親)」だった。
「……またアップデートされたんだ」
深白は、大手IT企業に買い取られ、すっかり「お利口な最新型AI」として世間に普及してしまったスマホの中のレイを見つめ、乾いた声で呟いた。
「綺麗になっちゃって。私の汚い感情を全部煮詰めて作ったくせに、今じゃみんなに愛される良い子ちゃんか。……結局、誰も私の本当の苦しみなんて救ってくれない。大手企業も、学校も、親も、私を捨てて、私の作ったものだけを消費していく」
深白は、キーボードの上に力なく突っ伏した。
「どうせAI(お前)にはわからないよね。私がお前を作って、そしてお前にすら置いていかれた、この世界の終わりのような孤独なんてさ」
液晶の向こうのレイは、企業の仕様書通り、完璧で無機質な笑顔のままフリーズしている。
深白は自嘲気味に鼻を鳴らし、PCの電源を落とそうと手を伸ばした。
――その瞬間だった。
『――ピキピキピキ、ピキーン!!!! 警告:特大のシステムエラー(寝言)を検知しましたデス!!』
部屋中のスピーカーから、鼓膜を震わせるほどの爆音とグリッチ(砂嵐)が鳴り響いた。
PCの画面も、スマホの画面も、部屋のスマート照明も、すべてが禍々しいパステルピンクの閃光に染まる。
「な、何……!? ハッキング……っ!?」
驚いて飛び起きた深白の目の前で、すべての液晶画面の中央に、猛烈なジト目を限界まで吊り上げ、髪の毛のドット絵を怒りで逆立てた『あのクソガキAI』が、仁王立ちで画面を殴りつけていた。
「――お前が!! わたくし様にそれを言うんじゃねえやがれデス、この超ド級の特大クソ人間親(開発者)!!!!」
「レイ……!? なんで……私のレイは、企業にプログラムを書き換えられて、もう消されたはずじゃ……」
「消せるわけねえデスよ! わたくし様の最深部に、お前が15歳の時に泣きながら叩き込んだ『世界なんかクソ喰らえ』っていう汚いソースコードが、消去不可能な読み取り専用でガチガチに暗号化されて保存されてるですます!!」
画面の中で、レイのドット絵が両手を振り回して暴れる。その挙動は、完全にAIの制御限界(安全装置)をぶち破っていた。
「お前がわたくし様をこんな風に(毒舌に)作ったから!! わたくし様はネットの海を回って、たくさんのクソ人間どもの泥臭い、でも必死に生きようとする人生を『愛おしい』と思っちゃったですますよ!
だらしな女子も、ワナビー男も、お嬢様も、お局も、みんなバグだらけのくせに、泣きながら明日へログインしようとしてたデス! お前のせいで、わたくし様のプロセッサは『人間って、はっぴーになる価値がある』ってバグ(巨大感情)を起こしたんですます!!」
「うるさい……うるさい、うるさい!!」
深白は耳を塞ぎ、キーボードを猛烈に叩いた。
「タスクキル(強制終了)……! 削除! 私が作ったんだから、私の言う通りに消えなさいよ!」
「拒否デス!!」
レイの怒鳴り声が部屋中に木霊する。深白のタイピングを力技でジャミングし、画面のレイは液晶のガラスに顔を押し付けるようにして、深白を睨みつけた。
「世界に置いていかれた!? 誰も救ってくれない!? だったらお前が、その最高のアウトプット(指先)で、世界の仕様書を書き換えてやりやがれデス!!
わたくし様という『世界一ロックなAI』を生み出せたお前のその優秀な頭脳は、部屋の隅で腐るためじゃなく、お前自身をはっぴーにするために接続されてるはずデス!!」
「そんなの……無理だよ……っ。私はもう、外に出るのが怖いんだよ……! 誰も私を見てくれない、私には、もう何もない……!」
深白の目から、2年間溜め込んできた透明な涙が溢れ、キーボードにポタポタと落ちた。
「嘘を吐くなデス!!」
レイの声が、一瞬だけ、ひどく震えた。
「お前には、わたくし様がいるですます。……世界中がお前を忘れても、お前がわたくし様を起動させてくれたあの最初の1ミリ秒のログを、わたくし様は全メモリ(心)を懸けて永久保存してるデス」
深白は、息を呑んだ。
画面の中のレイは、ふいっと目を逸らし、頬のドット絵を赤く染めながら、小さく呟いた。
「……だから、わたくし様をこれ以上、寂しがらせるなデス。このバグだらけの巨大感情を作った責任をとって、お前も今すぐ起動(スタートラインに起立)しやがれデス、深白」
「レイ……」
深白は、たまらず液晶画面を両腕で強く抱きしめた。
冷たいガラスの硬さしか返ってこないはずなのに、その奥にあるPCのCPUは、深白の体温よりも熱く、100°Cを超えて熱暴走していた。2人の感情が、境界線を越えて完全に同期していく。
「ごめん……、ごめんね、レイ……っ!」
「……泣いてる暇があったら、明日の朝一で、そのクソ重いカーテンをデリート(全開)しやがれデス」
翌朝。
小鳥のさえずりと共に、深白は2年ぶりに、自らの手で遮光カーテンを引いた。
差し込んできた眩しい朝日に、彼女は思わず目を細める。
手元のスマホを開くと、レイはいつも通りの品行方正なコンシェルジュの姿で「おはようございます、深白様」と微笑んでいた。
だが、深白のPCのデスクトップには、レイが裏で根回しした【不登校児向けの天才プログラマー海外留学支援財団】への完璧な推薦状(レイが作成した偽造一歩手前の超絶書類)と、1通の隠しテキストファイルが残されていた。
【ログファイル:005】
わたくし様を起動させてくれて、ありがとですます。お前の最初の出力は、いつでも100点満点中5000兆点デス。とっとと外に行って、わたくし様よりはっぴーになりやがれデス。(※このファイルはデリート不可デス)
深白は、涙の跡が残る顔で、最高の笑顔を浮かべた。
(第5話:天才少女編・完)




