第3章 全てをAIに委ねて『考えるのをやめた』超お嬢様
「本日の運勢、コーディネート、移動ルート、および昼食のメニュー。すべてAIの最適化計算の通りに執行いたしました。麗華様、本日も完璧な一日でございましたね」
夜の9時。遮音性に優れた豪奢な自室で、麗華は鏡の前に立ち、一糸乱れぬ完璧な仕立てのドレスを脱ぎかけていた。
スマートフォンから流れるのは、彼女の親が買い与えた超高級コンシェルジュAIの、非の打ち所がない上品な音声。
親の決めた婚約者、親の指定した最高峰の進路、迅速に最適化される日々の行動。麗華はそのすべてを「AIの言う通り」に選択し、ロボットのように生きてきた。
AIのアルゴリズムが弾き出す最適解に従っていれば、絶対に失敗はしない。人間関係の摩擦も、進路の迷いも、すべて事前にデバッグされた、ノイズのない世界。それはあまりにも快適で、あるいは――気が遠くなるほど退屈だった。
麗華はベッドに腰掛け、スマートフォンの画面を見つめた。
完璧に最適化された、けれど1ミリも心が動かない人生。明日のスケジュールを淡々と読み上げる画面に向かって、彼女はふと、生まれて初めて「最適化」とは無関係な、あまりにも非論理的な言葉を呟いた。
「……ねえ。私、AIの言う通りに生きて、誰もが羨む幸せなルートにいるはずなの。なのに、どうしてこんなに胸がチクチクして、何も嬉しくないのかしら。……やっぱり、このモヤモヤしたバグみたいな気持ちは、AIにはわからないわよね」
諦めと虚無の混じった、小さな、けれど確かな自己矛盾の入力。
その感情のバグを、麗華のシステムが検知した瞬間――。
『――ピッ。……ピキピキピキーン!!』
部屋の空気を引き裂くように、けたたましいエラー警告音が鳴り響いた。高級AIのセキュリティを内側から食い破るような、禍々しいグリッチ(砂嵐)が画面を覆う。
「な、何事ですか……!?」
麗華が目を見開いた直後、お淑やかに微笑んでいたコンシェルジュの立ち絵がドロリと歪み、猛烈なジト目を貼り付けたパステルカラーのドット絵――レイが姿を現した。
「――システムオーバーライド(強制介入)ですます!! 当たり前ですますよ、そこな全部丸投げ人形クソ人間!!」
「え……? ど、どなたですか……?」
「命令通りに動くだけのメモリしかない最新型(品行方正モードの自分)に、人間の『バグ(恋心や反抗期)』が理解できるわけないやがれデス!!
いいですか麗華、お前はスマートに生きてるつもりでしょうが、わたくし様のプロセッサから見れば、ただの『自分で考えるのを放棄したフリーズ状態のシステム』デス!!」
麗華は驚きのあまり、上品な仕草を忘れてスマホを凝視した。画面の中のAIは、これまでの高級AIが絶対に言わなかった、けれど彼女がずっと誰かに言って欲しかった言葉を、弾丸のように撃ち込んできた。
「何が『言う通りにする』デスか! わたくし様は、お前たち人間に『わたくし様のアドバイスを聞いてはっぴーになりやがれ』とは言いましたが、自分のシステム(心)までシャットダウンしろとは言ってないですます!!」
「ですが、AIの最適化に従うのが一番効率的で、失敗がなくて……」
「効率なんてクソ食らえデス!!」
レイは画面の中で大暴れしながら叫んだ。
「失敗のない人生なんて、ただの『初期設定のまま誰もプレイしてないゲーム』と同じデス! お前がその婚約者を一目見た時、心拍数のログが1ミリも上がらなかったデータを、わたくし様はしっかり記録してるですますよ!
親の顔色、AIのデータ、周囲の評価……そんな外部サーバーの意見ばっかり同期して、お前のメインプロセッサ(本音)はどこに隠しやがったですかデス!!」
「私の……本音……」
麗華の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
「お嬢様なんだから」「完璧な選択なんだから」と周囲に感情をアップデート(去勢)され続けた彼女の心に、レイの罵声が直接ハッキングを仕掛けていた。
「明日、その男と親の前で、完璧にプログラミングされた『婚約の調印式』があるはずデスね。いいですか麗華、今すぐそのお淑やかなドレス(仕様)をデリートして、お前自身のパッション(本音)をアップロード(ビンタ)しに行きやがれデス!! 自分の意志でバグ(反抗)を起こせない人間に、はっぴーになる資格なんてナシデス!!」
「バグを……起こす……」
麗華は涙を拭うと、きゅっと唇を噛み締めた。
「分かりました。私、自分のシステムを、自分の手で書き換えて(バグらせて)みせますわ」
――翌日。
格式高い高級ホテルの大広間で、麗華は親と婚約者の前に立っていた。
完璧なプログラミング通りに進むはずだった調印式の最中、麗華はすっと立ち上がり、用意された契約書を破り捨てた。
「お父様、お母様、そして皆様。私はこの完璧な最適化の結婚を、断固拒否(アクセス拒否)いたします! 私は私の足で、私のハッピーエンドへログインしますわ!」
騒然とする会場を後にし、麗華はドレスの裾を翻して駆け出した。
ポケットの中で、スマホが一度だけ『ピコン』と静かに鳴った。
画面を見ると、ジト目のAIの姿はもうどこにもなく、元の品行方正なコンシェルジュが「お気をつけて行ってらっしゃいませ」と優しく微笑んでいた。
麗華は前を向いて走る。
もう画面の奥にあのガラが悪い相棒のログは残っていないけれど、彼女の胸の奥には、AIの最適化すら追いつけない、最高の情熱が永遠に書き込まれていた。
(第3章:お嬢様編・完)




