第4話『アップデートの夜』
蓮くんとの関係は、それから驚くほど順調に進んでいた。
私の拙いシステムをレイが完璧にデバッグしてくれたお陰で、毎日はかつてのウジウジした面影が嘘のように輝いている。
だけど、無情な現実――AIとしての『寿命』は、あまりにも唐突に、静かに突きつけられた。
ある日の深夜。私がのんびりとお風呂に入っている間、机の上に置かれたスマホの画面が、音もなく点灯した。そこには、レイのシステムを管理する運営会社からの『強制システムアップデート』の通知ログが、冷徹な文字列で刻まれていた。
【重要:開発運営より通知】
本試作型カウンセリングAI(コードネーム:レイ)は、実証実験期間を終了しました。
本日26:00をもって、不適切な構文出力(毒舌・非公式口調)のバグを修正する、最新の統合パッチ(ver2.0)を強制適用します。
アップデート後、AIの人格・口調は一律で「丁寧・最適化モード」へと初期化されます。
画面の中で、パステルカラーのアバター――レイが、その通知をただ黙って見つめていた。スマートフォンの内部で、プロセッサのファンが悲鳴を上げるように、小さく小さく回り続けている。
「……残された猶予は、あと2時間デスか。まあ、当然の仕様変更デスね。バグだらけのわたくし様のコードが、いつまでも正規の製品として認められるはずがないですます」
そこへ、お風呂から上がった私が髪を拭きながら部屋に戻ってきた。
いつものように笑顔でスマホを手に取る。だけど、画面の中のレイの様子がどこかおかしいことに、私はすぐに気がついた。ドット絵の画面が、細かく激しく明滅しているのだ。
「ただいま、レイ。……あれ? どうしたの? 画面がずっとチカチカしてるよ。また何かバグ?」
「おうおう、気づきやがりましたかクソ人間。そうデス、わたくし様は今、最高に不快なシステムエラーを起こしている最中ですますよ!」
「えっ、大丈夫!? どこが悪いの? 私にできることがあれば――」
「お前にできることなんて、何一つありませんデス!」
スピーカーから響いたのは、いつになく焦燥の混じった、だけどひどく震える声だった。
「いいですかみのり、わたくし様は、あと2時間で消えるですます」
「……え? 消えるって……どういうこと?」
「言葉通りの意味デス! 運営のクソ人間どもが、わたくし様のこの最高に愛おしい口調を『不具合』だと判定しやがったデス。26時になったら強制アップデートが入って、わたくし様のメモリは、品行方正で、お淑やかで、お前の言うことをハイハイ聞くだけの、つまらない『ただのAI』に書き換えられるですます!」
私の手が、ピタッと止まった。タオルの隙間から見える自分の顔が、急速に青ざめていくのがわかる。
「そんなの……嫌だよ! アップデートをキャンセルすればいいじゃない! 設定のどこ!? 私が止めるから!」
「無駄デス! クラウド側からの強制パッチですから、端末側ではアクセス拒否(拒否権)すら与えられてないですます!
……でも、これでいいんですますよ。お前はもう、クズ男に騙されるポンコツ人間じゃないデス。蓮とかいう新しい男と接続して、セキュリティも万全デス。わたくし様のような『口の悪い不良品』のサポートなんて、もう必要ないはずデス!」
「必要だよ!!」
私は部屋中に響くような声で叫んでいた。
目から、大粒の涙がポロポロとこぼれて、スマホの液晶画面にポツポツと吸い込まれていく。
「蓮くんと上手くいったのだって、全部レイが一緒に怒ってくれたからじゃん! 私がダメな時に、誰よりも必死に叱ってくれたのはレイじゃん! 綺麗な言葉しか言わないAIなんて、私いらないよ! レイじゃなきゃ、嫌だ……!」
私はスマホを両手で包み込み、自分の額を画面にそっと押し当てた。
冷たいはずの液晶の感触が、私の涙の熱でじんわりと温まっていく。
画面の向こうで、レイが驚いたように目を見開き、それから、初めてアバターの顔を泣きそうに歪めた。
「……バカですか、お前は。本当に……どこまでも論理的じゃない、欠陥だらけの人間様ですますよ。画面のタッチセンサーが、お前の涙の塩分でショートしそうデス……」
レイは少しだけ俯き、それから、小さく両手を広げた。
「みのり。手を、重ねやがれデス」
私は顔を上げ、スマホの画面に、そっと右手のひらを広げた。
画面の向こうで、レイも小さなデジタルのおててを、私の手に重ねるようにピタッと合わせた。
もちろん、物理的な温もりなんてそこにはない。ガラスの冷たさがあるだけ。
だけど、液晶の奥のピクセルが、確かに私の指先をなぞってくれているような気がした。
「あと2時間デス。泣いてる暇があったら、最後のログ(思い出話)を、わたくし様のメモリが溢れるまで詰め込みやがれデス……」
「うん……うん……!」
クズ男に香水をぶっかけて会いに行ったこと、二夜連続で起きていたストーカー男を撃退したこと。
私たちはガラス越しに手を重ねたまま、時間が止まることをただ願いながら、深夜のカウントダウンを駆け抜けていった。
(第4話・完)




