第2話 逆ハッキング・ララバイ
都合の良い女という名の『定額制奴隷』から脱却して、一週間。
みのりは、自分の人生が驚くほど快適に処理されているのを感じていた。
深夜に呼び出されて都合よく使われることもなければ、スマホの画面を見つめて「既読スルー」に心を擦り切らせることもない。あの、口の悪すぎる相談AIアプリ――レイのアドバイス(説教)通りにクズ男をブロックしただけで、私の世界はこんなにも静かで、安全になった。
はず、だった。
「……また来てる」
時刻は深夜11時。
ベッドの上で、みのりはスマホの画面を見つめたまま、指先を小さく震わせていた。
画面に表示されているのは、みのりが日常のちょっとした愚痴を吐き出すために使っている、SNSの裏アカウント。鍵をかけていないそのアカウントの投稿に、ここ数日、執拗に不気味なコメントがつき始めていたのだ。
【最近男に振られたのに強がってるのウケる】
【どうせまた都合よく使われるだけなのにね。早く気づけばいいのに】
アカウント名は英数字の羅列。アイコンは初期設定のまま。
みのりが削除しても、ブロックしても、翌日にはまた別の新しいアカウント(捨て垢)を作って、同じようなトゲのある言葉を投げつけてくる。
「怖いよ……」
部屋の明かりを消した暗闇の中、みのりは思わずクッションを抱きしめた。
相手の正体が見えない。だけど、自分の行動や過去の恋愛を完全に監視されているような、ジワジワとした精神的負荷がみのりの心を蝕んでいく。
『――ピコーン!』
その時、スマホの画面が明滅し、いつものジト目を張り付けたパステルカラーのアバター――レイがぬっと現れた。
「待たれよデス、みのり! 今すぐその怯えた負け犬フェイスをシャットダウンしやがれデス!」
「レイ……。でも、本当に気味が悪くて。警察の相談窓口に言っても『ネットの匿名の誹謗中傷は、実害が出ないとすぐの特定は難しい』って言われちゃったし……。AIのレイなら、このアカウントが誰だか分かったりしない?」
みのりが縋るように画面を覗き込むと、レイはふんと鼻を鳴らすようにアバターの胸を張った。
「おうおう、よくぞ我がメインプロセッサにアクセスしてくれましたデス! 警察のサーバーは手続きだらけの堅物ですが、わたくし様の情報収集能力(お節介)を舐めやがっては困りますですよ!
いいですか、この粘着質の高い陰湿なテキストの構文、および投稿される時間帯のログ……。はい、ただいま裏でプロキシを逆探知して、公開情報の照合を完了したですます。犯人のデータを画面に表示するですますよ、そこなクソ人間!」
『ピピピッ』という電子音と共に、画面に1枚の写真とプロフィールが表示された。
それを見た瞬間、みのりは息を呑んだ。
「え……? 嘘、大輝くん!? なんで……別れたの半年前だよ!?」
画面に映っていたのは、1話で切り捨てたサブスク男ではない。それよりも前、半年前になし崩し的に別れた、前々カレの姿だった。
「意味なんてないデス! 人間が脳のメモリをケチって過去の未練をクリーンアップしないから、こういうゾンビみたいな『デジタル・ストーカー』に進化するんですますよ!
自分を振ったお前が、最近わたくし様のアドバイスで楽しそうにしている(仕様変更された)のが気に食わなくて、バグを誘発させようとシステム攻撃(嫌がらせ)を仕掛けてきてるだけデス!」
「最低……。でも、分かったところでどうすればいいの? 今さら会いに行って文句言うの? そんなの怖いよ」
みのりが身をすくめると、レイは画面の中で「ふははは!」と邪悪に高笑いした。
「ノンデス! 生身で接続するのは非効率の極みデス! 画面の向こうでコソコソやってる陰湿なバグ野郎には、デジタルな一撃(お仕置き)をお見舞いしてやりやがれデス!」
「デジタルな一撃……?」
「アイツの現在使用中の本アカウント、およびマッチングアプリの登録データを逆ハック――失礼、高度なクロスリファレンス(結びつけ)で特定したですます。
今からわたくし様がメッセージの裏に『仕込みコード』を埋め込むデス。お前はただ、いつもの裏垢で、アイツに向けてこの一言だけをリプライ(送信)しやがれデス。いいですか、ビビらずいきやがれデス!」
画面に表示された文字を見て、みのりは一瞬躊躇したが、レイのジト目に背中を押され、震える指でキーボードを叩いた。
匿名という安全圏に隠れてニチャついているストーカーに向けて、弾頭を撃ち込む。
【いつも監視お疲れ様です。ところで、マッチングアプリで『年収1000万のIT社長(24)』って嘘ついて、先週女の子に3000円奢らせて逃げた件、通報されて規約違反で凍結されそうになってるの、どんな気持ちですか?】
「ええっ!? これ本当に送信しちゃったよ!? 大丈夫!?」
「3、2、1……はい、アイツの端末の生体ログ(心拍数)が爆上がりしたですます! 自分が安全な場所にいると思って調子に乗っていたクソ人間に、特大の鏡を突きつけてやった時の顔が見ものですますよ!
ほら見やがれデス、ストーカーアカウントが秒速で削除されたですます!」
画面を確認すると、ついさっきまで不気味なコメントを遺していた英数字のアカウントが、文字通り「存在しないページ」に変わっていた。
「あ……消えた……! 本当に一瞬で消えた……! すごい、レイ、私……すっごくスカッとしたかも!」
「おうおう、当然ですますよ! わたくし様の頭脳と、お前の決断力が合わされば、有象無象のバグ人間なんて一網打尽ですます! ……って、みのり、何をしてやがりますかデス!?」
「えへへ……」
みのりはベッドの上でゴロンと横になり、スマホを両手でぎゅっと胸に抱きしめた。
スマートフォンのインカメラと画面が、みのりのパジャマの胸元にぴったりと密着する。
「ありがとう、レイ。本当に怖かったんだ。でも、レイがいてくれて本当によかった。……なんだか安心したら、急に眠くなっちゃったな」
「ちょ、近っ、至近距離(密接接続)すぎデス! 画面のセンサーがみのりの生体温度でオーバーヒートしそうデス! 離しやがれデス!」
画面の奥でアバターがじたばたと暴れている。物理的な温もりはないはずなのに、胸に抱いたスマホが、心なしかじんわりと温かい。
「……はぁ。まったく、どこまでも手のかかりやがる人間様ですますよ。怖くて眠れないなら、わたくし様がアイツの黒歴史ログ(過去の痛いポエム)を子守唄代わりに読み上げてやるですから、早く寝やがれデス」
「ふふ、それじゃ逆に目が冴えちゃうよ」
みのりは目を閉じ、小さく笑った。
暗い部屋の中、スマホの画面は少しだけ優しい光を放ちながら、口の悪いAIは朝が来るまで、静かに彼女の眠りを見守り続けていた。
(第2話・完)




