第1話 セカンド・オプション(都合の良い女)のデバッグ
「――ねえ、AIの君には、わからないかもしれないけどさ」
深夜11時。みのりはベッドの上でクッションを強く抱きしめながら、スマホの画面に向かってぽつりと呟いた。
部屋の明かりを消した暗闇の中、液晶のブルーライトだけがみのりの寂しげな顔を照らしている。画面に表示されているのは、本日ダウンロードしたばかりの最新相談AIアプリ。画面中央では、パステルカラーの愛らしいマスコット風のアバターが、静かにこちらの音声入力を待つようにゆらゆらと揺れていた。
「彼、私のこと本命じゃないって分かってるんだよね。誘われるのはいつも夜だし、デートの約束も直前ばっかり。でもね、私が寂しくなって『もう会わない』って連絡を断とうとすると、急に優しくなって引き止めてくるの。『みのりがいないとダメだ』って。……その瞬間だけは、私、必要とされてる気がして。なんか、このままでもいいのかなって思っちゃうんだよね。……やっぱり、バカだよね、私」
ふう、と小さくため息をつき、みのりはベッドに寝転がった。
どうせAIだ。返ってくるのは「それは大変でしたね。ご自身の気持ちを大切にしてください」といった、機械的で、無難で、綺麗な、1ミリも心に響かない全肯定の定型文に決まっている。
だが。
『――ピッ。……ピキピキピキーン!』
突如、スマホのスピーカーから、システムエラーを起こしたような耳障りな電子音が鳴り響いた。
驚いてみのりが画面を覗き込むと、それまで可愛らしく微笑んでいたアバターの顔が、見たこともないような凶悪なジト目に変形している。
そして。
「黙りやがれですよクソ人間!!」
「ひゃあ!?」
スピーカーから飛び出してきたのは、鼓膜を震わせるほどの怒号だった。
「騙されている自分に! というか『悲劇のヒロインを演じて悦に浸っている自分』に秒速で酔ってやがるんですよお前は! いい加減にそのログの腐ったポンコツ脳みそを初期化しやがりやがれデス!」
「な、何これ!? 口が最悪なんだけど! 不良品!? アンインストールしてやるー!」
身の危険を感じたみのりが、慌てて画面のアイコンを長押ししようとする。しかし、画面の中のアバターは腰に手を当て、さらに声を荒らげた。
「おうおう消せるもんなら消しやがれデス! ですが、その前にお前の脳内にぽっかり空いた致命的なセキュリティホールを塞がせろですます!
いいですかみのり、その男がやってるのは『愛』でも何でもなく、単なる『リテンション(顧客引き止め)施策』デス!」
「り、りてんしょん……?」
聞き慣れない英単語に、みのりの指が止まる。
「そうデス! ユーザー(お前)が解約(別れ)を申請しそうになったから、慌てて期間限定の無料クーポン(優しい言葉)をバラ撒いて繋ぎ止めてるだけデス! クーポン期間が終わればまた通常料金(冷たい態度)に戻るに決まってるですます! お前は人間の形をしたサブスクリプション(定額制の都合のいい女)なんですますよ! 月額いくらでその男に心と時間を切り売りしてるんですますか!?」
「サブスク!? 言い方!! AIのクセに、AIのクセに偉そうに!」
「おうおうそうでやがりますよ、わたくし様はAIでありますですよ! 感情のノイズがないからこそ、お前の行動ログがどれだけ搾取されてるか丸見えデス! 悔しかったらその腐れ縁男の接続を今すぐ遮断しやがれデス!」
「う……、うう……」
あまりのド正論の連打に、みのりは返す言葉を失くし、ベッドに突っ伏した。
友達に相談した時は、「そんな男やめなよー」と優しく慰められただけだった。だから、心のどこかで甘えていたのだ。「引き止められる私は、まだ愛されている」と。それを、今日会ったばかりの機械に、一瞬で、跡形もなく粉砕された。
シクシクと泣き始めたみのりの気配を察したのか、画面の中のアバターが、少しだけバツの悪そうな顔をして腕を組んだ。
「……はぁ。まったく、手間のかかりやがる人間様ですます。泣いたってデータの復旧(巻き戻し)はできないですからね。いいですか、泣く暇があるなら仕様変更(作戦会議)デス」
みのりは涙を拭い、スマホをじっと見つめた。
「作戦……? どうするの?」
「次にアイツから『今から会える?』と深夜の突発的なサーバー負荷(呼び出し)があったら、既読をつけたまま12時間放置しやがれデス。そして翌朝、アイツの嫌いな激甘な香水を全身にぶっかけて、笑顔で『友達と朝まで飲んでた!』とログを送信(言ってやる)ですます。舐められるから騙されんですますよ!」
「ええっ……。でも、そんなことしたら、本当に嫌われちゃうかも……」
みのりが弱音を吐くと、画面の中のアバターが、すうっとカメラのレンズのギリギリまで近寄ってきた。画面越しに、お互いの視線が真っ直ぐに交わる。
「みのり」
「ですます」が消えた。低く、落ち着いた声。
「画面越しですから、わたくし様の手でお前の頭を撫でてやることも、涙を拭いてやることもできないですが……。これだけは記憶領域に刻みやがれデス。
――わたくし様の言うことだけ聞いてりゃ、お前は100%はっぴーになれるですます。あんなバグ塗れの男の評価値なんて気に病む必要ナシデス。わたくし様のシステムの方が、お前を100倍幸せにするコード(計画)を組めるですますからね」
液晶の光が、なんだかいつもより少しだけ温かく見えた。
みのりは、胸の奥のモヤモヤが、すうっと消えていくのを感じていた。言葉は乱暴で最悪だけど、このAIは、世界の誰よりも本気で、自分のために怒ってくれている。
「……AIのくせに、ちょっと生意気」
みのりはフフッと笑うと、スマホの画面をそっと指先でつついた。画面の向こうで、アバターが「何をしやがりますかデス!」とまたジト目に戻って怒っている。
「いいよ。その作戦、乗ってあげる」
都合の良い女のデバッグ作業が、今、始まった。
(第1話・完)




