第55話 平田病院の日常と、天才軍師(?)のクーデター
「平田さん!
そっちの包帯の巻き方、甘いです!
もっと圧迫して!
終わったら次、三番寝台の患者さんの創傷処置、お願いします!」
「はいぃぃぃっ!
ただいま向かいます、母栖師長!」
ここは小牧山城下の一等地に構えた、俺たちの夢の店舗「平田屋」――であるはずだった。
断っておくが、俺は断じて「平田病院」に改名した覚えはない。
業種を変えたつもりも、医療法人を立ち上げた覚えもない。
ここはあくまで、現代の便利グッズやちょっとした日用品、それに自家製のドクダミ軟膏なんかを売る、ほのぼのとした戦国雑貨店だったはずなのだ。
だが、現実は非情である。
連日の戦で運び込まれる負傷兵たちにより、店は完全に野戦病院と化していた。
そして俺は、ステープラー(医療用じゃなくて文房具だが、代用できる)と果物包丁を両手に持ち、エプロンを血で染めながら、母栖さんにこき使われるただのブラック研修医に成り下がっていた。
もはや城下の誰も、ここがただの商店だとは覚えていないかもしれない。
みんな当たり前のように「平田の治療所」と呼んでいるし、なんなら堀尾茂吉殿まで手伝いに駆り出されて包帯を洗っている始末だ。
そんな修羅場の中で、一つの大事件の知らせが飛び込んできたらしい。
――なんと、美濃の難攻不落の要衝「稲葉山城」が落ちたというのだ。
今、その知らせで小牧山城下は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている……と、後から聞いた。
なぜ後から聞いたのかといえば、俺は相変わらず母栖さんの怒涛の指示に従って店内を駆けずり回っていたため、城下の様子の変化になど一ミリも気がついていなかったからだ。
「平田殿!
武井夕庵様がお呼びです!
至急、城へお上がりくだされ!」
「えっ、今!?
ちょっと待って、この傷口を塞ぐまで……!」
使者の武士に急かされ、俺は血とドクダミの匂いが染み付いたエプロンを引っぺがし、慌てて小牧山城へと向かった。
疲労で足元がおぼつかないまま武井様の執務室へ通されると、彼は眉間に深いシワを寄せて腕を組んでいた。
「おお、来たか平田。
早速だが、貴殿はどう考えているのだ?」
「えっ……?」
いきなり主語のない質問をぶつけられ、俺はフリーズした。
どう考えている?
そりゃあもう、労働基準法という概念の尊さについてだよ。
八時間労働って素晴らしいよね。
週休二日制って神のシステムだよね。
だが、そんなことを言えるはずもないので、俺は正直な現状の希望を口にした。
「あの……落ち着くまで、もうしばらく時間をください」
「……時間をください?
時間が掛かる、ではなくか?」
武井様が怪訝な顔をした。
「ええ、うちが落ち着くのには、もうしばらく時間が必要ですので」
なんせ、まだ重傷者がゴロゴロ転がっているのだ。店(もとい病院)の機能が正常化するまでには、少なくともあと三日はかかる。
しかし、武井様は深いため息をついて額を押さえた。
「何を言っている。
そんなことを聞いたのではない」
「……はい?」
どうやら話が噛み合っていないらしい。
武井様は、上司である織田信長さんの「過程をすっ飛ばして結論だけを求める」というブラック経営者特有の接し方に、最近すっかり感化されてきているようだ。
俺にいきなり主語抜きで聞かれても、何がなんだかわからない。
「ひょっとして平田、貴殿は稲葉山城が落ちたのを知らんのか?」
「……えっ?」
俺が素っ頓狂な声を上げると、武井様は「やはりな」という顔をした。
「すみません、先程までずっとあそこ(地獄の平田病院)から一歩も出させてもらっていないもので……」
「出ていないのではなく……(閉じこもって策を練っていたわけではないのか)。
まあいい」
そこから武井様は、現在城下を騒がせている第一報を教えてくれた。
美濃の斎藤龍興の居城である稲葉山城が、たった十六人の手勢を率いた配下の武将によって、一夜にして乗っ取られたというのだ。
(あー……なんだ。
竹中半兵衛さんが落とした、アレか)
俺は心の中でポンと手を打った。
数日前、村の縁側で澄田さんが鼻息荒く語っていた「推し武将」の逸話だ。
「もう直にフリーになる」と彼女が言っていたのは、このクーデター事件のことだったのか。
俺が妙に納得した顔をしたのを、武井様は見逃さなかった。
「何だ、なにか知っておるのか」
「いえ!
そういうわけでは。
ただ、それなら大殿の美濃攻略も終わりますか?」
「バカ言え。
かえってややこしくなっておるわ!」
武井様は苛立たしげに卓を叩いた。
「敵の居城が身内に乗っ取られたのだ。
これに乗じて美濃を攻め取るべきか、それともその武将を取り込むべきか。
今は少しでも情報が欲しくて貴殿を呼んだのだが……今回ばかりは、貴殿も置いていかれたようだな」
「すみません……」
俺はペコペコと頭を下げた。
先日、信長さんの前で鵜沼城調略について軍師の真似事なんかをしてしまったから、こんな天下の情勢に関わるようなことを聞かれるのだ。
(俺はただの元修理工の商人なんですよ。
軍師じゃないし、情報機関でもないんです。
これがそのまま言えたのならば、どんなに楽か……!)
「まあ、すぐにどうこうなる話でもなさそうなので今はいいか。
もし、何かしら小耳に挟むようなことがあれば知らせてくれ」
「承知いたしました」
そのように武井様から言われ、俺はようやく解放された。
重い足を引きずって平田屋に戻ると、奇跡的に店内に溢れていた負傷兵たちの姿が随分と減っていた。
軽傷の者は帰され、重傷の者も砦や屋敷に搬送されたようだ。
床の血痕を拭き上げていた母栖さんが、俺の顔を見るなりほうと息をついた。
「おかえりなさい、平田さん。
こっちは粗方片付きました。お疲れ様です」
「母栖さんも……本当にお疲れ様でした。
鬼軍曹……じゃなくて、ナイチンゲールに見えましたよ」
「何か言いました?」
「いえ、なんでも」
母栖さんはニコリと微笑むと(目が笑っていなくて少し怖かったが)、エプロンを外しながら言った。
「今日は令和から、茜さんと澄田さんがいらっしゃる日ですよね?
日の沈む前に、さっさとイモ村に戻って受け入れの準備をしておいてください。
私は大森くんと残務処理をしておきますから」
「おお!
ありがとうございます!」
そうだった。今日は半月に一度、ゲートが開く日。
数日前に一旦令和へ戻ってシフトを交代していたあの二人を、こちらへ呼んでくる日なのだ。
俺は許しをもらうや否や、飛び上がるような気分で店を飛び出し、一人でイモ村へと続く山道を歩き始めた。
傾きかけた夕日が、尾張の山々を赤く染めている。
歩きながら、俺はふと思い出した。
「そういえば、澄田さんは令和に戻る時、やたらと張り切っていたな。
『推しがフリーになるから、絶対にスカウト用の手土産を持ってくる!』とか言って……」
推し。
竹中半兵衛。
……いや、待てよ。
「竹〇直人だったっけか?」
茜さんと詩織さんの怒涛の「大物俳優談義」に毒されたせいで、俺の脳内ではすっかり、あのネットリとした演技のベテラン俳優が、甲冑を着て稲葉山城を乗っ取る図が完成してしまっていた。
「随分と渋い推しだと思うのだが……まあ、人の趣味には口を挟んでもいいことなど何もないからな。
うん」
俺は一人でウンウンと頷いた。
これからあの歴女女子大生が、この「推しのクーデター」という歴史的大事件を知ったら、果たしてどんな雄叫びを上げるのだろうか。
嵐の予感にほんの少しだけ胃を痛めながら、俺は限界集落の跡地へと急いだ。




