第53話 にわか軍師の地政学と、鵜沼城調略のプレゼン
大森が横で「先輩、生きてくださいね」という祈るような目を向けてきている。
言葉を選ばないと、マジで死ぬ。
俺は引きつった顔のまま、必死にフル回転で言い訳……いや、生き残るための「軍師っぽいセリフ」をひねり出し始めた。
脳内を駆け巡るのは、現代で澄田さん(歴史&文化人類学オタク)がドヤ顔で語っていた戦国うんちくの数々だ。
俺は覚悟を決め、なんとか声を絞り出した。
「そ、その……私の住む世界には『地政学』という学問がございまして」
「ちせいがく?」
信長さんの眉がピクリと動く。武井夕庵様たちも怪訝そうな顔をした。
「は、はい。
地形というものが、単に戦だけでなく、政治や国の力関係に深く関わる重要な要素であるということを研究するものです。
まあ、私はそのかじりを少し学んだ程度に過ぎませんが……今回の状況をその地政学に当てはめますと、ですね」
俺はろくにわかってもいない横文字の概念を盾にして、なんとか言葉を濁しながら今回の敗戦の理由をぼかそうとした。
しかし、そんな小細工が通用する相手ではない。
「え〜い、まどろっこしい!」
信長さんが苛立たしげに床几の肘掛けを叩いた。
「回りくどい言い回しは不要だ!
結局、何が言いたいのだ。申せ!」
「ヒィッ!
は、はいっ!」
俺はビビり上がり、思わず早口で捲し立てた。
「尾張から美濃を攻め取るにあたり、大殿がこの小牧山に拠点を移されたことは、十分に効果がある素晴らしい戦略だと思います!
ですが、ここからいきなり美濃へ深く攻め込むのは、いささか難しいかと!」
言ってしまった。
天下人の戦略に、ただの修理工が「難しい」とダメ出しをしてしまった。
大森が隣で「あーあ」と天を仰ぐのが見えた気がした。
だが、もう止まれない。
「なにより、国境を流れる大川(木曽川)がいけません。
その両岸に敵を抱えては、大殿のようにいかに戦上手であっても、常に背後を脅かされることになりますゆえ!」
「……犬山城のことか」
信長さんが低い声で応じた。
現在、織田家に反旗を翻している織田信清の居城だ。
「はい。
まずはそれもですが、川を挟んだ対岸に位置する『鵜沼城』もです」
「鵜沼もか」
「はい。
なにより、渡河をしながらの戦は、どんな大軍であっても圧倒的に不利です。
渡河準備に時間を取られれば、背後の犬山城に察知され、襲撃の機会を伺われます。
かといって、それを恐れて無理をして渡河を急げば、今度は対岸の鵜沼城に察知されます。
急ぎすぎれば、今回のような伏兵の計略を見抜けるはずもありません。
美濃へ本格的に攻め入るには、先ずはあれら、川の両岸の拠点をどうにかしませんと!」
一気に言い切った後、俺は肩で息をした。
澄田さんがコンビニのバックヤードで、廃棄弁当を食べながら熱弁していた内容の丸パクリである。
ありがとう澄田さん。君のオタク知識が今、俺の命を繋ぎ止めているよ。
中庭は静まり返っていた。
武井様をはじめとする重臣たちが、俺の言葉にハッとしたように顔を見合わせている。
信長さんは顎に手を当て、鋭い視線を宙に向けた。
「……なるほど。犬山を落とすのが先か」
「いえ」
俺は即座に首を振った。
「犬山の対岸には鵜沼城があります。
下手に犬山を力攻めすれば、鵜沼から川を越えて後詰(援軍)が来る危険があります。
簡単には落とせないでしょう」
「ならば、如何と考える?」
信長さんの声から、先ほどの怒気がスッと消えていた。
代わりに、純粋な知的好奇心と、俺の器を試すような冷たい光が目に宿っている。
俺はゴクリと唾を飲み込み、最大の『ネタバレ』を投下した。
「鵜沼城主、大沢殿の『調略』から始めるべきと考えます」
「大沢を調略だと?」
信長さんが目を細めた。
「はい。大沢殿は、大殿の義父であらせられる斎藤道三殿に見出された武将だと聞いております。
道三殿を討った今の美濃の主・斎藤義龍殿からは、あまり良く思われておらず、冷遇されているとか」
「……」
信長さんが、俺の顔をジッと見つめた。
まるで、俺の頭蓋骨を開いて中身を直接覗き込もうとしているかのような、恐ろしい視線だ。
「平田。……貴様、やけに詳しいな。
一介の商人、それも異界から来た者が、なぜそこまで美濃の内情を知っておる」
痛いところを突かれた。
澄田さんの歴史講義の受け売りだなんて言えるわけがない。
俺は必死に取り繕った。
「は、はい!
以前、大殿より『犬山城が陥落した暁には、城下に領地をいただける』というありがたいお約束をいただいておりますので!
自分の将来の土地の周辺事情ですから、行商のついでに色々と耳をそばだてて調べておりました!
ええ、必死に!」
嘘ではない。
澄田さんが必死にウィキペディアで調べてくれたのだ。
「それに、お隣の唐国(中国)の武芸書……いや、兵法書にもございます。
あの国での城取りには、力押しだけでなく、実に多くの謀略や調略が用いられると聞いておりますので」
「ほう。謀略で取れと申すか」
「流石にそこまでは言いませんが!」
俺は大げさに手を振った。
「ただ、少し噂を流すだけでも、美濃における大沢殿の立場を今以上に危うくさせることは簡単です。そこへ大殿が誠意を持って説得に当たれば、寝返らせることは十分に可能かと!
鵜沼が落ちれば、川の連携は分断され、犬山城は完全に孤立します。
そうなれば、力攻めでもそれほど難しくはないかと……ど、素人ながら考えた次第でございます!」
言い終えた瞬間、俺は全身の毛穴から冷や汗が噴き出すのを感じた。
横を見ると、大森が信じられないものを見るような目で俺を見上げていた。
(先輩……あんた、女たちの『目立ちすぎるな』ってストッパー指令を完全に無視して、ゴリゴリの軍師ムーブかましてんじゃないですか……!)
大森の心の声が聞こえた気がした。
だが、仕方ないだろう。
聞かれたんだから答えないと殺されそうだったんだ!
長い、本当に長い沈黙が降りた。
やがて。
「……くくっ」
信長さんの喉の奥から、低く漏れるような笑い声が聞こえた。
それは次第に大きくなり、やがて中庭に響き渡る豪快な笑いへと変わった。
「はーっはっはっは!
地政学!
唐国の兵法!
よい、実に良いぞ平田!
ただの金創医かと思えば、大した腹黒さを持っておるではないか!」
「えっ、腹黒……?」
「よかろう。
その策、採用してやる」
信長さんは立ち上がり、縛り上げられたばかりの左腕を庇いながらも、ビシッと俺を指さした。
「武井!」
「はっ!」
控えていた武井様が進み出る。
「すぐに忍びを放て。
美濃に『大沢が織田と通じている』と噂を流し、孤立させよ。
頃合いを見て使者を送る。
……ふふっ、まずは足元から崩してやるわ」
「御意にござりまする!」
武井様が深く頭を下げる。
その際、俺のほうをチラリと見て、「やりおるな」というような感心の眼差しを向けてきた。
助かった。
首が繋がった。
俺は全身の力が抜け、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えた。
「大儀であった、平田、大森。見事な治療と、見事な策ぞ。
褒美は追って取らすゆえ、今日は下がって休むがよい」
「ははっ!
ありがたき幸せに存じます!」
俺と大森は深々と平伏し、足早に――ほとんど逃げるように――大広間の中庭を後にした。
城門を抜け、冷たい夜風に吹かれた瞬間、俺はたまらずその場に崩れ落ちた。
「あああああ……寿命が、寿命が十年は縮んだ……」
果物包丁とアルコールの入った木箱を抱えた大森が、俺の隣にしゃがみ込む。
「先輩、お疲れ様です。見事な軍師っぷりでしたよ。孔明かと思いました」
「うるさい。
俺はただ、澄田さんの受け売りを並べただけだ。
……なあ大森、俺、また面倒なことに巻き込まれてないか?」
「巻き込まれてますね。
間違いなく、大殿から『便利な知恵袋』としてロックオンされました」
「うわあああ……帰りたい……令和に帰って、茜さんの作った肉じゃが食べたい……」
「諦めてください。
俺たちはもう、立派な戦国サバイバーですよ」
大森に肩を叩かれながら、俺は夜空の月を見上げた。
限界集落の引きこもりから、戦国大名の外科医兼にわか軍師へ。
俺の人生の舵取りは、一体どこでどう間違ってしまったのだろうか。




