第44話 魔王との謁見と、乙女心の地雷原
翌朝。
決戦の朝は、意外なところから火の手が上がった。
舞台は「イモ村」の長屋。
詩織さんが手配してくれた、この時代の着物への着替えタイムでのことだ。
「うーん……これって、なんだかな〜。
地味すぎない?
成人式の時に作った私の振袖のほうが良かったかしら」
鏡(といっても磨いた銅板だが)の前で、茜さんが不満げに袖を摘んでいる。
確かに、詩織さんが用意したのは藍染めの堅実な小袖だ。
現代の煌びやかな着物に比べれば、色も柄も控えめである。
だが、俺はその言葉を聞いた瞬間、反射的にツッコミを入れてしまった。
「いや茜さん、振袖って……あれは未婚の若い女性が着るもんで、年齢的に……」
――ピキッ。
空間に亀裂が入る音がした気がした。
恐る恐る顔を上げると、そこには般若のお面よりも冷たい無表情で見下ろす茜さんがいた。
「……年齢的に、なに?」
「あ、いや!
その!
当時の常識としてですね!
深い意味は!」
俺がしどろもどろになっていると、周囲で着替えを手伝ってくれていた村の女性たちからも、なんとも言えない生温かい、そして非難がましい視線が突き刺さる。
『平田様、それは言うたらあかんやつです』という心の声が聞こえてきそうだ。
「先輩、女性に『年齢』についての発言は、たとえ戦国時代でも万死に値しますよ……」
横で着替えていた大森が、小声で忠告してきた。
が、その直後。
「海図くんも、余計なこと言わない!」
バシン!
と快音が響く。
詩織さんが愛の鉄拳制裁を大森の背中に見舞っていた。
理不尽だ。
だが、この場の空気を支配しているのは間違いなく女性陣である。
信長さんに会う前に、俺の寿命が縮んでいく音がする。
そんな修羅場を、澄田さんが冷ややかな目で収拾にかかった。
「茜さん。
流石に令和の着物はまずいですよ。
あの派手な柄、それに化学染料のパキッとした発色は、この時代には存在しませんから」
澄田さんは、着慣れない着物の帯を気にしながら、淡々と解説を始めた。
「それに生地です。
現代のポリエステルや、あるいは正絹だとしても機械織りの均一すぎる生地は、大大名家が家宝にするレベルの代物に見えかねません。
そんなものを着て町を歩けば、『どこの姫君か』と誘拐されるか、『南蛮渡来の怪しい布を持つ妖術使い』として捕まるか、どちらかです」
「う……そ、そうなの?」
「はい。
その点、詩織さんが用意してくれたこの着物は完璧です。
手織りの風合いがありつつ、村一番の上等な品。商人や職人の娘として、失礼にならず、かつ目立ちすぎないギリギリのラインです。
まさにグッジョブです」
澄田さんが親指を立てると、詩織さんが「えへへ」と照れくさそうに笑った。
さすが詩織さん。
伊達にこの時代で主婦業をこなしていない。
こちらの経済感覚とTPOを完全に把握している。
茜さんもようやく納得したようで、「まあ、郷に入っては郷に従えよね」と渋々ながらも着付けを終えた。
***
準備が整った俺たちは、朝霧の残る山道を下り、小牧山の城下町へと向かった。
麓にある俺たちの拠点、元・平田屋敷には、前に雇った部下の堀尾さんがすでに待機していた。
「平田殿、お待ちしておりました。
……ほう、こちらが例の」
堀尾さんは、着物姿の茜さんと澄田さんを見て、一瞬目を丸くした。
やはり身長の高さに驚いたようだが、すぐに武士らしく居住まいを正して会釈してくれた。
「では、参りましょうか」
堀尾さんの先導で、大森たちも連れて近くの店――つまり建設中の「平田屋」店舗へと向かう。
まだ朝も早いというのに、店の前にはすでに人が集まっていた。
「うわ、もうこんなに来てるのか」
俺は思わず呻いた。
客ではない。怪我人だ。
頭に包帯を巻いた足軽や、腕を吊った人夫たちが、開店待ちの行列のように並んでいる。
「ドクダミ軟膏をくれ!
傷が疼いてたまらんのだ!」
「俺の脚を診てくれ!
昨日の普請で石を落として……」
俺たちの商売は順調……なのだろうか。
本来は砂糖や現代雑貨を売るはずが、今や完全に「野戦病院兼調剤薬局」と化している。
大森と詩織さんは、到着するなり「さあ、並んで並んで! 順番に診るから!」と手際よくトリアージを始めた。
たくましすぎる。
俺たちがその様子を呆然と見ていると、店の裏口に人影が現れた。
武井夕庵様の使いの者だ。
「平田殿、こちらへ。
目立たぬように」
使いの男に促され、俺と茜さん、澄田さんの三人は、雑踏を避けて裏路地へと入った。
そのまま建設中の小牧山城の敷地内へ。
大手門から堂々と入るのではなく、資材搬入用と思われる勝手口のような場所を通される。
まるで忍者の侵入ルートだ。
「……なんか、悪いことしてる気分ね」
茜さんが小声で囁く。
「公式記録に残らない、極秘面会ですからね。
コソコソするのが正解なんです」
澄田さんが緊張した面持ちで答える。
迷路のような普請中の廊下を進むと、一際警備の厳重な区画に出た。
そこに立っていたのは、武井夕庵様その人だった。
「来たか、平田。
……ほう、その者たちが」
武井様は鋭い視線で二人を一瞥したが、すぐに「ついて参れ」と踵を返した。
案内されたのは、まだ畳の匂いも新しい大広間だった。
襖絵もまだ入っていない、木の香りが漂う広大な空間。
その最奥に、一人の男が座っていた。
織田信長。
尾張の主。
彼は上座に胡座をかき、俺たちが入ってきた瞬間から、射抜くような眼光でこちらを観察していた。
俺は脊髄反射でその場に平伏した。
膝が床にめり込む勢いだ。
「ははーっ!」
俺のあまりの速度に驚いたのか、茜さんと澄田さんが慌ててドタバタと膝をつこうとする。
しかし、慣れない着物と帯の締め付けで、動きがぎこちない。茜さんに至っては、裾を踏んで「あっ」とバランスを崩しかけた。
それを見た信長さんが、鼻を鳴らした。
「無礼講だ。
面倒なことは好かん。
近くへ寄れ」
短く、低い声。
相変わらず、言葉の省略が多い。
「挨拶は不要、形式も不要、さっさと顔を見せろ」という意味だと脳内変換し、俺は「はっ」と顔を上げた。
今回の面会は、公的なものではない。
俺は今日、武井様と打ち合わせをしていることになっており、茜さんたちの存在は
「記録なし」。
つまり、信長公記にも載らないし、歴史上「いなかったこと」になる会見だ。
だからこそ、側近の武井様以外、小姓の姿すらない。
「平田。後ろの女たちか」
信長さんの視線が、俺を飛び越えて二人に向かう。
品定めをするような、値踏みをするような、それでいて純粋な好奇心に満ちた目だ。
「はい。
この二人は……私の故郷で、私に良くしてくれる……その、たいへん『大切な』者たちにございます」
俺は言葉を選んだ。
ただの知人と言えば、「ほう、珍しい女だ。城に上げよ(側室にしろ)」と言われかねない。
かといって妻と嘘をつけば、後でバレた時に首が飛ぶ。
だから精一杯の防波堤として、「俺にとって不可欠で、極めて重要な人物である(だから手を出さないでください)」というニュアンスを込めて強調した。
すると、背後で気配が動いた。
チラリと振り返ると、茜さんと澄田さんが、なぜか顔を赤らめてモジモジしている。
……え?
なんで?
あ、もしかして「大切な」って言葉、愛の告白みたいに聞こえた?
違うから!
今は保身のための政治的発言だから!
しかし、その反応を見た信長さんは、ニヤリと口角を上げた。
「ほう。
平田がそこまで言うか。
……面を上げよ」
二人がおずおずと顔を上げる。
信長さんは二人をまじまじと見つめ、直接問いかけた。
「異界の民よ。
そなたらは何ができる?
平田のように、怪しげな筒や甘い砂を作るか?」
茜さんが口を開こうとした瞬間、俺は心臓が止まりそうになった。「信さん」とか言い出さないか。
だが、彼女は意外にも淑やかに微笑んだ。
「お初にお目にかかります。
私たちは……そうですね、平田さんを励まし、時に尻を叩き、知恵を授ける役目でございます」
「尻を叩く、か。
くく、なるほど。
この男にはそれが必要であろうな」
信長さんが愉快そうに笑った。
澄田さんも続く。
「私は主に、過去の……いえ、多くの記録や知識を用いて、平田さんの商いの算段を手助けしております」
「軍師というわけか。
女軍師、面白い」
どうやら、気に入ってもらえたらしい。
二人の度胸と、物珍しさが吉と出たようだ。
信長さんは興味津々で、二人に故郷(現代)の暮らしぶりや、女性の地位などについて矢継ぎ早に質問を始めた。
俺の胃痛がようやく治まりかけた、その時だった。
タタタッ、と廊下を走る足音がして、一人の小姓が滑り込んできた。
信長さんの耳元で、何かを囁く。
その瞬間、信長さんの纏う空気が変わった。
好奇心旺盛な青年の顔から、冷徹な戦国大名の顔へ。
「……そうか」
信長さんは立ち上がった。
「すまぬな。
急用ができた。今日の話はここまでだ」
信じられないことに、天下の信長さんが詫びの言葉を口にした。
それだけ、俺たち(というより二人)への興味が強かったのか、あるいは機嫌が良かったのか。
彼は風のように大広間を出て行った。
残された俺たちが呆気にとられていると、すぐに武井様のもとへも伝令が走ってきた。
「ご注進!
美濃の斎藤勢が木曽川を越え、国境付近で小競り合いが発生!
双方に怪我人多数とのこと!」
「またか……」
武井様が苦虫を噛み潰したような顔をする。
俺は耳を疑った。
怪我人多数?
それ、大事件じゃないんですか?
「武井様、あ、あの……大事には……?」
「ああ、心配するな平田。
いつもの挑発行動だ。
大事には至っておらん」
武井様は平然と言い放った。
数十人単位で人が斬り合って血を流しているのに、「大事ではない」という感覚。
そうか、さっき店に溢れていた怪我人たちも、この「日常的な小競り合い」の被害者だったのか。
俺は背筋が寒くなった。
どんなに商売が上手くいっても、どんなに信長さんと親しく話せても、ここは戦国時代なのだ。
人の命が、現代よりずっと軽く、そして日常的に散っていく世界。
「……帰りましょう、みんな」
茜さんの声が、少し震えていた。
さっきまでの「戦国観光気分」は消え失せ、彼女の顔にも緊張の色が浮かんでいる。
俺たちは武井様に一礼し、逃げるように城を後にした。
遠くで、法螺貝の音が低く響いていた。




