第43話 魔王面接前夜と肝っ玉姉さん
織田信長という男と約束をしてからというもの、俺のメンタルはジェットコースターの急降下直前で停止したような状態だった。
一時も約束の二文字――すなわち『面会』が頭から離れない。
いや、正確に言えば「どうやってこの事態を穏便に収め、首と胴体が繋がったまま帰宅するか」で脳内メモリの九割が埋め尽くされていた。
にもかかわらず、画期的な策など何一つ浮かばぬまま、無情にも月日は巡り新月がやってきた。
正確には新月の前日なのだが。
俺は一度令和に戻り、仏間で正座する茜さんと澄田さんに、今回の経緯を説明した。
明日の朝、建設中の小牧山城にて、信長公との面会が決まったこと。
そして、お二人の同伴が必須であること。
「嶺さん、なんでもう少し上手に立ち回れなかったんですか?」
開口一番、澄田さんがジト目で突っ込んできた。
手にはコンビニスイーツのシュークリームが握られているが、その目は笑っていない。
「相手はあの信長ですよ?
『はい、わかりました』ってホイホイ約束してくるなんて、死亡フラグ建築士ですか?」
「いや、俺だって抵抗はしたんだよ!
でも『逃げられると思うなよ』って扇子で膝を叩かれた時のプレッシャーといったら……」
「はぁ……。
嶺さんのヘタレスキルが、まさか外交問題にまで発展するとは」
澄田さんの毒舌がマシンガンのように炸裂する。
しかし、その隣で茜さんは優雅にお茶を啜っていた。
「まあまあ、幸代ちゃん。
信長さんって、歴史で伝わる通りトップダウン的な性格でしょ?
おまけに好奇心旺盛だし」
「確かに、史実でも黒人奴隷の弥助を家臣にしたり、宣教師と仲良くしたりしてますけど……」
「どうせ前回、私たちが街で目立ったことが伝わって、直に会いたくなったんでしょうね。
私たちが無理して街に出たのが原因だもの、仕方がないわよ。嶺くんを責めちゃ可哀想よ」
茜さんのその言葉は、まさに慈母の如き包容力だった。
というか、茜さんは「戦国時代に行く」という非日常を、「ちょっと隣の県までドライブ」くらいの感覚で捉えていないだろうか。
「それに、信さんにも一度ちゃんと挨拶しておきたかったし」
「「……信さん?」」
俺と澄田さんの声が重なった。
「ええ、信長さんのこと。
なんか親しみがわくじゃない?」
俺たちは顔を見合わせた。
この人は、第六天魔王を近所の魚屋のオヤジみたいに呼ぶつもりだ。
澄田さんが頭を抱え、俺は天井を仰いだ。
前途多難である。
***
そんなやり取りを経て、俺たちは永禄六年の尾張国へと転移した。
夜の山中は冷え込んでいるが、空気は澄んでいる。
いつもの祠の前には、カンテラの灯りを持った大森が出迎えてくれていた。
「お疲れ様です、先輩!
お待ちしてましたよ!」
「おう、大森。夜遅くにごめんな」
「いやいや、明日のビッグイベントに比べれば、夜更かしなんて屁でもないっすよ」
大森は相変わらず元気だ。
ねじり鉢巻が板につきすぎている。
その背後から、詩織さんがひょっこりと顔を出した。
「詩織さ〜〜ん!
元気してた?」
茜さんが再会を喜んで駆け寄る。
二人は手を取り合ってキャッキャと跳ねた。完全に女子会のノリである。
「カイズ……じゃなくて大森くんから聞きましたよ、茜さん。
明日は私たちも一緒に行ったほうがいいですかね?」
「え〜、やっぱり聞いていたの?
それより詩織さんは信さんに会ったことあるの?」
出た。
信さん呼び。
大森が「信さんって誰すか?」という顔をしているが、説明するのも恐ろしい。
「ええ、カイズと一緒に連れて行かれて挨拶だけは。
でもそれだけで、その後は何にも。それよりも、怪我人の治療で街のほうが大変ですしね。
流石に殿様も、血とドクダミの匂いが染み付いた私たちを呼び出したりはしませんでした」
詩織さんがたくましい笑顔で答える。
かつてはおっとりした彼女だったが、野戦病院と化した平田屋での激務が、彼女を歴戦のナイチンゲールへと進化させたようだ。
「よし、立ち話もなんだし、村へ行こうか」
俺たちは祠を後にし、山道を下って「イモ村」へと向かった。
まだ宵の口と言える時間だが、村は静まり返っている。
人口は増えたはずだが、人の気配が希薄だ。
「……ねえ、村人っているのよね?
静かすぎない?」
茜さんが不思議そうに周囲を見回す。
現代なら、この時間帯はまだテレビの音が聞こえたり、車の走行音がしたりするものだが、ここでは虫の声しかしない。
「ええ、ほとんど早く寝ますから。
毎日こんな感じですかね」
大森が小声で答える。
「油代も馬鹿になりませんし、明日の野良仕事に備えて、日没とともに寝るのが基本っす。俺たちの会話、たぶん結構響いてますよ」
茜さんと澄田さんは口元を押さえた。
俺たちは抜き足差し足で、村の中心にある長屋(通称:村長屋敷兼ゲストハウス)へと滑り込んだ。
***
屋敷の中に入り、雨戸を閉めると、ようやく人心地がついた。
囲炉裏には火が入っており、大森が用意してくれていた現代の缶チューハイとつまみを広げる。
明日の「魔王面接」に向けた作戦会議の開始だ。
「で、場所はどこなんですか?」
澄田さんがスルメを囓りながら地図を広げた。
「建設中の小牧山城の麓にある館だ。
ほぼ完成間近で、今は調度品なんかを運び込んでいる最中らしい。
面会用の大広間は使えるそうだ」
「襖絵とかはまだないけど、とりあえずそこで、ってことっすね」
大森が補足する。
彼と詩織さんは普段、小牧山城下の屋敷に住み込んでいるが、今日は俺たちとの打ち合わせのために村に戻ってきてくれていたのだ。
「なるほど……。
建設中の現場なら、警備もそこまで厳重じゃないかもしれませんね」
澄田さんが軍師の顔つきになる。
「でも、問題は『視覚的インパクト』です」
「インパクト?」
「はい。前回の教訓を思い出してください。私と茜さんは、この時代では『進撃の巨人』なんです」
澄田さんが立ち上がると、鴨居に頭がつきそうになった。改めて見るとデカい。
当時の成人男性の平均身長が百六十センチ未満。女性なら百四十センチ台だ。
そこに百六十五センチの茜さんと、百六十センチの澄田さんが並べば、それはもう女子バレーの選手が幼稚園に現れたようなものである。
「信長公は『うつけ』と呼ばれるような奇抜な格好を好んだり、南蛮の文化に興味を持ったりする人物です。珍しいものは大好きですが、同時に『得体の知れないもの』への警戒心も強い」
「じゃあ、どうすればいいの?」
茜さんが首を傾げる。
「簡単です。立たないことです」
「はい?」
「移動はずっと中腰か、可能なら膝行。
面会中は絶対に立ち上がらず、常に座っていること。
そうすれば、座高の高さはある程度誤魔化せます」
「膝行……時代劇でよく見る、膝で歩くやつ?
無理よ、膝の皮が剥けちゃうわ」
茜さんが即座に却下した。
「それに茜さん」
澄田さんが眼鏡の位置を直す(今日はコンタクトだが)。
「信長公の前では、絶対に『信さん』呼びは禁止です。
あと、ボディタッチも禁止。
気安く話しかけるのも禁止です。
いいですか、相手は気に入らないと即『手討ち』もあり得る戦国大名なんですからね!」
「え〜、でもガチガチに緊張しても怪しまれるんじゃない?
嶺くんみたいに」
俺に流れ弾が飛んできた。
「俺は緊張してるんじゃない、生存本能が警鐘を鳴らしてるんだ」
「まあ、嶺さんの挙動不審は今に始まったことじゃないので、通常運転としてスルーされるでしょう」
澄田さんの評価が辛辣すぎる。
「とにかく!」
俺はパンと手を叩いて話をまとめた。
「明日は、俺が商売の話をメインに進める。
二人は『異国の血を引く巫女のような存在』という設定で、ニコニコ座っていてくれればいい。
余計なことは喋らない。
これで行こう」
「異国の血……まあ、当たらずとも遠からずね」
茜さんがニヤリと笑う。
「了解。借りてきた猫のように大人しくしているわ。
……向こうが猫を被らせてくれれば、だけど」
その含みのある言い方に、俺の胃袋が再びキリキリと痛み出した。
詩織さんが心配そうにお茶を淹れ直してくれる。
「嶺さん、胃薬、明日用に多めに持っていきます?」
「……頼む。
一番効くやつを」
こうして、永禄の夜は更けていった。
外では風が木々を揺らし、まるで何かが忍び寄るような音を立てている。
明日の朝、俺たちは歴史の教科書から飛び出してきたような怪物と対峙する。
現代の知識と、度胸と、そして若干の「鈍感力」を武器にして。




