第41話 虎の威を借りる狐
一難去ってまた一難とは、まさにこのことだ。
魔王こと織田信長さんとの面会は、決死の『かぐや姫作戦』のおかげで、首と胴体が泣き別れになることもなく無事に終わった。
だが、それは全ての終わりではなく、新たなブラック労働の始まりでしかなかったのだ。
「……で、なんで俺が都市計画の図面を引いてるんだ?」
俺は永禄の空の下、書き損じの和紙をくしゃくしゃに丸めて投げ捨てた。
場所は小牧山。
これから信長さんが新たな拠点を築こうとしている山だ。
俺たちの今後について、当初はひっそりと山奥でスローライフ、あわよくば有力武将の庇護下で安全確保、なんて甘いことを考えていた。
だが、相手はあの信長さんだ。
「ほう、異界の知恵があるのか。
なら使え。
死ぬ気で働け」となるのは自明の理だった。
むしろ、面白がって殺されなかっただけマシだと思わなければならない。
俺に課せられたミッションは、小牧山城下に俺たちの店、『平田屋(仮)』を構えること。
そこまではいい。
問題はその附帯条件だ。
窓口役である武井夕庵様は、涼しい顔でこう仰ったのだ。
『平田殿。
己の店を構えるのならば、その周囲の区画整理も任せる。
殿は、異界の知恵による整然とした街並みを期待しておられるぞ』
完全に上司の無茶ぶりである。
「自分のデスク周りを片付けるついでに、オフィスのレイアウト変更もしといて」くらいのノリで都市計画を投げられた。
俺は元修理工であって、ディベロッパーではないのだが。
「先輩、愚痴ってる暇があったら杭打ってくださいよ、杭!」
快活な声が飛んでくる。視線の先には、ねじり鉢巻をした大森が、村の男衆を指揮して整地作業に励んでいた。
「大森、お前なんでそんなに楽しそうなの?」
「いやあ、ゼロから街を作るなんて、シム〇ティみたいでワクワクしません?
ホームセンター時代は棚の配置換えくらいしか権限なかったですからね!」
「お前がポジティブで助かるよ……」
俺はため息をつきつつ、現場監督の指揮権を大森に丸投げすることにした。
かつてのブラック企業時代、俺に仕事を押し付けて先に帰った上司の顔が脳裏をよぎる。
まさか自分がそれをやる側になるとは。
いや、適材適所だ。俺がやるより、大森がやった方が絶対にいいものができる。
そんなこんなで、永禄の世での多忙な日々を過ごし、俺はようやく巡ってきた新月の前日、令和への帰還を果たした。
***
「なるほど。信長公の『ご用達』になったわけですね」
麓のコンビニのバックヤード。
廃棄弁当をつつきながら、澄田さんが冷静に状況を整理する。
「ご用達っていうか、パシリだよパシリ」
「言葉の綾ですよ。
でも、これで『後ろ盾』は最強クラスになりましたね。
歴史改変のリスクと引き換えに、生存率は跳ね上がりました」
「そう言ってもらえると心強いけど……」
俺の隣では、茜さんが「へえ、すごいじゃないレイ君!」と無邪気に背中をバンバン叩いてくる。
「信長さんに認められるなんて、男が上がったわねえ。
今度、向こうで採れた野菜も献上してみる?
品種改良した大根とか」
「茜さん、それはやめて。
また『これは何の術だ』って問い詰められるから」
茜さんは今、村の農業指導に熱を入れている。
彼女の持ち込んだ現代農法の知識と、大森たちのマンパワーが噛み合い、廃村だった場所は驚くほどの生産拠り所へと変貌しつつあるのだ。
二人を連れて行ったり来たりしているうちに、俺の生活バランスは完全に崩壊していた。
スローライフをするはずが、現代と戦国を行き来する二拠点生活。しかも、最近は永禄時代での滞在時間が圧倒的に長い。
完全に「永禄の人」になりつつある。
「で、平田さん。
次の課題は『商品開発』でしたっけ?」
澄田さんが眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げた。
「ああ。店を出すにあたって、木材や炭だけじゃなくて『華のあるもの』を置けって言われてる。
具体的には、砂糖や酒だ」
「砂糖に酒……。
戦国時代における二大キラーコンテンツですね。
でも、下手に扱うと既存の商人ギルド……『座』の連中に目をつけられませんか?」
「それなんだよ」
俺が頭を抱えているのはそこだ。
熱田や津島には、古くから酒や特産品を扱う有力な商人がいる。
ぽっと出の俺たちが、信長さんの威光を笠に着て商売を荒らせば、間違いなく恨みを買う。戦国時代の商売敵なんて、物理的に刺客を送ってきそうで怖い。
「なら、真正面からぶつからない『変化球』でいくしかありませんね」
澄田さんはニヤリと笑った。
「平田さん、次の新月まで待ってください。
私が既存の利権に抵触せず、かつ信長公を唸らせるラインナップを考えておきます」
「頼もしすぎる……!
一生ついていきます参謀殿!」
「調子のいいこと言ってないで、茜さんを連れて戻ってください。
畑仕事が溜まってるんでしょう?」
こうして俺は、澄田さんの指示通り、茜さんだけを連れて永禄へ戻り、次の満月のサイクルで再び現代へ戻って作戦会議……という、もはやどっちが本業か分からないスケジュールをこなすことになった。
***
そして、永禄の世。
イモ村の作業小屋には、甘く香ばしい匂いが充満していた。
「うん、悪くないんじゃないですか?」
焼き上がった物体を手に、母栖詩織さんが微笑む。
彼女の手にあるのは、現代知識で作った『クッキー』……の、ようなものだ。
材料は小麦粉ではない。
この時代、小麦は貴重品だ。代わりに、村で大量に採れる雑穀の稗や粟を粉にして、そこに虎の子の砂糖と、つなぎの卵、そして少量の油を混ぜて焼いたものだ。
名付けて『雑穀クッキー・改』。
「食べてみてくれ、大森」
「いただきまーす。……おっ!
うめえ!
これ、マジでうまいっすよ先輩!」
大森がサクサクと音を立てて完食する。
俺も一つ口に放り込んでみた。
「……うん、まあ、食えなくはないな」
正直な感想としては「素朴」の一言に尽きる。
現代のバターたっぷりのクッキーに比べれば、ボソボソしているし、風味も野暮ったい。
だが、この時代において「甘くてサクサクしている」というだけで、それは革命的な御馳走なのだ。
「嶺さん、これくらいのほうがかえっていいんですよ」
詩織さんが、俺の微妙な表情を読み取って助言をくれた。
「あまりに現代風の洗練されたお菓子だと、逆に『毒が入っているのでは』とか『異国過ぎて怖い』って思われちゃうかもしれません。
これなら、材料は見知った雑穀ですし、何より『どこか懐かしいのに、飛び切り甘い』っていうのが贅沢なんです」
「なるほど……。
さすが詩織ちゃん、視点が鋭い」
「それに、これなら既存の和菓子屋さんとも競合しません。
お饅頭ともお餅とも違う、新しい『南蛮菓子』として売り出せます」
素晴らしい。完璧なマーケティングだ。
さらに、これに合わせる酒も用意した。
米を使う清酒は、原料の確保が難しい上に、既存の酒造業者との摩擦が怖い。
そこで俺たちが選んだのは、村で腐るほど採れるサツマイモ(この時代にはまだないはずだが、なぜか自生していた)を使った『芋焼酎』だ。
これなら「酒」というよりは「薬用酒」や「南蛮酒」という扱いで、既存の利権の隙間を縫えるはずだ。
準備は整った。
いざ、小牧山へ出陣である。
***
まだ建設途中の小牧山の屋敷。
その一室で、俺は再び信長さんと対峙していた。
隣には武井様が、まるで抜き打ちテストの試験官のような顔で控えている。
「……ほう。これが、異界の菓子か」
信長さんが、盆に乗せられた『雑穀クッキー』をつまみ上げた。
見た目は茶色い円盤だ。今の信長さんには、泥団子に見えているかもしれない。
俺は心臓の鼓動を抑えながら説明する。
「はっ。
当座の材料で作った粗末なものですが……我らの村で採れた穀物と、南蛮の製法を組み合わせた『くっきい』なる菓子にございます」
「くっきい、か」
信長さんは怪訝な顔をしたが、躊躇なくそれを口に放り込んだ。
カリッ、という音が室内に響く。
咀嚼する音だけが聞こえる、永遠にも似た数秒間。
やがて、信長さんの目がカッと見開かれた。
「――甘いな」
「は、はい」
「だが、くどくない。
噛めば穀物の香りがし、それでいて砂糖の甘味が広がる。
……茶に合うな、これは」
「おお!
お気に召しましたか!」
思わず前のめりになり、武井様に「控えよ」と目で制される。
信長さんはニヤリと笑った。
「うむ。
京の公家が好むような軟弱な菓子ではない。
戦陣の合間に食らうには、これくらいの歯ごたえが良い。
……武井、これを城の茶会に出す」
「はっ、承知いたしました。
……平田殿、見事である」
武井様も、ほっとしたように肩の力を抜いた。
さらに、芋焼酎の試飲も行われた。
こちらは度数が高いため、小さな盃で一口だけ。
「……カッ!
これは効くな!」
信長さんは顔をしかめたが、すぐに楽しそうに笑った。
「腹の中が燃えるようだ。
既存の酒のような甘ったるさがない。
……気に入った。これも扱え」
勝った。
俺は心の中でガッツポーズをした。
店を構える前から、主力商品が『信長公ご用達』の栄誉を得たのだ。
「して、平田。
これらを扱う店、いつ開く?」
「は、はい。
大森……我が配下の者が普請を進めておりまして、じきに」
「急げよ。
……それと、分かっておろうな?」
信長さんの目が、また鋭く光る。
「貴様の商い、わしが認めたものだ。
だが、古き座の者どもが黙っているとは限らんぞ」
そう、そこだ。
俺は平伏したまま、用意していた切り札(という名の泣きつき)を切った。
「恐れながら、その儀についてお願いがございます」
「申せ」
「我らは新参者、右も左も分からぬ若輩ゆえ、古き商人の皆様にご挨拶回りをしたく思います。
その際……殿の『御朱印』を、看板として掲げる許可をいただけないでしょうか」
要するに、「俺たちのバックには信長さんがついてるから手を出すなよ」という看板を堂々と掲げたい、という下心丸出しの提案だ。
普通なら「自分の力で何とかしろ」と一蹴されるかもしれない。
だが、澄田さんの読みは違った。
『信長公は、既得権益にあぐらをかく古い勢力が嫌いです。
平田さんが矢面に立って彼らを刺激し、さらに信長公の威光を利用するなら、むしろ面白がって乗ってくるはずです』
果たして、信長さんは……笑った。
「ククク……。
虎の威を借る狐を、自ら演じるか。
よい度胸だ」
信長さんは懐から扇子を取り出し、パンと音を立てて閉じた。
「良かろう。
わしの名を使い、古狸どもを震え上がらせてみせよ。
……ただし、半端な商いをすれば、その看板ごと貴様を焼くぞ」
「あ、ありがとうございます……!(震え声)」
こうして、俺は「魔王公認」という最強の防具と、「失敗したら焼き討ち」という最凶の呪いの装備を同時に手に入れた。
部屋を出ると、武井様が呆れたように俺を見た。
「平田殿、お主……本当にヘタレなのか、強心臓なのか分からぬ男よ」
「必死なだけですよ、武井様……」
俺はげっそりと痩せた(気がする)頬をさすった。
さて、これで商品は決まった。後ろ盾も得た。
あとは、実際に店を開き、戦国尾張の商戦に殴り込みをかけるだけだ。
小牧山の空を見上げると、現代と同じ月が輝いていた。
とりあえず、次回の現代帰還時には、澄田さんと茜さんに高級焼肉でも奢って、さらなる知恵を借りなければ。
俺の胃袋とメンタルが崩壊する前に、この乱世を「商い」で平定してやる。
そう心に誓い、俺はふらつく足で大森たちの待つ現場へと戻るのだった。




