第39話 マイホーム建築戦争と、恐怖の「現場視察」
「おい、聞いたか? 丹羽様の屋敷、庭石だけで銭百貫かかったらしいぞ」
「マジかよ……。うちなんか、塀を作る予算すら怪しいってのに、嫁が『お隣の佐々様より立派な門にして』とか無茶を言うんだよ……」
小牧山の麓、造成中の城下町予定地では、そこかしこから武士たちの悲痛な叫びが聞こえてくる。
永禄六年(一五六三年)、織田信長による小牧山城築城と、それに伴う城下町の移転命令。それは家臣たちにとって、栄転の喜びであると同時に、破産へのデスマーチの始まりでもあった。
現代でもそうだが、一斉に大規模な工事が始まれば、資材と職人の奪い合いになる。需要と供給のバランスは崩壊し、建築費はうなぎ登り。
しかも、この時代の武士というのは、現代のインスタ映え女子以上に「見栄」に命を懸けている。「あいつの家よりボロい」というのは、武士としての死に等しいらしい。
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図を、俺、平田嶺は少し離れた場所から冷ややかに眺めていた。
「……よかった。城から一番遠い場所で」
俺に与えられた土地は、城下町の最外縁。小牧山の山頂にそびえる信長さんの城から最も遠い、いわゆる「不人気エリア」だ。
他の武将からは「あんな僻地に追いやられて、武井様の与力といっても所詮は新参者よな」と嘲笑されているらしいが、俺にとっては好都合極まりない。
なにせ、ここなら目立たない。そして、俺たちの拠点である山へのアクセスが良い。
「平田様、こちらの基礎工事、予定より三日早く完了しそうです」
「おお、さすがですね堀尾さん。仕事が早い」
俺に報告に来たのは、先日スカウト(という名のヘッドハンティング)に成功した、堀尾茂吉さんだ。
のちの豊臣三中老の一人となるこの男、実務能力がカンストしている。
現場監督として、うちの村から連れてきた木地師や山窩の職人たちを的確に指揮し、魔法のような手際で工程を管理していた。
「いやはや、驚きました。平田様が連れてこられた職人たちの腕が良いのと、何より……あの『道具』のおかげですな」
堀尾さんが感心したように視線を向けた先では、職人たちが黙々と柱を削っていた。
「うおぉぉッ! なんだこりゃあ! 豆腐みてぇに削れるぞ!」
「棟梁! 見てくだせぇ、この艶! 漆を塗る必要がねぇくれぇだ!」
彼らが興奮している手元にあるのは、俺が現代のホームセンターで買ってきた『替刃式カンナ』だ。
この時代、木を削る道具といえば『槍鉋』という、槍の穂先のような道具が主流だ。あれはあれで味のある削り跡になるのだが、平面を出す効率とスピードにおいては、現代の台カンナには遠く及ばない。
電動工具はさすがに音がうるさすぎて持ってこれなかったが、手工具だけでも現代のテクノロジーは戦国時代においてチート級だ。
「これなら、他の武将様が職人不足で泣いている間に、余裕で屋敷が建ちますね」
「うむ。それに、店の建設予定地もここから近いですから、資材の流用もしやすい」
俺は頷いた。
屋敷の建設と並行して、俺は上司の武井夕庵様にお願いして、すぐ近くに「店」を出す許可も得ていた。
表向きは屋敷、裏手には店。職住近接のホワイトな環境。
さらに、現場の警備にはあの男がいる。
「おい、そこ! 不審な動きをするんじゃねぇ! ……あ? 弁当の差し入れ? ……ならよし、通れ!」
入り口で仁王立ちしているのは、前野長康さんだ。
顔が怖い。とにかく怖い。
彼が睨みを利かせているおかげで、資材泥棒や他家の偵察は寄り付かないのだが……。
「……あの、平田様。前野殿ですが、少々張り切りすぎて、うちの職人たちが怖がっております」
堀尾さんが苦笑いで告げ口をしてきた。
「やっぱり? 休憩時間に大森特製のおはぎでも差し入れて、顔を緩めさせておきますか」
「それがよろしいかと。あの御仁、甘味を食う時だけは童子のような顔になりますゆえ」
食い意地だけで繋がっている主従関係だが、まあうまく回っているならいいだろう。
それに、前野さんの強面は、対外的な交渉でも役に立っている。
川並衆の親分、蜂須賀小六さんとの関係だ。
前野さんを通じて、定期的に現代の菓子や酒を贈っているのだが、向こうの反応は
「悪くない」らしい。
俺が直接出向くと「なんだこの優男は」と舐められるが、前野さんが仲介すると「平田という男、顔に似合わず太っ腹な商人のようだ」と評価される。
俺が舐められている間に、前野さんや堀尾さんが裏で人材を集め、組織を固めていく。
理想的な「神輿は軽い方がいい」システムだ。俺はただ、現代から物資を運び、あとはニコニコしていればいいのだから。
「……順調だな」
俺は建築中の屋敷を見上げ、満足げに呟いた。
元修理工の俺にとって、自分の家(しかも戦国時代の豪邸)が建っていく様子を見るのは、至上の喜びだ。
ブラック企業時代、サービス残業の合間に夢見たマイホーム。それがまさか、四百年前の尾張で実現するとは。
カンナ屑が風に舞い、夕日が新しい柱を黄金色に染める。
平和だ。このまま何事もなく、屋敷が完成すれば――。
その時だった。
「――ほう。奇妙な道具を使うておるな」
背後から、凍てつくような声が響いた。
現場の喧騒が一瞬で消えた。
職人たちの手が止まり、セミの鳴き声さえも遠慮したかのような静寂。
俺の背筋に、冷たい汗が一気に噴き出す。
この声。この威圧感。そして、この独特の尾張弁。
恐る恐る振り返ると、そこには馬に跨り、虎の皮をあしらった袴を履いた男がいた。
鋭い眼光が、俺ではなく、職人が持っている「カンナ」に突き刺さっている。
「と、ととと、殿!?」
俺は慌てて地面に額をこすりつけた。
織田信長。
この尾張の支配者であり、俺の生殺与奪の権を握る、もっとも恐ろしい「CEO(最高経営責任者)」だ。
「面を上げよ、平田」
信長さんは馬からひらりと飛び降りると、スタスタと建築中の屋敷に入り込んでいく。
警備の前野さんが直立不動で震えている。堀尾さんも顔色が青い。
「貴様の普請場だけ、進みが異常に早いと報告があった。……なるほど、からくりはこれか」
信長さんは、職人が削り出したばかりの、薄いカンナ屑を拾い上げた。
向こうが透けて見えるほど薄く、長く繋がった木の皮。
従来の槍鉋では、こうはいかない。もっと厚く、短い木屑になるはずだ。
「見事な平面だ。まるで鏡のようよ。……して、これは南蛮の道具か?」
信長さんの目が、獲物を見つけた猛禽類のように輝いている。
マズい。非常にマズい。
好奇心旺盛なこの人に、現代のオーバーテクノロジーを見つかってしまった。
「は、はい! えーと、その、南蛮……ではなく、遠い異国の知恵を借りたものでして!」
「ほう。異国とな」
信長さんは俺からカンナを取り上げると、しげしげと刃の角度や台座の構造を観察し始めた。
「理に適っておる。槍鉋のように熟練を要さずとも、これならある程度の修練で平らな板が作れよう。……平田、これは幾つある?」
「は?」
「幾つあると聞いておる。この道具だ」
「い、今は五つほどですが……」
「そうか」
信長さんはニヤリと笑った。
その笑顔を見て、俺は背筋が凍る思いがした。
それは、前の会社の部長が「君、今週末は暇だよね?」と聞いてきた時と同じ笑顔だったからだ。
「平田。明日の夕刻、城へ参れ」
「……へ?」
「普請の話ではない。貴様のその『異国の知恵』とやら、もっと詳しく聞かせてもらわねばならんからのう」
信長さんはカンナを俺に投げ返すと、再び馬上の人となった。
「期待しておるぞ。……あぁ、それとな」
去り際に、信長さんは思い出したように付け加えた。
「貴様の屋敷、なかなか良い木を使っておるな。……完成したら、茶の一杯でも飲みに寄らせてもらう」
言葉を残し、信長さんは疾風のように去っていった。
後に残されたのは、魂が抜けたようになった俺と家臣たち。
「……平田様」
堀尾さんが、幽霊のような声で囁いた。
「殿が、完成した屋敷に来る、と仰いましたね」
「……うん」
「つまり、絶対に手抜き工事はできないし、工期も遅らせられないし、内装も殿の好みに合わせなければ、全員の首が飛ぶということですな」
「……うん」
俺はその場に膝から崩れ落ちた。
マイホーム建築の夢は、一瞬にして「失敗の許されない国家プロジェクト」へと変貌した。
しかも、明日は城への呼び出しだ。
カンナ一つでこれだ。もしうっかり、スマホやLEDライトなんて見られた日には、俺は一生、信長さんの発明係として城の地下に監禁されるかもしれない。
「大森ぃぃ……! 帰りたい……! 俺、令和に帰りたいよぉぉ!」
夕焼けの小牧山に、俺の情けない絶叫がこだました。
戦国スローライフへの道は、まだまだ遠く険しいようである。




