第37話 小牧山城でのお屋敷
「で、あるか」
あの一言の余韻に浸りながら、俺が令和に戻ってから一月が経った。
その間、織田家からは何の音沙汰もない。
俺と大森は「あれ? もしかして、ただの『ふーん』だった?」と不安になりながらも、生活のために清州へ通い、砂糖や現代の日用品を売る日々を送っていた。
清州の城下町は、今日も今日とて活気に満ちているが、商人たちの口の端に上るのは、もっぱらある「噂」だった。
「おい聞いたか? 殿様、マジで引っ越しする気らしいぞ」
「やっぱりか。最近、重臣の方々が慌ただしく出入りしてるもんなあ」
「清州もこれで終わりかねえ……。せっかく店を構えたってのに」
商人にとって、権力の中枢が動くというのは死活問題だ。皆、信長さんの次の挙動に戦々恐々としている。
そんなある日、俺たちの店(という名のゴザを広げただけのスペース)に、見慣れた顔が現れた。
武井夕庵様だ。
「平田殿、精が出るな」
「あ、武井様! ご無沙汰しております!」
俺は慌てて地面に額をこすりつける。
「よいよい、今日は商いの邪魔をしに来たわけではない。……殿より命が下った」
武井様の目が、スッと細められる。
「三日後、殿が『二の山(二宮山)』へ視察に出向かれる。貴殿らも供をせよ」
「えっ、二の山へ?」
俺は顔を上げた。
二の山といえば、俺たちがリサーチして「あそこはマジでやめといた方がいいです」とプレゼンした場所だ。なんでまた、わざわざそこへ?
「殿はご自身の目で確かめたいそうだ。ついては、貴殿らは先行し、山頂にて殿をお迎えする準備を整えておけ。……よいな?」
武井様は意味ありげに片目を瞑ってみせた。
これは、「分かっているな? あの資料通りであることを、現場で証明しろ」という意味か。
「は、はい! 承知いたしました!」
*
そして翌日。
俺と大森は、愛用の軽トラ(という名の台車)に機材を積み込み、二の山の麓に立っていた。
今回の作戦には、現代から持ち込んだ秘密兵器がある。
「先輩、ガソリン入りました! いつでもいけます!」
「よし、やるか大森。戦国時代に轟かせろ、文明の爆音を!」
俺がスターターロープを勢いよく引くと、ブルルンッ! という軽快かつ凶暴なエンジン音が静寂な山林に響き渡った。
エンジン式草刈り機(チップソー装備)だ。
「うひょー! 切れ味最高っすね! 竹でもなんでも瞬殺だ!」
大森がヒャッハーと叫びながら、伸び放題だった山道の雑草や藪を薙ぎ払っていく。
手鎌でやれば数日かかる作業が、ものの数時間で終わる。これぞテクノロジーの勝利だ。
俺たちは麓から山頂までのルートを強引に切り開き、山頂の平らなスペースに、これまた現代から持ち込んだキャンプ用のタープ(天幕)に似せて作らせた木綿の天幕を張り、竹製の折りたたみ式の椅子とテーブルを設置した。
仕上げに、以前の治療でも活躍した簡易ベッドを「殿の休憩用」としてセットする。
準備万端。
そして、運命の視察当日。
山頂で待機していた俺たちの元に、一人の伝令が血相を変えて駆け上がってきた。
「ひ、平田殿! と、殿が……殿がいらっしゃったが……なんというか、その……!」
「どうしました? まさか敵襲ですか!?」
「いえ、そうではなく……あまりにも、その、軽装で……!」
伝令が言葉を濁して去っていく。
どういうことだ? と首をかしげていると、整備したばかりの山道から、一団が現れた。
先頭を歩くのは、織田信長その人だ。
だが、俺たちの知る鎧兜姿ではない。鷹狩りにでも行くような身軽な服装で、スタスタと山道を登ってくる。
その後ろから、ゼェゼェと荒い息を吐きながらついてくるのは、林様や柴田様といった重臣たちだ。
さらにその後ろには、武井様が涼しい顔で続いている。
「……到着、であるか」
信長さんは山頂に着くや否や、俺たちが用意したキャンプ用チェアにドカッと腰を下ろした。息一つ乱れていない。体力お化けか。
一方、重臣たちは死にそうな顔で地面にへたり込んでいる。
「と、殿……。やはり、ここは……」
筆頭家老の林様が、肩で息をしながら絞り出すように言った。
「こ、これほど険しき山道……。我らはともかく、兵糧の運搬や、家族の往来には……あまりに不向きかと……」
武闘派の柴田様も、額の汗をぬぐいながら同意する。
「左様。それに、ここからでは犬山城が近すぎまする。あちらの監視下で出入りするなど、我慢なりませぬ」
「そうです、殿。ここは景色こそ良いですが、城を築くとなれば話は別。家族を連れてくるなど、もってのほか!」
重臣たちが口々に不満を漏らす。
そりゃそうだ。俺たちが草刈り機で道を切り開いたとはいえ、二の山は急峻だ。毎日ここを通勤しろと言われたら、俺だって辞表を出す。
信長さんは、その不満の大合唱を、扇子でパタパタとあおぎながら黙って聞いていた。
まるで、この反応を待っていたかのように。
そして、皆の愚痴が出尽くしたのを見計らって、ニヤリと笑った。
「皆の言い分、よーく分かった」
信長さんは立ち上がり、眼下に広がる濃尾平野を見下ろした。
「ここが出入りに不便で、犬山の脅威にさらされ、家族を住まわせるには地獄のような場所だということは、重々承知した」
重臣たちが「おお、分かってくださったか!」と安堵の表情を浮かべる。
すると、信長さんは次の一言を放った。
「ならば、それらの不満がない場所なら良い、ということだな?」
「は?」
重臣たちがポカンとする中、信長さんは武井様を振り返った。
「武井。小牧山へ移る。用意いたせ」
――えっ?
その場にいた全員(武井様と俺たち以外)が凍りついた。
小牧山。
それは、俺たちがプレゼン資料で「対抗馬」として激推しした場所だ。
信長さんは最初から、二の山になんて移る気はなかったのだ。
あえて条件の悪い二の山を視察させ、重臣たちに「ここは嫌だ」と言わせることで、本命である小牧山への移転を「消去法で最高の案」として納得させる。
なんて強引で、なんて鮮やかな手腕。
「はっ! すでに手配は進めております!」
武井様が即答する。
やっぱり、この二人はグルだったのか!
信長さんは俺の方をチラリと見ると、口元だけで笑った。
(お前の描いた絵図面通りに進めてやったぞ)
そう言われた気がして、俺は背筋が震えた。
*
そこからの動きは早かった。
小牧山への築城と、新たな城下町の建設が一気に始まったのだ。
織田家の財力は底なしだ。津島や熱田の商人を掌握しているおかげで、湯水のように金が使われる。各地から人足が集められ、小牧山はあっという間に巨大な工事現場と化した。
今回の目玉は「石垣」だ。
これまで土塁が主流だった尾張の城郭において、本格的な石垣を用いる初の試みらしい。
しかし、石垣用の石は近場では手に入らない。五条川、庄内川、さらには木曽川まで出張って、適した石を集めなければならない。
そこで火を吹いたのが、俺たちの「荷車」だった。
現代のホームセンターで売っている、あの荷車を参考にして木地師たちに頑張って作ってもらったあの一品だ……と言っても俺達が常に清須まで荷を運ぶときにも使っているやつだ。
又、その他に今回石を集めにあたり、大森の指導のもと、村の木地師たちが量産したこの「ネコグルマ改」が、川原で大活躍したのだ。
従来の畚や背負子に比べ、一度に運べる量は三倍、労力は半分。
その様子を、視察に来ていた信長さんが見逃すはずがなかった。
「平田。石は拾わなくてよい」
「はっ?」
河原で石を拾っていた俺に、信長さんが馬を寄せた。
「その車だ。あれをありったけ用意せよ。築城が終わるまで、貴様のところの車を独占的に買い上げる」
「は、ははーーっ!」
こうして俺たちは、石垣職人ではなく、織田軍公認の「物流業者」として組み込まれることになった。
築城現場を、俺たちの作った荷車が走り回る。
「おい、平田の車を持ってこい! あれがないと仕事にならん!」
「あそこの車輪、すげえぞ。泥道でもスイスイ進みやがる!」
現場監督たちからの評価もうなぎ登りだ。
そして、築城も半ばに差し掛かった頃。
俺と大森、それに武井様が再び呼び出された。
「平田。大儀であった」
信長さんから直々に褒め言葉をいただき、さらに渡されたのは一通の書状。
そこには、驚くべき内容が記されていた。
一つ、平田嶺を正式に織田家の武将(武井夕庵の与力)として認める。
一つ、褒美として金一封(かなり重い)。
一つ、所領として「二の山周辺から楽田、大懸神社に至る山林」を安堵する。
ただし、犬山城が落城した後に
一つ、小牧山城下に屋敷を与える。
「……えっ?」
俺は書状を持つ手が震えた。
所領安堵? しかも、楽田砦周辺って、今まさに敵地(犬山方)のど真ん中じゃないですか?
「あ、あの、楽田周辺はまだ犬山の……」
「じきに落ちる」
信長さんは短く言い切った。
「それに、あの辺りの地侍はすでに調略済みだ。貴様が領主となっても文句は言わせん。……というか、貴様の村、すでにあの辺りを実効支配しているのだろう?」
ギクリ。
確かに、村の活動範囲は広がっているし、大懸神社での商売も順調だ。バレていたか。
それにしても犬山城攻略後って、これ信長さんが多用したという報酬の後払いだ。
でも、普通というより俺の知っているやつは、敵の領地だった場所の下賜だったはずなのだが、俺に渡されるのはすでにお見方になっている地侍のいる場所だけど、これって……良いのかな。
それにお屋敷まで……え?
俺に、あの村から出て小牧山城かに住めって……ムリムリ、どうしよう。
「そ、それで……この、城下の屋敷というのは……」
「武将たるもの、城下に屋敷を持つのは当然であろう。築城が済み次第、移り住め」
「は、はい……」
退出した後、俺はその場に崩れ落ちそうになった。
「先輩! やったじゃないっすか! 一国一城……じゃないけど、お屋敷持ちですよ!」
大森が無邪気に喜んでいるが、事態は深刻だ。
「バカ言え! 俺は現代人だぞ! 月に数日しかこっちに来れないのに、どうやって城下の屋敷に住むんだよ!」
「あ」
「お前は良いよ、お前は、すでに現地人だし、家族持ち出しな」
そうだった。
最近は俺もかなりこっちにいるが、それでも俺は令和の人間だ。
あの祠のそばから離れるわけには行かないし、何より俺が半月単位で居ないのがバレルにはまずいだろう。
半月単位で行き来できるようになったことで、かなり自由度は上がったがそれでもだ。
山奥の廃村ならいざ知らず、信長さんの膝元である小牧山の城下町。そこに空き家同然の屋敷があれば、「あいつら、普段どこに消えてるんだ?」と怪しまれるに決まっている。
家と言って、大森も小牧山に住まわせるわけにも行かない。
大森も、こっちで祠を守ってもらわねばならないからな。
「どうするんすか、先輩」
「どうするもこうも……」
俺は頭を抱えた。
「留守番が必要だ。それも、俺たちの秘密を守れて、かつ武士として恥ずかしくない振る舞いができる、信頼できる誰かが」
俺たちは顔を見合わせた。
そんな都合のいい人材、戦国時代に落ちているわけが……。
「……探すか」
「っすね。人探し、始めましょう」
小牧山城の石垣が高く積み上がっていく中、俺たちは新たなミッションに挑むことになった。
求む、住み込み管理人。
ただし、タイムスリップの秘密を守れて、信長さんの無茶振りにも耐えられる強靭なメンタルの持ち主に限る。
……ハードル高すぎだろ。




