第33話 永禄の大評定と、俺たちの守り神
こうして令和での慌ただしくも穏やかな正月が過ぎ去り、再び永禄三年へと渡る新月の夜がやってきた。
いつものように祠を抜ける。
ひやりとした空気が肌を刺し、瞬く間に俺は戦国の世へと舞い戻っていた。
「先輩! 待っていましたよ!」
祠から出ると、そこには案の定、大森が仁王立ちで待っていた。その顔はどこか深刻そうで、いつものお調子者ぶりは鳴りを潜めている。
「どうした、大森。何かあったのか?」
「それが……。まあ、まずは村へ。話はそれからです」
大森に促されるまま、俺は急ぎ足で村へと向かった。向こうはまだ年末と呼ぶにも間が空いている時期で、村の中は年越しの準備といいよりも越冬の準備で活気にあふれている。
だが、その喧騒とは裏腹に、大森の表情は硬いままだった。
翌日、俺は大森に連れられ、馬を飛ばして清州の武井夕庵様の屋敷を訪れていた。
通された客間で待っていたのは、予想以上に重々しい空気だった。
「平田殿、よく来てくれた」
穏やかな表情で俺たちを迎えてくれた武井様だったが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。
「先日、織田家中の主だった者が一堂に会する機会があり、来る正月の大評定で、話し合うことになる方針に付いて殿より下問があった」
武井様の説明によれば、評定では美濃斎藤家への本格的な侵攻が議題したいという。
そのための軍備増強、兵糧の確保など、戦を目前にした具体的な指示が飛び交ったらしい。
「そして、これはまだ噂の段階ですが……」
武井様は声を潜め、俺たちの顔を順に見回した。
「上様は、この清州から拠点を移されるおつもりやもしれませぬ」
「……え?」
移転? この尾張の中心である清州から?
「平田殿の村がある犬山は、美濃攻めの最前線となります。上様が拠点を移されるとすれば、その地は美濃により近い場所……。その際には、平田殿たちにも城下に屋敷が下賜されることになるでしょう。そうなれば、誰か一人、必ずや城下に詰めてもらわねばなりませぬぞ」
あまりに唐突な話に、俺の頭は完全にキャパオーバーだった。
俺たちに、屋敷……?
急ぎ村へ戻った俺たちは、残された一日半という短い時間の中で、それこそ村の大評定を開くことになった。
集まったのは、俺と大森、そして現代から来ている茜さんと澄田さんだ。
「――というわけで、信長様が拠点を移すかもしれないらしい」
俺が武井様から聞いた話を説明すると、三人は一様に息を飲んだ。
「さらに、もう一つ報告がある。実は、令和の元日の夜、満月だったんだが……」
俺は、茜さんと二人で体験した「元旦満月ワープ事件」についても包み隠さず話した。
「満月に、ですか!? 新月だけでなく?」
目を輝かせたのは澄田さんだ。オタクの血が騒ぐのだろう。
「おそらく、朔旦正月……つまり、新月と元日が重なるような特殊な暦日において、時空のゲートが不安定になった可能性があります。これは非常に興味深い事例です!」
「なるほど、わからん」
「つまり、ボーナスステージってことだよ、大森くん」
茜さんが分かりやすく(?)通訳する。
ひとまず、次回の満月、つまり半月後に再現実験を行うことで話はまとまった。
そして、話題は信長の移転計画へと戻る。
「澄田さん、何か心当たりは?」
「はい。私たちが知る歴史が、この世界で同じように進むとは限りませんが……。史実では、永禄六年、つまり再来年ですが、織田信長は拠点を清州から小牧山に移しています」
澄田さんの言葉が、武井様の噂話を裏付けた。
十中八九、移転先は小牧山で間違いないだろう。
「そうなると、拝領される屋敷のことも現実味を帯びてきますね。まずは現地の視察が必要です。どんな土地なのか、今のうちに調べておきましょう」
さすがは我らが参謀。
話が早い。
俺たちは、茜さんと澄田さんが令和に戻るまでの間に村人たちにも状況を説明し、ひとまず落ち着いて正月を迎える準備を進めるよう指示を出すことに決めた。
3日といいう俺達に残された特別な時間は短い。
今回もあっという間に時間になり、茜さんたちを戻さないといけなくなったので、俺は二人を連れて行ったん令和に戻る。
それから半月後の満月の夜に、今回は俺だけで、しかも十分に食料など半月は行きていけるだけのものを持って実験に望んだ。
結果は……大成功だ。
事前に大森たちに話していたこともあり、祠前では、大森と母栖さんが待っていた。
「先輩、すごいですね!」
「ええ、満月でも行き来できるなんて」
二人は大喜びだ。
あたりはいよいよ年末を迎え、相当寒いが、二人をまたせたのが悪く思えた。
二人に、お礼代わりに俺が今回持ち込んできた食料をそのまま渡した。
「あ、ありがとう……ございます」
母栖さんは訳わからずと言った感じだ。
「もし、他の時代にでもと考えて少なくとも半月分の食料を持ってきたんだ。
ここに来れたのならば、いらないからね」
「そういうことなら」
俺の説明を聞いて納得したのか、今度は笑顔になって俺から食料を受け取った。
「で、先輩はすぐに戻りますか」
「いや、今回は正月までここにいるというか、ここでの正月に二人を迎えには行くけど、いないとまずいよな」
「でしょうね。
織田家でも正月行事はありますし、新参の俺達が欠席というのは……」
「だろうな」
俺は大森と話しながら、ふと祠を見やった。
今まで散々ここを使ってきたのだが、全く気付かなかった。
婆さんの家の仏壇は綺麗にしたのに、こちらの祠は雨風にさらされたままだ。
俺たちにこれだけの恩恵を与えてくれているというのに、このままでは申し訳が立たない。
「……よし」
「どうしましたか?」
「ここも、正月を前にきちんとしておきたいかなと思って」
翌朝から俺は、令和から持ち込んだ工具箱を手に取ると、一人で祠の修理を始めた。
壊れた屋根を補修し、傾いた柱をまっすぐに直す。
元修理工の血が騒ぐ。夢中になって作業していると、いつの間にか大森と、その隣には詩織さんの姿があった。
「先輩、水臭いですぜ! こういうのは俺にも手伝わせてくださいよ!」
「私も、何かできることがあれば……」
二人の申し出が、素直に嬉しかった。
やがて、その様子に気づいた村人たちが、一人、また一人と集まってくる。
「皆、聞いてくれ」
俺は集まった村人たちに向き直り、声を張り上げた。
「この祠にある仏様は、ただの石仏じゃない。遠い故郷から俺たちを導き、この村に豊かな実りを与えてくれた、俺たちの守り神様なんだ! だから、来る大晦日には、この仏様に一年間の感謝を伝える祭りを開こう!」
俺の言葉に、村人たちの顔がパッと明るくなり、「おおー!」という歓声が上がった。
それからの数日間、村は年越しの準備と祠の修繕で、かつてないほどの熱気に包まれた。
寒い冬の最中だったが、皆で力を合わせる作業は、不思議と心まで温かくしてくれた。
そして、大晦日の前日。
すっかり綺麗になった祠の中で、俺は一人、仏像の汚れを丁寧に拭っていた。
これだけは、なぜか俺が一人でやらなければならない。
そんな気がしてならなかった。
大森に頼んで、村人たちも祠には近づけないようにしてもらっている。
布で優しく表面を磨き上げると、石仏様が心なしか微笑んだように見えた。
(……ありがとう)
どこからか、そんな声が聞こえた気がした。だが、気のせいだろう。俺は仏像を元の位置に戻し、次の準備に取り掛かった。
太陰暦の永禄では、正月は新月にやってくる。そして、大晦日の夜、俺は再び令和と繋がることができるのだ。
日が沈み、空が深い藍色に染まる頃、俺は一度令和へと戻り、この特別な夜を共に過ごすべく、茜さんと澄田さんを永禄時代の村へと招待した。
「うわー! すごい! 本当に戦国時代で年越しだ!」
「これは……感慨深いものがありますね」
みんなで過ごす初めての正月に舞い上がっている澄田さんと、茜さんを連れて、俺は生まれ変わった祠の前へと向かう。
そこでは、大森たちがキャンプファイヤーさながらに大きな焚き火を炊き、その周りでは大釜から湯気がもうもうと立ち上っていた。
「さあ、二人とも! 今夜は無礼講だ! 食って飲んで、新しい年を祝おう!」
大釜の中身は、村で採れた野菜と、俺が令和から持ち込んだ味噌や乾麺のうどんをふんだんに入れた特製の鍋料理だ。村人たちはそれぞれ木の椀を手に、熱々の鍋に舌鼓を打っている。
賑やかに飲み食いしながら、この一年間の皆の働きとその功績を互いに称え合う。
戦乱の世とは思えないほど、そこには温かい笑顔と笑い声が満ちていた。
やがて、遠くの寺からゴーン、ゴーンと除夜の鐘の音が聞こえてくる。
「よし、皆! 新しい年を迎えるぞ!」
俺の合図で、まずは俺から祠の前に進み出て、静かに手を合わせた。
幸い、祠の中に入らなければ令和に戻される心配はないようだ。
無事に俺たちの初詣は始まった。
俺の次は、なぜか茜さんと澄田さんが腕を組んで一緒にお祈りをしている。いつの間に、そんなに仲良くなったんだか。
続いて大森夫妻、そして茂助と彩の兄妹。その後ろには、村人たちがずらりと列をなして、自分たちの守り神に祈りを捧げていく。
燃え盛る炎が、皆の希望に満ちた横顔を明るく照らし出す。
こうして、俺たちの永禄三年は暮れ、新たな年が幕を開けたのだった。




