第30話 もろみと練炭と男の決意(ただし勘違い)
「戦国芋焼酎計画」が始動してから数日。
俺は澄田さんが残してくれた詳細なメモと格闘していた。
理系出身とはいえ、発酵だの酵母だの、専門外のオンパレードである。
「えーと、一次もろみが終わったら、次の工程は…と」
澄田さん監修のもと、蒸した芋と米麹、そして水を合わせた「もろみ」とかいうやつは、甕の中で静かにぷつぷつと小さな泡を立てている。
見た目は正直、泥水だ。
いや、それ以下かもしれない。
生命の神秘というより、うっかり放置して腐らせてしまった何かに見える。
メモには「早ければ3日、遅くとも10日もすれば十分」とある。早ければって何だ。
たぶん発酵状態を示す専門用語なのだろうと自分を納得させ、俺は見た目と匂いの変化を頼りに、仕込みから6日目に次の工程へ進むことに決めた。
「よし、二次もろみ、行ってみよう!」
一人で気合を入れて、甕の蓋を開ける。
ふわりと立ちのぼる、甘酸っぱいアルコールの香り。
おお、ちゃんと酒になってきてるっぽい!
メモによると、ここにさらに水を加えて発酵を進めるらしい。
本来なら、山の清水をそのまま使うのがセオリーなのだとか。
なんでも、水に含まれるミネラル分が酵母の働きを助けるらしいが、俺は断固として煮沸消毒派だ。
万が一、腹でも壊したらこの時代に正露丸はない。
味より安全、それが俺のジャスティス。
大鍋で一度沸騰させた湯冷ましを、慎重に甕へと注ぎ入れる。これでまた数週間、発酵の進み具合を見守ることになる。
つまり、俺はまた暇になったわけだ。
村を見渡せば、冬支度は着々と進んでいた。
収穫を終えた畑は静かに眠り、男たちは薪を割り、女たちは干し野菜作りに精を出す。
その輪の中心にいるのは、すっかり村のリーダー格となった大森だ。
俺の出る幕は、正直どこにもない。
「先輩、そんなとこで黄昏てないで、街にでも出てみたらどうです? 明日、俺ら熱田まで荷を運びますんで、一緒に行きやしょう!」
翌日、俺はお言葉に甘えて大森たちの行商に同行させてもらうことにした。
村で作り溜めた炭や竹籠を荷車に積み、馴染みの店へと卸していく。
その手際の良さたるや、もはやベテランの商人だ。
村の運営は、完全に俺の手を離れて自走している。
頼もしい限りだが、少し寂しいのはなぜだろう。
熱田で大森たちと別れた俺は、一人で清須まで足を延ばした。
目的は、焼酎作りのための市場調査だ。
城下町をぶらつくと、一軒の作り酒屋が目に入った。
「ごめんください」
店先には大きな徳利が並んでいるが、品揃えはどぶろくだけらしい。
一杯試させてもらったが、酸味が強くて、米の粒がゴロゴロしている。
令和で飲んだクラフトどぶろくとは似て非なるものだ。
正直、あまり美味しくはない。
だが、これがあの織田信長も飲んでいる酒なのだ。
そう思うと、感慨深いものがある。俺は土産として、小さな壺に一升ほど詰めてもらった。
村に戻ると、大森が焚き火にあたりながら待っていた。
「お、先輩。遅かったじゃないですか」
「ああ、熱田で別れてから清須に寄ってたんだ。これ、みんなで飲んでくれ。少ないけどな」
俺が酒の入った壺を差し出すと、大森は少し意外そうな顔をした。
「酒ですか。うちでも作ってるってのに……」
「市場調査だよ。でも、これ、あんまりうまくなかったな」
「でしょうね。この時代の酒は、まだ濁り酒が主流ですから。俺たちの作ってる蒸留酒なんて、誰も知らない代物ですよ」
大森はそう言うと、俺から壺を受け取り、作業を終えて集まってきた木地師たちに振る舞い始めた。彼らはそれを実に美味そうに飲み干していく。
「それでも、この時代の人たちにとってはご馳走なんですよ。先輩、ありがとうございます」
大森の言葉に、少しだけ胸が温かくなった。
焚き火を囲みながら、俺は村の冬支度について改めて尋ねてみた。
「ああ、二度目の冬なんで要領はわかってますけど、人が増えた分、とにかく寒さ対策が大変で。今は売り物とは別に、村で使う炭もガンガン備蓄してるとこです」
炭、備蓄……その言葉に、俺の頭の中で何かが閃いた。修験者ごっこをしていた頃にネットで調べた知識だ。
「なあ大森、炭の粉をふのりか何かで固めて、乾燥させた燃料って作れないか? たどんとか、練炭みたいなやつ」
「練炭? なんですそりゃ」
「火持ちが良くて、少ない炭で長く暖を取れるんだ。うまくいけば、冬の燃料をかなり節約できるはずだ」
俺の説明を聞いた大森の目が、キラリと光った。
「面白そうじゃないですか! それなら、それに合わせた七輪も作りましょう! 詩織に頼んで、新しい窯で試作品を焼いてもらいますよ!」
あっという間に話はまとまり、大森は意気揚々と奥さんのもとへ走っていった。
……いや、まだ結婚はしてないんだったか。
でも詩織さんは茂助と彩の母親代わりだし、もう事実婚みたいなものか。
どうでもいいか。
そんなこんなで、慌ただしくも穏やかに日々は過ぎていき、気づけば次の新月が目前に迫っていた。
永禄時代に来てから、もうひと月が経とうとしているのだ。
「大森、俺、次は向こうで過ごすわ」
俺がそう切り出すと、大森と、いつの間にか隣にいた詩織さんの動きがピタリと止まった。
そして、二人は顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
「え? ついに決めたんですか……! で、どっちに決めたんです?」
「茜さんですよね。澄田さんはまだ大学生ですし、順番から言っても」
「え? は? 何を言ってるんだ?」
話が全く見えない。決めるって何をだ?
「正月を、向こうで過ごしたいってだけだよ。お前らもたまには戻るか?」
俺がそう言うと、二人は「なーんだ」とあからさまにがっかりした顔をした。
「そんなわけに行かないでしょ! 俺たち、とっくにこちらの世界の住人ですし、武井様の配下でもあるんですよ。一月も留守にできませんて」
「ああ、そうか。そうだよな……」
「でも、先輩だけなら問題ないでしょ。今んとこ戦の気配もないですし、仮に何かあっても、正直なところ……現場では先輩、戦力外なんで」
ぐうの音も出ない。
血を見るのが苦手な俺は、いまだに戦働きでは足手まといなのだ。
だが、社会人経験で培われた「報・連・相」の重要性は骨身に染みている。
「わかった。じゃあ明日、清須の武井様のところに行ってくるわ」
「え? どうしてまた急に」
「一月も留-守にするんだ。後援者には、一応報告くらいしていくのが筋だろ」
俺の言葉に、大森は少し驚いたように目を見開いた。
「留守の言い訳、どうするおつもりで?」
「決まってるだろ。山に籠って、修行とな」
翌日、俺は清須城下にある武井夕庵の屋敷を訪ねた。
「――というわけで、次の新月まで、山に籠り精神を研ぎ澄まそうかと」
俺がそう告げると、夕庵殿は鷹のように鋭い目で俺をじっと見つめた。
「ほう、修行とな。前の戦の傷も癒えぬうちに、またそのような厳しい行を」
その口調には、明らかに訝しむ色が滲んでいる。
だが、彼はそれ以上何も詮索せず、ふっと口元を緩めた。
「よかろう。しばしの休息も必要であろう。村のことは、大森殿に任せておけば問題あるまい。……ただ、あまり長くは待てぬぞ。春になれば、犬山の猿どもを狩りに行かねばならぬゆえな」
そう言って、夕庵殿は静かに笑った。
その笑顔に、俺は背筋が少しだけ寒くなるのを感じた。
許可を得て屋敷を辞した俺は、空を見上げた。
永禄の空は、どこまでも青く澄み渡っている。
(さて、帰るか。俺のいるべき場所へ)
一月の間だけとはいえ、久しぶりに帰る令和の世界。
そこには、俺を待ってくれている人たちがいる。
そう思うと、自然と足取りが軽くなるのだった。




