ある晴れた休日のこと
「おかあさーん、はやくはやく!」
「そんなに慌てなくていいのよ?」
「そうだよネル、それにちゃんと前見て歩かないと危ないよ」
悠、ルイヴェール、ネルフィリアの三人は街を出てすぐの広い草原の真ん中を通る街道を歩いていた。今日は休日で悠は仕事がなかったため、子供たちと一日を外で過ごすことに決めたのだった。
「ピックニック~! ピクニック~!」
街の外に出ないと見ることのできない風景に、ネルフィリアのテンションは最高潮に達していた。
(スキップしているネル! 最高にかわいいです!)
もう一人テンションが天元突破してしまいそうな人もいたが……。
「この辺でいいかしら……。ルイ、ネル、あまり遠くに行かないでね? 私はここにいるから」
『はーい』
「もうお昼ね……。すぐにお昼ご飯の準備を―――」
「ちょうちょだー! 待って~」
悠が話している途中でネルフィリアは目の前を横切った白い蝶を追いかけて、ふらふらと草原の中へ足を踏み入れる。
「人の話は最後まで聞きなさいって言ってるのに……」
ぼやく悠の隣で心配そうな顔で見上げるルイヴェール。
「お母さん、本当に魔物いないんだよね?」
「ええ、その辺は完璧よ」
事実一体見れば三十体と言われるほど、どこにでもいる魔物界のイニシャルGことゴブリンすら一体もここにはいない。というのも前日に悠が殲滅したからだが……。
(ネルの心配をしているルイもこれはこれで可愛いですけど……、せっかくのピクニックですしもっと笑ってもらわないといけませんね……)
「心配しなくていいわ、何かあっても私が守るから。だから楽しまないと、ね?」
「うん!」
ネルフィリアの後を追いかけていくルイヴェールの顔には不安の影はもうない。その様子は悠に絶対的な信頼を寄せていることを感じさせる。
(たまにはこういうのもいいですね……)
思い返してみると最近は変態の相手をしたり、ゴブリン・オークたちを相手に一騎当千を地で行く戦いをしたりとろくに休暇を取った覚えがない。
(子供たちと心休まる時間を過ごす、これを守るためなら何だってできそうです……)
「おかあさーん、きれいなお花ー!」
紫色の花を持ったネルフィリアが悠の元へと駆け寄る。しかし途中で石に躓いて勢いよく地面に倒れる。
「大丈夫っ! 怪我はない? 私がもっと気をつけていればこんなことには……!」
悔しげに唇を噛みながらネルフィリアの元へと駆けつける悠。ついでにネルフィリアの転んだ原因となった石を目敏く見つけ、塵に変える。
「グスッ、いたいよー!」
「泣かないで、痛いの痛いの飛んでけー」
悠がそう言って擦りむいたネルフィリアの膝をしばらく撫でていると、ネルフィリアは泣き止んだ。
「もう、だから慌てるなっていったじゃないか!」
ネルフィリアを追いかけてきたルイヴェールが強い口調で言う。
「ごめんなさい……」
ネルフィリアはルイヴェールが自分を心配しているのだと分かっているので、素直に叱責を受け入れる。
「あっ!」
突然悲鳴をあげるネルフィリア。見ると手に持っていた花は無惨な姿になっていた。おそらく転んだ拍子に押し潰してしまったのだろう。
「おかあ、さんに、あげようと、思ったのに……」
悠は再び泣き出しそうになるネルフィリアを宥める。
「気にしないわよ、それ貰うわよ」
「でも……潰れちゃってぐちゃぐちゃだよ?」
「可愛い娘からの贈り物よ? 受け取らないわけないじゃない」
「でも……」
「別に気にしない―――っ!」
瞳に涙を浮かべたネルフィリアの手にある花が突然眩い光に包まれる。そして光が消えると花はボロボロになる前の姿に戻っていた。
「あれー? なんでだろう?」
「……」
「お母さん?」
光を見て黙り込んでしまった悠にルイヴェールが声をかける。悠の表情は心なしか固いように見える。
「ああ、うん……。そうだ、お昼にしましょう。今日はサンドイッチよ!」
あからさまに悠の様子がおかしいと、ルイヴェールは不審に思って尋ねようとするが、ちょうどそのときネルフィリアのお腹が可愛らしい音を鳴らしたのを聞いて、悠はすかさず話題をすり替えた。
(今のは……まさか……。いや、今はおいときましょう、勘違いという可能性もありますから)
「おかあさん、サンドイッチの具は?」
「タマゴとハムチーズ、それにポテトサラダよ」
「わーい!」
悠たちは地面に布を敷いてそこに座った。悠は持ってきていたバックからカップを取りだし、ポットから紅茶を注いでそれぞれに配る。バスケットの蓋を開くとそこにはきれいに並べられたサンドイッチがあった。
「では、いただきます」
『いただきます!』
悠はカップを手に取り紅茶を一口啜る。すると口の中に爽やかな甘味が広がる。この紅茶は子どもたちが飲みやすいようにと、悠が蜂蜜と柑橘類の果汁で味を整えたものだ。
「まずはたまごー!」
ネルフィリアがタマゴサンドを取り出す。マヨネーズと茹で玉子を和えただけの簡単なものだが、ネルフィリアの一番のお気に入りである。
「ぼくはハムもらうね」
一つ掴んで口に入れると幸せそうな笑みを浮かべるルイヴェール。
悠はそんな息子と娘の顔を幸せそうに眺めている。だが、同時に一つの後悔をしていた。
(失敗しました……。なぜ静止画保存術式組み込み型魔導具、要はカメラをセルフィアに造ってもらわなかったのでしょう。私のミスだというのか!)
悠にとっては悲しみの涙で体が青くなるレベルのことだが、残念ながら悠以外には共感できないものだった。仕方がないので悠は、一先ず目の前の光景をしっかりと焼き付ける。
ちなみにカメラは一応存在しているが、一般的な物ではなく、一部の富裕層のみが所持しているとだけここに記しておく。
「お母さんも食べようよ……」
悠は二人の姿を眺めることに集中しすぎて、食べることすら忘れるという本末転倒なことになってしまっていたが……。
「おいしかった、おかあさんさすがー!」
「そう言わないと次から作ってもらえなくなっちゃうものね?」
少しイジワルなことを悠が言うと、ネルフィリアが早口で捲し立てる。
「ちがうもん、ホントにおいしかったもん。ね、お兄ちゃん」
「うん、最高においしかったよ!」
二人の邪気の無い満面の笑みは悠の急所に当たった。
(なんという威力……、やはり私の子どもたちはこんなに可愛いです!)
どこかにありそうな長文タイトルのようなことを言いつつ悠は悶えている。
ルイヴェールとネルフィリアは若干距離をとった。
その行動は悠に効果ばつぐんだ!
悠は倒れた……。
「お母さん!?」
「私の負けよ、見事。さあ、私を切り裂きその手に勝利を掴んでみせろー!」
「何言ってるの!?」
悠が暴走を始めたため、ルイヴェールは止めにはいる。五分ほどかけて悠が通常テンションに復帰した。
「ネルどうしたの?」
ようやく落ち着いた悠が気づいたとき、ネルフィリアは目を擦っていた。
「ねむい……」
雲ひとつない青い空、心地よい風が草原を吹き抜けていく。
(確かにここで眠ったら気持ち良さそうですね)
「寝よっか?」
「……うん」
「ルイもね。ここは安全だから、お昼寝しよう」
(まあ何が来ても子どもたちとの眠りを邪魔するようなものに容赦はしませんが……)
ネルフィリアは横になってすぐに夢の世界へと旅立ったようだ。
「ルイ、どう?」
「どうって何が?」
「毎日の生活、楽しい?」
「うん、お母さんがいて、ネルがいるから」
「嬉しいこと言ってくれるわね。初等科はどう?」
ルイヴェールの顔が少し曇る。
「……普通」
「どうして?」
「すぐに突っかかってくる奴がいるんだ。男爵家の長男だって威張ってる奴で、魔法が使えるって言ってる。ソイツに絡まれるせいで、周りのみんなは話しかけてこないし……」
「とりあえずそんなの相手にしなきゃいいんじゃない? それにルイなら相手が暴力でなんとかしようとしてきても、返り討ちにできるでしょ。いや、むしろソイツを潰せば……」
さらりと力には力などと言う悠。
「ぼくに何かするのは別にいいんだけど……」
「つまりソイツはネルに手を出したということね……。フフフッ、後悔させてあげるわ……。というよりもすでにルイに何かしてる時点でソイツの選択肢は二つになったわ。デッドオアデッド!」
「お母さん!? 怖い、怖いよ! そして選択肢が無いよ!」
目のハイライトが消えてブツブツ呟く悠にルイヴェールは少しビビっていた。少しして目のハイライトの戻った悠が、優しい笑顔でルイヴェールに告げる。
「困ったらいつでも頼ってね、私はあなたたちのお母さんなんだから」
「うん、もちろん!」
「それじゃ、私たちも少し寝ましょう?」
「おやすみなさい」
「ええ、おやすみ」
そうして親子三人は川の字になって眠り始めた。穏やかな一時が流れていく。
「よく寝たわ」
悠は大きく伸びをする。悠は接近するものがあればすぐに起きたはずなので、この数時間誰も近くを通らなかったようだ。
「うーん、もう夕方だね……」
「うみゅ……もっと遊びたかったのに……」
ルイヴェールとネルフィリアはまだ少し物足りない様子だ。
三人が起きたとき、日はすでに沈み始めていた。
「帰りましょうか」
「はーい」
素直に返事をするルイヴェール。一方ネルフィリアは後ろ髪を引かれる思いで前を行く母と兄についていく。
「おかあさん」
「どうしたの?」
「またつれてきてくれる?」
上目遣いで聞いてくるネルフィリアを前にして悠に選択肢はあるわけなかった。
「そういえばどうしてあの花を私に?」
「だっておかあさんの色だったから……。あのね、見つけるのお兄ちゃんが手伝ってくれたんたよ」
悠は少し考えてネルフィリアの意図が飲み込めた。悠の使う主な魔法は紫色の雷、それをイメージしたのだろう。
「もう二人とも可愛すぎ!」
両手を一杯に広げて二人を抱き締める。いつも通り二人が苦しいと訴えるまでそれは続いたのだった。
街へ戻ってきた悠が、街の近くの平原に恐ろしい雷の魔物が出たという話が広まっていると知るのは、また別の話。




