第27話(1)遥か彼方のまた明日【フェニス主律星】
リメアは静かに振り返る。
「うん」
アーヴィが去った今、人工太陽の上で音を立てるのはリメアだけだった。
星々が瞬く空闇へ、放熱塔から静かに蒸気が上っていく。
「五次元空間に入ったら、できる限り加速するの。そうすれば、タキオンの川を感じられるはず。うまく、その流れに乗るのよ」
フェニスの助言に、リメアはこくんと頷いた。
しっかり休養したからか、体調は万全。
余分な貯蓄エーテルは消えてしまったが、髪の長さは踝まである。
傷んでいた体内のエーテル回路も回復し、いつだって跳べる。
「フェニス、あの、お願いがあるんだけど」
リメアは作りかけで横たわったままのアリシアの体に視線を送る。
フェニスはゆっくりと首を縦に振った。
「大丈夫よ。アリシアの体は私が保管しておく。何百、何千何万、何億年だって」
「たはは、そんなに長い旅にならないよう頑張るね」
「ご武運を」
そう言ってフェニスは静かに目を伏せる。
よろしくね、と最後に告げてリメアは踵を返す。
そのまま空を見上げて小さな星と星の間に目を凝らした。
今まで、何度も繰り返してきたように。
無限に広がる宇宙へ身を委ねれば、変わらずそこにある、母の香り。
柔らかくて、優しくて、どこかホッとする匂い。
リメアは目を閉じて、更に深く集中する。
今探すべくは、監獄で嗅いだあの匂い。
確かあの時感じたのは、果実を煮詰めたような甘ったるい香りだった。
強烈に感じたのは匂いが濃縮されていたから。
であれば彼本来の香りは、もっと淡いはず。
記憶をたどり、同系統の香りを探していく。
「あ……」
思わず声が漏れた。
柑橘系と林檎が混ざったような、爽やかでちょっぴり甘い匂い。
隣りにいたら慣れてしまって気付けなかった、アーヴィ本来の香りに辿り着く。
「そうだ、この匂いだ……!」
母を感じる方角から十五度ほどずれた先から漂ってくる確かな香りは、アーヴィが無事に目的地へたどり着いたことを意味していた。
まぶたを開けると同時に、アリシアの声が耳をくすぐる。
「気を、つけてね」
顔を向けると、主律星を背にアリシアの輪郭が薄く光を帯びていた。
「うん、行ってくる」
決意と約束を胸に、リメアは微笑みを送る。
長い髪がふわりと持ち上がり、すうっと白銀へと染まっていく。
パチパチと虹色の火花がリメアを中心に咲き始めた。
ふわふわと波打つ銀糸は、やがて火花と同じ七色の輝きを纏いだす。
体内のエーテルが活性化し、熱い血液のように回路を巡っている。
「アリシア」
エーテルが臨界点に突入する直前で、リメアは彼女の名を呼んだ。
「なあに?」
首を傾げるように、アリシアの輪郭が形を変える。
「……ありがとう」
その時、人工太陽が僅かに震え、活動を再開した。
やや落ちていた照度が回復し、主律星が本来の輝きを取り戻す。
輪郭が光に包まれたと同時に、ほんの一瞬だけ、アリシアの笑顔が透けて浮かびあがった。
それが現実なのか、願望が幻となって現れたのか、リメアにはわからない。
でもその光景をこれから先、永遠に忘れることはないだろうと思った。
「じゃあリメア……今日はこれで。ずっと先になるけど、また、明日」
「……っ! うんっ、また明日……、また明日! アリシアわたし、絶対に、帰って来るから!!」
「ええ、待ってるわ。ずっと、ずっと、待ってる」
リメアは宇宙へと顔を向ける。
もう、振り返らない。
振り返ってしまえば、笑顔でお別れができなくなってしまうから。
リメアは身体を五次元空間へと滑り込ませる。
体の周囲に膜を張り、足にありったけの力を込めた。
「……さらばっ!」
力強く人工太陽を蹴り飛ばす。
せっかくこぼれないように我慢していた涙が、重力に負けてぼろぼろとこぼれた。
それでもリメアは笑顔を崩さず前を向く。
少し長い夜になるが、きっといつか、彼女に再び会える明日がやってくる。
そう自分に言い聞かせて。
「はぁぁぁぁぁっ!」
星々がどんどん後ろへと流されていく。リメアはエーテルの出力を更に上げた。
未練と恋しさと、主律星の重力を精一杯振り切るように。
「リメア様、速度限界値超過してマス! タキオンの川の探知ヲ!」
「うんっ!」
体の奥から聞こえてくるリッキーの声を聞いて、リメアは周囲へ注意を向ける。
真っ暗な闇の中に、巨大な光の川を見つけた。
この速度に達してようやく目視できたその存在に、思わず息を呑む。
天の川のように集まった小さな粒子がゆっくりと流れている。
だが、リメアが近づいていけば行くほど、その流れが信じられないほどの速度を伴っていることに気がついた。
「あの流れに乗るんだね」
「ハイ。波もうねりも凄そうデス。ワタクシ、船酔いしないか心配デス」
こんなときにジョークを飛ばしてくるリッキーに、溜息がこぼれる。
「はいはい、舌を噛まないよう気をつけてね!」
「えっと、ワタクシ、ホログラムなので舌はありませ――ウワワワッ!」
沢に飛び込む要領で、タキオンの川へ飛び込んだ。
エーテル膜を貫通し、無数の粒子が体にぶつかってくる。
「痛たたたたたっ!」
まるで銃弾の嵐だった。このままでは体が持たない。
「っ! なんとか、このタキオンに体組織エーテルを寄、せてっ!」
リメアの体が淡く光り、エーテル組織が徐々に変化していく。
体の約半分を擬似タキオンに変えた事により、リメアは激流を泳ぐかの如く更に加速する。
かつて感じたことのないほどの速度に目を回しながら、身体をくねらせ、なんとか舵を取る。
流れを読み、無数に枝分かれする川を必死に下っていった。
目指すはただひとつ。
アーヴィの香りがより強くなる方へ。
そしてとうとう、リメアは光の速さを越えた。
タキオン粒子に変換された体の輪郭が、激しく揺らいでいる。
少しでも集中を切らせば自分の形すら保てない世界の裏側で、波をかき分け少女は加速する。
あまりの速度に無数の星々からたなびく光の尾が途切れず、まるで光柱の中を飛んでいるようだった。
「警告! 速度が光速の百五十%を超過! これ以上加速すれバ千切れた数珠みたいに、宇宙に体が散らばっちゃいマス!」
機械音声がこだまする。
そんなヘマはしないから黙ってて、と小さな唇が言葉をなぞった。
どこまで加速していいかは、言葉より感覚で理解していた。
どれだけ進んでも、変わり映えしない景色が続いている。リメアは途方もない速度で進んでいたが、宇宙全体から見れば牛歩も同然。
眼前に広がる星の海は、リメアの想像もつかないほど巨大だった。
速度感覚は、すでに麻痺していた。ずっと車で走っていると自分が遅くなったような、あの感覚に襲われる。
たしかフラッシュラグ効果って名前だっけ、なんてぼんやり考えながら少女は静かに瞼を閉じた。
☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆
読んで頂きありがとうございます!
ブックマークのボタンをポチッと、なにとぞお願いいたします……!
続きが気になるようでしたら、どうか☆をくださいませ。大変励みになります!
完結まで走り抜けますので、どうか応援いただけますと幸いです!!




