第2話(3)いっしょに、食べよ【フェニス第3従響星】
大きく開いた足の間から逆さまになった空が見える。人工太陽の環状軌道線がオレンジ色に染まった雲の向こうでキラキラと輝いていた。
やけに深い穴を掘ったものね、とアリシアは悪態をつきかけ、ストーンヘンジを思い出し合点がいく。
穴の底からあんな岩を掘り出せば、こうなることは自明。
四メートルを超える深さの穴は、大人だと確実に怪我をしていただろう。
顔に乗った砂を振り払いもう1度見上げると、ピョコリ、と穴の縁からこちらを覗き込む2つの瞳。
「……」
「……」
みょんみょん、と頭上で左右に揺れる黒髪の触覚。
耳をすませば、むふーっ、むふーっ、と殺しきれていない鼻息の音が聞こえてくる。
「「ぷっ」」
我慢していた面白さが一気に溢れ、息が止まるくらい、二人で思いっきり笑った。
こんなに笑ったのはきっと生まれて初めてだと、アリシアは思った。
「あは、あははは……、もう、ちょっとリメア。笑い転げてないで、そろそろ助けてよぉ」
「いひひ、うん、わかった。わかった……けど、アリシアの格好が、ちょっと、おかしすぎて……ダメ、力が入んない」
差し出された手から力が一気に抜けていく。
「え、やだ、今このタイミングで手を離さないで! ああっ! もうっ!」
掴んでいた手がするりと抜け、アリシアは再び穴の中で転がった。
「ぐぇ」
情けない声が出て、さっきよりも更にアクロバットな体勢に。
再び穴の縁に飛び出した顔と目があって、互いの腹筋はいとも容易く崩壊する。
そんな中ポケットにしまっていた四角い包みが、アリシアの顔のそばに転がった。
「……」
薄灰色の包み紙は黒土のクレーターの上で、やけにはっきりと輪郭が浮かび上がって見えた。
なんとか起き上がって服をはたき、小包を拾い上げる。
アリシアは、もう笑っていなかった。
穴が静まり返ったことにリメアも気づき、ぴょんとジャンプしてクレーターの底まで滑り降りてくる。
「どしたの?」
アリシアは無言のまま、小包を見つめ続ける。
その紫苑の瞳には、確かな迷いの色が、浮かんでいた。
いよいよ日が傾き、穴の底は影に沈む。
互いの表情さえ、近づいて目を凝らさなければよく見えない。
自分の息遣いが、やけに大きく聞こえる。
包みを持つアリシアの手に、じわり、と汗が滲んだ。
外界の音が、急に遠ざかったように感じた。
言うなら、今しかない。
そう、思った。
「あのさ、リメア」
「うん」
「私達ってさ」
「うん」
乾燥した口の中で、ありもしない唾を、ごくりと飲み込む。
冷え切っているはずの頬が、緊張でうまく回らない頭が、沸騰するように、熱い。
「私達って――もう、友だち、だよね……?」
必死に平静を装っていたはずなのに。
たったこれだけの、台詞なのに。
声が揺れていた。
初めてあった時のリメアと、自分の立場が逆転していることにすら気づけぬまま、アリシアの胸がシクシクと締め付けられる。
口から離れた自信なさ気な言葉が、その輪郭を失ってもなお、クレーターの中で反響し続ける。
情けなさと期待と恥ずかしさと恐怖が、アリシアが呼吸をする度、代わる代わる顔を出す。
薄闇の中で互いの小さな息遣いだけが、会話を続ける。
もしもそれすらなかったら。眼の前にいる少女は幻で。
最初から自分はこの穴の中で一人ぼっちだったのだと、錯覚してしまったかもしれない――。
そんな妄執をアリシアは振り払おうと目を瞑るが、クレーターの中よりも深い闇に気が付き、すぐさま再び目を開けた。
長い静寂が、二人の間に横たわっていた。
そして同時にこの時間が永遠に続けばいいとすら感じてしまう自分を、アリシアは嫌悪したのだった。
すぅ、と空気が流れる音に、耳が鋭く反応する。
見えないことをいいことに、アリシアは祈るように手を強く握りしめた。
息は、とうに殺している。
「……………………うん」
小さな。
とても小さな、声が聞こえた。
アリシアは苦しくなった肺が酸素を求めているにも関わらず。
あえてゆっくりと空気を吸い込み、横隔膜の痙攣をひた隠す。
「じゃあ、ね。お願いが、あるの」
「……うん」
「私ね、今日、お昼から、ずっと何も食べてなくて」
「うん」
「リメアはさ、お腹、空いてないかもしれないけど」
「うん」
「私は……お腹、ぺこぺこなの。だから――」
その先を。
その続きを、言おうとしているのに。
唇が、
歯が、
喉が。
まるで拒んでいるかのように小さく暴れ、抵抗している。
あと少し。
あと一歩、あと一言が、どうしても出てこない。
透明な壁が音のない圧力をもって、行く手を阻んでいる。
こらえていたはずの熱が、アリシアの瞼から溢れる。
涙が冷え切った頬を滑り落ちた。
だが次の瞬間、闇を打ち払う彗星の如く、リメアの鈴のような声が底なしの虚孔を貫いたのだった。
「――いっしょに、食べよ?」
「…………っ! うん……、うんっ!」
小さく何度も、確かめるように首を縦に振る。
リメアにほとんど見えていないことぐらい、分かっているはずなのに。
アリシアはぶるぶると震える手で包みのテープに爪をかけようとするも、なかなかうまくいかない。
携帯食の袋など開け慣れていたはずなのに、随分と時間がかかった。
中から出てきたのは、白褐色の固形携帯食。
それは中央に溝が掘ってあり、二食に分けることができるようになっていた。
その両端に指を添え、力を込める。
パキンッ――。
甲高い音が、夕焼け空に吸い込まれていった。
音の余韻が耳のなかで優しくこだまする。
少しの間ぼうっとしていたアリシアは、戻ってきた虫たちの鳴き声で我に返った。
携帯食の片割れを、手探りでリメアの方へ、そっと差し出す。
が、距離感を図り間違えたのか、先端がリメアのおでこに突き刺さってしまった。
「いてっ」
「あ! ご、ごめん」
慌てて引こうとした手首が、柔らかい手のひらに捕まった。
「いいよ、ビックリしただけ」
持っていた携帯食の半分は相手の掌に渡り、すべるように自分の手から失われる。
アリシアは戻した手で、半分になったもう一方の携帯食の断面を、静かになぞった。
「これ、味しなくない?」
余韻も予告もなく、突然ボリボリと大きな音が穴の中で響きだす。
「うん、そう。そうなのよ」
アリシアも追いかけるように携帯食を口に頬張った。
「宇宙船の内壁のほうが、まだ味すると思うけど」
「たひかに、ひょうひゃもねぇ」
舌で携帯食の角を転がす。
そもそもこの携帯食は、リメアのように噛み砕くことを想定して作られていない。
口の中の水分を染み込ませ、少しづつ削りながら食べるものだ。
「だみだ、半分まで行ったけど、味がする気配ないよ~」
リメアの泣き言を聞きながら、アリシアは思った。
今日の携帯食は、いつもよりほんの少しだけ、味がする、と。
そのまま2人は孤児院の鐘が聞こえてくるまで、味のしない携帯食を咀嚼し続けたのだった。
☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆
読んで頂きありがとうございます!
ブックマークのボタンをポチッと、なにとぞお願いいたします……!
続きが気になるようでしたら、どうか☆をくださいませ。大変励みになります!
完結まで走り抜けますので、どうか応援いただけますと幸いです!!




