第23話(3)精霊フェニス【主律星フェニス】
幼い少女の発言と同時に、目の前の情景は風に吹かれた砂の城のように形を失っていく。
周囲を覆っていた白い壁も崩れ落ち、眼前には星の瞬く宇宙空間が現れた。
いつの間にか、リメアは外部を映す巨大モニターの前に立っていることに気がつく。
どうやらそこは宇宙船の中のようだった。
船員は見当たらず、ホールの中央にあの少年と白髪の少女が立っていた。
「よくわからないけど、これは幻? それとも……」
リメアの独り言に被せるように、少年が口を開く。
「おいグズ。この僕から仕事がもらえるだけでもありがたいと思えよ。いいか、僕の命令は絶対なんだ。返事は?」
「はい……」
消え入りそうな声を返し、フェニスと名乗った白髪の少女は俯いた。
「よく覚えておくように。僕らに課せられた任務はこの星団を管理し発展させること。それが絶対の不文律であり最初の規則だ。お前が無能なせいでこんな僻地を当てがわれたんだぞ。その態度、本当にわかっているのかい?」
コクリと頷く少女。
「返事はッ!?」
怒鳴り声に肩をすくめ、少女は「はい」と短い返事を繰り返す。
「よしよし、それでいい。それでいいんだ」
少女の反応を楽しむかのように、ニタニタと嗤う少年。
様子をうかがっていたリメアは彼に対し、生理的な嫌悪感を覚えた。
しかし当のフェニスはというと、あろうことか髪を弄りながら体をくねらせている。
口元は少しだけ、はにかんでいるようにも見えた。
「なに、これ……」
強烈な違和感に、リメアの頭と体が拒否反応を示していた。
どう考えても、おかしい。
二人の関係、言動、様子はどれもチグハグだった。
「じゃあ手始めに、この宇宙船を核として、人工太陽を作れ。入植に備えて、環境整備を行え。期間は一ヶ月。一秒たりとも遅れるなよ。遅れたら……お仕置きだ」
「は、はいっ!」
威勢よく返事した少女は、パタパタと少年の前から走り去る。
その背中を見つめる少年は、すっと目を細めた。
「バカめ……星の環境整備が、ひと月やそこらで終わるわけないでしょうに」
ゾッとするほど冷たい声だった。
再び風が吹き、砂絵のように世界が移り変わる。
リメアは強烈な既視感を覚える人工太陽の上に立っていた。
放熱塔が乱立する鉄板の上で、あの少女が身を伏せ、床に何かを刻んでいる。
「日照時間に八秒のズレ、気温±◯.五度の揺らぎ。そこから導き出されるお仕置きの時間を、自分で計算して書き記すんだ。ほら早く。また次の観測に遅刻しちゃうよ?」
放熱塔に寄り掛かる少年の手には、またしても青く光る枝があった。
赤い糸に囲まれた少女は、ブルブルと震えながら床に傷をつけている。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
少女の口からは、壊れた機械のように同じ言葉が繰り返される。
それをまるで音楽でも聞くかのように頷きながら、少年は枝を少女に向けた。
「あ、ああ、ああああああああああああっ!!」
少女の悲鳴が無機質な鉄と冷たい星空に響き渡る。
何度も、何度も、何度も。
見ていられずに、リメアは目を逸らす。
それでも声は相変わらず聞こえてくる。
耳をふさいでもだめだった。
音はエーテルを伝ってリメアに直接流れ込んできていた。
頭が、おかしくなりそうだった。
そんな拷問のような時間が長いこと続いた。
やがて悲鳴は消え、うずくまっていたリメアの周囲が突然薄暗くなった。
顔を上げてみれば、頭上を巨大な宇宙船団が通り過ぎていく。
「ついてこい。ヘましたら許さないからな」
人工太陽へ着岸した小型宇宙船に乗り込もうとする金髪の少年。
体中から伸ばした赤い糸を忙しなく調整していた少女も、作業を中断し、慌てて彼の後を追う。
その目に光はなく表情も虚ろで、注意されていた返事もなかったが、もはや少年から咎められすらしていなかった。
フェニスたちを乗せた小型宇宙船の向かった先は、大理石でできた立派な建物の庭園だった。
制服に身を包んだ人々が道の両脇に整列しており、道の真ん中には上裸の青年がひとり枷をはめられ跪いている。
両脇の列に混ざって並んだ少年は、鼻で笑った。
「落ちぶれたものだな、アーヴィング」
その声は小さく、青年には届いていない。
一方隣にいた少女は、ひどいクマのできた目で、瞬きもせずじっと青年を見つめていた。
穴が、開いてしまうほどに。
「大罪人、アーヴィング・メルキオルを、この主律星フェニスにて永久封印の刑に処すことをここに宣言する!」
役人が、条文を声高らかに読み上げる。
「ハッ!」
捉えられていた青年はそこで初めて声を発し、顔を上げた。
金色の短髪が風になびき、紅の瞳が爛々と輝いている。
その横顔を隊列のそばで見ていたリメアの胸の奥が、ドクンと跳ねた。
理由は、リメア自身もよくわからない。
ただ青年の精悍な横顔が、心を掴んで離さなかった。
それは隣の少女も同様だった。
自分と同じように、青年へと熱い視線を送る幼い少女。
少し血色を取り戻していた彼女の横顔にホッとしたリメアはつい頬を緩めかける。
だがその傍らに立つ少年の、まるで排水口のゴミを見るような目を見た瞬間、微笑みは数秒も持たずに消し飛んだ。
そんな二人の様子に気づくことなく、青年は枷をじゃらりと鳴らし、背を反らせて空を睨みつける。
「まったくよ、わかってねぇなお前らも。いつかきっと、この星も地獄になるぜ。そん時は遠慮なく俺を引きずり出せ。俺は心が広いからな。何度だって手前ぇらの手を取ってやる」
周囲に集まっていた民衆がざわめく。
役人が静粛にと窘めるも、青年はまるで言うことを聞かない。
「おい聞こえてんだろ、精霊! いいか、耳の穴かっぽじってよく聞け。待ってろよ、このアーヴィング・メルキオル様がてめぇのことを――全てから開放してやるからよ……!」
それを聞いた途端、少女フェニスの目がこれでもかと大きく開かれる。
唇は震え、下瞼からは、ポロポロと涙がこぼれていた。
背後で額に青筋を立て、舌打ちする少年にすら気づかずに。
風景が流れ、再び人工太陽の上にリメアは立っていた。
相変わらずフェニスは、無言で赤い糸を微調整している。
ただその表情は固く、ひどく緊張しているように見えた。
「精が出るなぁ。まさかお前みたいなデクの棒がそんなに張り切って仕事をするようになるなんて思いもしなかったよ」
放熱塔の間に鎖で作られたハンモックから、少年が見下ろしている。
「そんなにあの男に会いたいのか。虫唾が走る」
ペッと吐き捨てられた唾がフェニスの足元に落ちる。
それでも少女は脇目も振らず懸命に糸を引き続けた。
「はい遅刻〜、日照時間2秒超過〜。人間の時間感覚すらわからない化け物のくせに、調子に乗るなよ。分かってるよな、一秒につき十年のペナルティだ。これで累計三百三十年。あの男に会える日が近づくどころか、どんどん遠ざかってるね!」
ケタケタと腹立たしい声が反響する。
リメアは唇を噛み締め、フェニスの後ろで立ち止まった。
触れられないことは分かっていながらも、小さな背に手を添える。
彼女の苦しみを和らげてあげたかった。
だが指先が彼女の背中に触れた瞬間、星空が目まぐるしい速度で回り出す。
まるでリメアと少女を世界が置き去りにしているかのような錯覚すら感じた。
目眩すら感じる狂った星の舞踏会に、思わずぎゅっと目を瞑ったその時。
癇癪じみた叫びが叩きつけられた。
「おい無能!! 今すぐ人工太陽を止めろ!!」
驚いて目を開けると、ちょうど怯えた目をしたフェニスが振り返るところだった。
「……で、でもそれだと日照時間に大きなズレが……」
「いいからやれっ! 僕の命令だぞ! ここ最近ずっと、ずっと寸分違わず作業しやがって。暇を持て余す僕の身にもなれよっ!」
「えっと、でも人工太陽止めちゃったら、小麦の栽培に影響が出ちゃうし……」
「うるさい、うるさい! いいからやれ! 僕がいいって言うまで止めていろよ! もちろんその間のペナルティは全部お前持ちだ! 僕を退屈させた罰なんだ!!」
リメアは怒鳴り散らす少年を冷ややかな目で見る。
いい加減、腹が立っていた。
性根の腐ったこの少年を、引っ叩いてやらないと気が済まない。
たとえ触れることができなくとも、と一歩前に踏み出そうとしたその時。
リメアより先に、フェニスが前に出た。
今まで主体性を伴わなかった彼女の大胆な行動に、リメアは驚く。
「き、基幹規則のその一、星の管理・発展の障害となるものは、いかなる者であっても、即刻排除対象とする……!」
声が、震えていた。
見ればフェニスの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「お前……自分が何を言ってるのか分かっているのか……? 僕は資源管理局の緊律審官だ。お前を管理する立場だぞ? 僕の方がお前なんかより上の立場なんだぞ!!」
「わ、私だって、す、好きな人に、こんな規則を適用したくない……です……。で、でも、この規則はぜ、絶対、だから……うぅ、ぐすっ、ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
フェニスが腕を持ち上げると、スルスルと赤い糸が金属の床を這っていく。
「おいバカ、ま、待て。僕が悪かった。そうだ、撤回しよう。あの規則は撤回だ。辞めよう、こんなこと、な?」
少年に近づくにつれて赤い糸の周囲に粒子が集まり、やがて鉄の鎖となる。
「違う、嫌だ、やめろ……! やめろって言ってるだろこのウスノロが!! 離せ! 僕は、緊律審官なんだぞ!! こんなクソ田舎で、お前みたいなカスみたいな精霊と組まされて、なんで僕が! 僕ばっかりがこんな目に! くそっくそっ!!」
鎖は少年の体を締め上げ、空高く持ち上げる。
喚き声はどんどん小さくなり、ほとんど聞こえない。
「ごめんなさい、ごめんなさい。…………さようなら……っ!」
消え入りそうな声を残し、フェニスは腕を振り下ろす。
大きく鎖がしなったかと思うと、凄まじい速度で振り抜かれる。
鎖の先端から解放された緊律審官は、文字通りこの星から、宇宙空間へと追放されたのだった。
「あああああああっ! あああああああああああっ!!」
フェニスの悲痛な叫びが、こだまする。
小さく丸くなり、鋼鉄の板の上でひとりうずくまる少女。
リメアはその後ろで立ち尽くしたまま、何も、何もできなかった。
どこか懐かしさを覚える痛みに胸を両手で強く押さえつけ、眼の前の光景をただ見届けることしか、できなかった。
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