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第16話(1)戦犯の帰還【主律星フェニス】

 静まり返った部屋の中で、ボゴッとくぐもった音が響く。

 水槽の、中からだった。

 内側の液体がまるで沸騰しかけた水のように泡立っている。


「ああ、あああっ! どうすればいい!? どうすればいいのだ!?」


 慌てふためくヴェールは、ICチップからホログラムを呼び出すと、規則一覧を必死に目で追う。


「違う、これも違う! ない……ない! 封印が解けたときの、規則が、定められていないっ!」


 自慢の髭を振り乱し、杖を床に叩きつけた。

 白煙を撒き散らしながら、みるみる水位が減っていく水槽の液体。

 それに合わせるように、水槽の分厚いアクリル壁もゆっくりと地下へと格納されていく。

 ホールの中には、果実を何ヶ月も煮詰めたような、甘ったるい香りが充満し始めた。


「ケホッ、ケホッ。す、すごい匂い……目に染みる……」


 たまらず咳き込んでいると鬼の形相のヴェールが駆け寄って来て、両肩を強く掴まれる。


「おい! 001! あれを、あれをどうにかするんだ! 封印をもとに戻さないか!」


 リメアは必死に首を横に振る。


「ケホッ。いま、息が……。わたしやり方、知らない……ケホッ」

「大罪人アーヴィング・メルキオルが、目覚めてしまうのだぞ!!」


 壮年の目は、恐怖一色に染まっていた。

 リメアは掴まれた腕を、力任せに引き剥がす。

 自分を遥かに超えた筋力を目の当たりにし、ヴェールの目が点になった。


「……ほらわたし、力強いから、あのシワシワの人に負けないよ。だから安心して……! それよりも、この匂い……平気なの……?」


 一瞬固まったヴェールは、ハッと我に返ると今度は泣きそうになりながら狼狽する。


「匂い? 匂いなどしないではないか、なにを言っているのだ! そんなことはどうでもいい! 力の強さなど意味を持たぬ! 不死身の大罪人、アーヴィング・メルキオルがどれだけの星系を混乱に陥れたか、知らんのか!!」


 もみ合っているうちに液体は干上がり、水槽の壁が完全に取り払われた。

 立ち込める白煙の奥から、ケーブルやホースが次々に外れる音が聞こえてくる。


「ああ、どうすればいい! どうすればいい!?」


 鼻水を垂らしてリメアに縋り付いてくるヴェールを見て、リメアもようやく、大事をしでかしてしまったのだと理解し始めた。


「ええと、せ、精霊に直接聞いてみたら!?」

「精霊だと!? 何百年も前に相互通信が断絶したどこにいるかもわからない存在に、どうやって聞けばいいというのだ!!」


 ゴトン、と最後のチューブが床に転がる音。

 リメアとヴェールは顔を見合わせ、白煙の向こうへ視線を向ける。

 中から、微かに人影が動く気配を感じた。

 ゴクリと固唾を飲み、身構える。

 びちゃびちゃと水音が響き、激しい咳が続く。


(あの水槽の中の人、本当に生きてたんだ……! ぞ、ゾンビ……!?)


 リメアの脳裏に、忘れ去ろうと押し込んでいたホラー映画の怪物が蘇る。

 土の中から這い出てきた手と低いうめき声はトラウマ級で、何日も悪夢にうなされた。

 ドライアイスの演出と目の前の白煙が重なり、リメアは震え上がる。

 すると煙の向こうから底冷えするような低い声……ではなく、場違いなほど明るくてよく通る声が聞こえてきた。


「ふは、ふははははははっ! よくぞ、よくぞ俺の封印を解除した! どこの隊の者だ。名を言え。昇格と褒美を約束しよう。そして、全宇宙の同志たち。聞こえるか。聞こえたのなら、歓喜に打ち震えよ! そして精霊共! 俺の存在を、復活を感じたか? 感じたのなら、恐れ、怯え、逃げ惑うがいい! 英雄様の復活だ! ふはははははははぁっ!」


 自信に満ち溢れた演説と笑い声。

 気がつけば、リメアとヴェールは部屋の隅で抱き合い硬直していた。

 ヒタリ、ヒタリと、足音が近づいてくる。

 スポットライトが照らす影の輪郭がはっきりし始め、もくもくと立ち込めていた煙が、徐々に薄まっていく。

 室内に張り詰めた緊張は、最高潮に達した。

 が、しかし――。


「ん? ん゛んっ!? あー、あ゛ー! あぁ?」


 先程までと打って変わって、謎の声は戸惑いを滲ませる。

 煙幕が晴れ渡り、演説の主がいよいよ姿を表した。

 そこに立っていたのは、シワシワにふやけた皮膚の青年――ではなく。

 リメアとさほど背の変わらない、全裸の少年だった。


「あー、あ゛ーっ! ねえなんか、俺の声、高くない?」

 

 リメアとヴェールは抱き合ったまま、へなへなと膝をつく。

 少年は、困惑した表情で繰り返した。


「ねぇ、なんか、俺の声、高くないっ!?」


 その悲鳴は、哀しみに満ちていた。

 返答を持ち合わせているものは誰もおらず、少年の上ずった声だけがこれでもかと部屋の中でこだました。

 金色の髪と、かすかに残る水槽の中にいた青年の面影。

 リメアはなんとか尊厳を完全に失った彼を、ヴェールの語った大罪人アーヴィング・メルキオル本人だと認識する。

 少年は苦々しげな表情のまま自分の両手を見つめ、叫んだ。


「クソったれ! 武器もまともに振り回せそうにない、ちっちゃなお手々が封印の副作用ってか? 勘弁してくれよマジで……!」

(く、口が悪い……)


 それが彼に対する、リメアの第一印象だった。


「おい、いつまでそうしているつもりだ! 封印を解いたのは、お前か?」


 少年は腕を組み、顎でヴェールを指す。

 かろうじて白煙で局部は隠れているものの、恥じらいはないのだろうかとリメアは内心首を傾げる。


「ちちちち、違います!! こ、この! ぜ、001! 囚人001が封印を解きました!!」


 先程まで身を寄せ一緒に震えていたはずの男は、背筋をピンと立て即座にリメアを売り飛ばした。


「あぁ? こんなメスガキが封印を解いただと?」


 呆然と状況を見守っていたリメアは、その乱暴な物言いを自分に向けられカチンとくる。

 つい、いつものノリで言い返してしまった。


「失礼ね! わたしはリメア! メスって、知能の低い動物の性別に対して使う言葉でしょ! わたし、そんなにバカじゃないもん!」

 

 その場にいた全員が、口をぽかんと開けて固まった。

 形容しがたい空気が場を包み込む。

 少年は自分の頭を指差し、呆れ顔で口を開いた。

 

「あ? 何言ってんだお前。脳みその向き、ズレてんのか?」


 かあっと、顔が熱くなる。

 こんな風に挑発されたのは、生まれて初めてだった。

 リメアはムキになり、なにか言い返せることはないかと視線を動かす。

 

「そ、そっちこそ、いつまで裸んぼでいるつもりなの!」

「はっ、服を着せて封印しなかったやつが悪い。知るかそんなこと」

「~~っ!」


 間髪入れずに反論が返ってきた。

 この少年、恐ろしく弁が立つ。

 口論に慣れていないリメアにとって、まさに天敵だった。

 唸りながら、ただ睨みつけることしかできない。

 少年はまだやんのかとでも言いたげに、深紅の目を細め、片眉を上げる。


(なにか……なにか言い返したいけど! けど!)

 

 リメアは頭をフル回転させるも、罵倒の言葉一つ浮かんでこない。

 パズルを解いている時はワープする宇宙船のようだった思考速度が、愚鈍なカタツムリの如く遅延していた。

 リメアは自身の口喧嘩スキルの低さを思い知り、人知れず打ちのめされる。

 眼中になしといった様子で、少年はサッと視線をリメアから外した。


「おい、そこのオッサン」

「わ、吾輩か!?」


 少年は首の骨を鳴らしながら歩を進め、ヴェールににじり寄る。

 後退りしたヴェールは、自分が転がした杖につまずき、尻餅をついた。

 少年はその顔を覗き込み、至近距離でヴェールの瞳をじっと見つめる。

 紅の瞳は端から見ても異様な光を湛えていて、幼い横顔に似つかわしくない凄みがあった。

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