第11話(2)小さな手のひら【フェニス第3従響星】
静かにアリシアを草の上に横たえて、リメアは手頃な石を持ち上げた。
ザック、ザックと、膝立ちになり無心で掘り進む。
ザック、ザック、ザック、ザックと――。
時間を忘れるほど無心で掘り続けて、ようやく、人ひとり分がはいるほどの、縦長の穴ができ上がった。
立ち上がって見れば、山間の空が白み始めていた。
リメアはその穴の中へ、アリシアをそっと、寝かせてあげた。
顔についた土を払い、優しく微笑みかける。
(クレーターの中で、携帯食を半分こしたあの日。友達だよね、って言ってくれたあの時。とっても嬉しくて、嬉しすぎて。でもアリシアから伝わる緊張と、アリシアの喉につっかえてたなにかに、圧倒されちゃって。わたし、すぐに返事ができなかったの)
もしあの瞬間に戻ることができたなら。
そんなことを考えてみる。
(すぐにお返事できたかな。代わりに、抱きしめてあげられたかな……)
穴の中で眠るアリシアは、あの時と同じような薄暗闇で、目を閉じたまま動かない。
「ねぇ、アリシア」
リメアは彼女の腕を持ち上げ、こつん、と手の甲を額に当てた。
「アリシアは、どうしてほしかったの……?」
日記の言葉を思い出す。
アリシアはリメアに嫌われないように、嫌われないようにと、気を張り詰めていた。
いつも自分を後回しにして、リメアのためにと行動していた。
(じゃあ、本当のアリシアは、どこにいたの? アリシアの言う通り、空っぽだったの? じゃあ、あの笑顔は? あの、怒り顔は? あの、優しい微笑みは? どれも、アリシアが作っていた、仮面だったってことなの?)
アリシアは。
アリシアという少女は。
その先は、もう誰にもわからなかった。
「どうしてわたしはそんな簡単なことさえ、聞かなかったんだろう。聞いてあげられなかったんだろう……」
朝日が山の稜線を輝かせ、世界は光を取り戻す。
照らされた木の陰がぐんと長く伸びた。
背の高い草のシルエットは色彩を得ることで、俯いた向日葵へと姿を変える。
リメアは自分の手と殆ど大きさの変わらない小さな手を、握りしめた。
「どうして、わたしは! アリシアを、もっと、アリシアのことを、知ろうとすら、しなかったの……っ!!」
枯れていた泉が湧き出すように、目頭が一気に熱くなる。
泣き声をあげる資格なんて、ないと思った。
それが、罰なんだと、言い聞かせた。
リメアは体を折り曲げて、アリシアの上に覆いかぶさる。
こらえているはずなのに、ぼろぼろと零れる玉のような涙が、アリシアの頬をかすめて落ちた。
柔らかい太陽の光に照らされたアリシアの横顔は、年相応の幼さが際立っている。
その裏に隠しきった苦労や苦痛はアリシアの思惑通り、リメアが知る日は訪れない。
「わたしと、たった親指ひとつ分くらいしか、背も変わらないのに……!」
何が、彼女を、そこまで追い詰めて、無理やり走らせてしまったのか。
自分のせいか、それとも、アリシア自身がそう望んでいたのか。
それとも、選択肢すら、なかったのか。
(わからない。もう、わからない……)
リメアは涙を拭いて立ち上がる。
土を寄せようと振り返ったところで、胸が締め付けられ、息が止まった。
そこにあったのは、ゴミ集積場から小さく見えていた、陽の光を浴びて輝く広大な湖と湖畔に佇むコテージだった。
屋根に穴が空き壁は蔦に覆われた、訪れるべき観光地の、残骸。
廃墟を棲家にした野鳥たちが水辺で毛繕いをしていて、朝もやには消えかけた虹がかかっている。
それはいつしか、リメアがクレヨンで描いた光景と少しだけ似ていた。
「……たった三ヶ月だよ」
ぐっと、拳を握りしめる。
震える横隔膜を、歯を食いしばって抑え込む。
「こんなにすぐ、人の体がボロボロになるなんて、知らなかったの……」
見れば木の脇に咲く向日葵の花たちが、陽の光を浴びて、顔を持ち上げだしていた。
花びらには朝露がキラキラと光り、鮮やかな黄色が風に揺れている。
「四百年も、ずっと、ずっと暗いところで一人ぼっちで、暗くて、寂しくて。なのに、初めてできた友達と、たったの三ヶ月しか一緒にいられないなんて……おかしいよ……おかしいよ……っ!」
草を撫でる風音が、掻き消えそうな独り言を覆い隠す。
「アリシアを、返してよ……」
不意に口をついて出た声が、やけに耳の中で反響した。
言葉を頭の中で繰り返し、ハッとする。
「そうだ、アリシアの魂……あの時、エーテルに仮固定したままだ……! だったら、もしかして――ううん、きっとそう!」
リメアは振り返ってしゃがみ込むと、おぼつかない手元で土を寄せ始める。
「アリシアの魂だけでも、返してもらわなきゃ。返してもらわなきゃ」
うわ言のように繰り返しながら、土を盛る。
泥だらけの手で髪留めを外し、墓の上にそっと添えた。
「髪留め、ありがとう。これはこの星から外には持っていけないから、ここにおいていくね」
リメアはそう告げると、踵を返し歩き出す。
ふらふらと浮ついた足取りが自然と向かうのは、空に向かってそびえ立つ|天体と天体を繋ぐ巨大な架け橋。
「あの先に精霊がいる。あの鎖みたいな精霊は、わたしのエーテルを奪った。奪われたエーテルの中には、アリシアの魂が混ざってる。だから、あの塔の先に、アリシアもいるんだ。アリシアも……いるんだ……」
ぶつぶつと呟き、塔の先端を見つめたまま歩き続ける。
「っ!」
足元すら気にせず歩いていたからか、草葉で隠れた石に蹴つまずく。
丘の下り坂を勢いよく転がり、ワンピースが土と草の汁で汚れた。
うつ伏せの状態から腕で体を起こし、そのままの姿勢で地面についた膝を見る。
擦り傷すら、できていなかった。
リメアの体ではこの程度で痛みを感じることはない。
いじめっ子に突き飛ばされたアリシアは、それだけで怪我をし、血を流していた。
「半分精霊のわたしと人間の体が違うことなんて、わかってたはずなのに……」
土を払って立ち上がると、リメアはキッと雲1つない青空を睨みつける。
(わたしが、全部、悪かったの? ……ほんとに? わたしだけが、いけなかったの?)
顔を下ろして手を見れば、汚れた腕が目に入った。
注射器で傷だらけになっていたアリシアの腕が、自分の腕に重なる。
「そうだ……あんな仕事、なければよかったんだ」
ぼそり、と呟くと同時に、胸の奥で闇色の火が灯る。
「お金を稼ぐのが……生活するのが、あんなに大変じゃなければよかったんだ」
アリシアは、いつもレシートと、にらめっこしていた。
クレヨンが高かったって、日記にも書いてあった。
ゆらめく黒炎は様々な感情を飲み込み、どんどん大きくなっていく。
「あの塔がエネルギーをたくさん吸い取らなかったら、アリシアはきっと、孤児になんてならずに、家族と一緒にいられたんだ」
ギリギリと、噛み締めた歯が音を立てる。
せり上がってきた黒い炎は喉を焼き、激情と共に溢れだす。
「誰かが! この星を、おかしくしなかったら! こんな、こんなことには、ならなかったんだっ!」
視界が憤怒で真っ赤に染まっていた。
わなわなと震える小さな拳で、スカートの裾を握りしめる。
「精霊を、この星をめちゃくちゃにしたあの精霊を、ひっぱたいてやる!!」
力強く駆け出した足はもう、ふらついていなかった。
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