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第10話(3)絶叫【フェニス第3従響星】

 異形との突然の邂逅に、消失した体の感覚に、理解が追いつかない。

 頭の中では、精霊の声とリッキーの遺言が繰り返し反芻されていた。


『この一帯からエーテル使用権限を剥奪する』

『離脱ヲ!』

(だったら、エリア外にさえ出れば! 目玉から隠れられれば、アリシアの治療が再開できる……!)


 その影響範囲がどれほどの広さなのか、検討もつかなかった。

 それでもかすかな希望にすがりつくように、リメアは体に鞭を打った。

 アリシアの横たわる水たまりは、真っ赤に染まっている。

 もはや、一刻の猶予も許されない。


「別の場所に逃げ……なきゃ……!」


 リメアはふらつく足を無理やり立たせ、アリシアを抱きかえると全力で駆け出した。

 いつものように力が入らない。

 リメアの筋力は見た目相応の、幼い少女と同程度まで低下していた。

 軽くなってしまったアリシアの体でも、両腕にずっしりと重くのしかかる。

 

「どうしよう、どうしよう! 早く、早く……精霊のエーテル干渉下から抜け出さないと、抜け出さないとアリシアが……!」


 自分に言い聞かせるように、泣き言を繰り返す。

 ゴミの集積場から離れ、草の背が短く整えられた庭園をただひたすらに走り続けた。

 どれだけ離れても、どれだけ足を動かしても、エーテルの気配が感じられない。

 大気にも、体の内側にも。

 知識回路にすらアクセスできない。

 リッキーにアドバイスを求めたくても、再起動するためにはシステム構築にかなりの時間がかかる。

 そもそもエーテルが使えない状況下では、それすら叶わない。

 髪は黒いままで、ただ風に乱されていく。

 石につまずき、転びかけた。

 握りしめていたはずの日記の断片が、指から離れて天に舞う。

 アリシアを形作るなにかが、目に見えない力で剥ぎ取られていく気がした。

 |天体と天体を繋ぐ巨大な架けコズミックストリングの塔を背に、リメアは叫ぶ。


「わたしは――」


 呼吸を整え地平線を睨みつけ、リメアは再び大地を蹴り飛ばす。


「あなたを、絶対にあきらめないから――!!」


 その時だった。

 リメアのワンピースの胸元が、わずかに突っ張る。

 風のせいでも、自分でスカートを踏んづけたわけでもない。


「アリシアっ!?」


 反射的に顔を向ければ、アリシアの手がリメアの服を引っ張っていた。

 薄く開いた目を見て、彼女が意識を取り戻していることに気がつく。

 瞼はゆっくりと瞬き、口元には弱々しい笑顔が浮かんでいた。

 嬉しさがこみ上げる反面、言葉にできないほどの不安がリメアの背中を駆け上がる。


「アリシア、待って、待ってて! あと少し、きっとあと少しでわたしは、アリシアを――!」


 涙でぐしゃぐしゃな顔なんてどこにもないよ、と言わんばかりに、明るい声と笑顔を彼女へと向けた。

 アリシアは、じっとこちらを見つめ続け、小さく、とても小さく口を開いた。


「……リメア、……ありがとう」


 違う。ありがとうなんて言ってほしくない。まだ何もできてない。

 そう強く思えば思うほど、リメアの視界がぼやけていく。

 

「アリシアっ、わたし、まだ、走れる、走れるからっ……」

 

 俯いた鼻を伝って涙がこぼれ落ちた。

 泣き顔をアリシアに見せたくないのに、涙は止まってくれなかった。


「リメア………………聞いて……?」


 アリシアの声はあまりにか細く、草を踏む音でさえ邪魔になる。

 やむなくリメアは歩調を弱めた。

 焦りとアリシアの声を聞き留めたい思いがせめぎ合う。


「お話は後でいいの、アリシア。これから、きっと、わたしが治して――!」

「今………聞いて……欲しいの……」


 そよ風で消えてしまいそうなくらい、小さな声。

 だがリメアの足を完全に止めてしまうくらい、意志の強さが宿った声だった。

 雲間から光が差し、白く眩しいほどに、アリシアの顔が照らされていた。


「ごめん……私……リメアの……将来の目標、奪ってた……」


 途切れ途切れの声で、アリシアが囁く。

 将来の目標、という言葉を聞いた瞬間、孤児院の光景がフラッシュバックした。

 アリシアがリメアの保護者になると誓った、夕日に染まった沢遊びの帰り道。

 あの時リメアは、将来の目標なんてわからなかった。

 それは今だって、変わらない。

 リメアは、アリシアの発言を強く否定する。

 

「そんなことない、わたしの目標は、まだ、決まってないもん!」

「嘘……。ケホッ、ケホッ。だって、リメア……いつも……空、見てた」


 ハッとした。

 意識したことなんて、これっぽっちもなかった。

 宇宙船から窓の外を眺める。

 空を見上げる。

 それらはリメアにとってあまりにも当たり前の習慣と化していて、言われるまで、気付けなかった。

 そしてそれが意味することを察し、更に強い否定で頭に浮かんだ言葉を塗りつぶす。

 

「っ! 違う! 違う違う! わたしは、アリシアといたい! これからも、ずっといっしょにいたい!!」

「分かるの。リメアのお母さん……優しい人。リメアは……私とは、違う……」

「そんなことない、そんなこと! お母さんは、わたしを捨てたの! 要らなくなったから、宇宙船に閉じ込めて宇宙に放りだしたの! 優しくなんてない! わたしは、アリシアとおんなじだよ!」

「……ううん、違うの。わかってた……だから、私は……リメアと……友達になれた……の」

 

 リメアは膝から崩れ落ち、草原に座り込む。


「生きているなら、きっと……会えるから……ね、約束」

「…………」


 声にならない声が、吐息を震わせる。

 答える代わりに、リメアはアリシアの肩を強く抱きしめた。


「最後に……、一つ、……お願い」


 アリシアの手が空をさまよう。

 リメアすかさずその手を取り、握りしめる。

 

「私のポケットから……、携帯食……出して……」

「わかったよ、でも、今は食べられるような体じゃ……」


 リメアはアリシアのポケットに手を伸ばし、携帯食を取り出した。

 ほら、とアリシアを見た途端、肺が空気を搾り出すように縮み上がる。

 アリシアの目はもう、リメアを見ていなかった。

 誰もいない空を見つめたまま、小さく、口だけを動かしている。

 

「……開けて、割って」


 言われるがままリメアは包みを開き、携帯食を手に取ると、両端に指を添え力を込める。


 


 パキン――。


 


 硬質な澄んだ音色が、青空に吸い込まれていく。

 同時に夕闇のクレーターで息を潜めたあの思い出が、リメアの脳裏をざぁっとよぎった。

 初めて互いの関係を確かめあった、あの日。

 あの薄暗い闇の中でアリシアが歩み寄ってくれたから、勇気を出して一緒に食べようと誘うことができた。

 いつだってアリシアが前を歩こうとしてくれたから、リメアは子どものまま甘えることができた。

 アリシアがいてくれたから、リメアはもう、凍えるような孤独を感じることがなくなった。

 音の余韻はそのすべてを優しく溶かし、胸の奥へと染み渡らせる。

 ふたつに割れた携帯食の間で、アリシアは焦点の合わない目を微かに濡らし声を震わせた。


「あぁ、ぁ、これが……これが、私の……」


 ひと呼吸おき、アリシアの表情がふわりと和らいだ。

 それはリメアがいちばん大好きな、アリシアの、最後の笑顔だった。


「私の……大切な……幸せの音……。私は……生きてて……アリシアで……よかった…………」


 ふっと、小さく息を吐いた唇。

 だが待っても待っても、その愛おしい唇が再び開かれる瞬間は、2度と訪れなかった。

 リメアは時を止められたかのように、静止した。

 アリシアの冷たくなっていく手を、ただひたすらに握りしめる。

 風が吹き、黒髪と栗色の髪が揃って柔らかく揺れていた。

 リメアは、アリシアの亡骸を抱えたまま、動けなかった。

 ずっと、ずっと、動けなかった。

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