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第10話(2)絶叫【フェニス第3従響星】

 目の前のゴミ山を避けて進むと、その先には湾状にゴミが寄せられ、大きく開けた堆積場があった。

 その一角に、栗色の髪をしたショートボブの少女が、体をくの字に折り曲げ、横たわっていた。


「アリシアっ! アリシア、アリシア、アリシアっ!!」


 そばまで駆け寄り、絶句する。

 喉は、悲鳴すら通してくれなかった。

 彼女の鼻口からはタールのような粘度の血液が糸を引いていて、肌は蒼白で血の気が全くない。

 いつもキラキラと輝いていたはずの紫苑の瞳は、虚ろに沈んでいる。

 骨が浮き出るほど痩せ細った体躯が、痛々しい。

 頭が、真っ白になった。

 ぬめった水溜まりに膝をつき、アリシアを力強く抱き上げる。

 見慣れたはずの栗色の前髪が、額から力なく流れ落ちた。


「……ッ!!」


 異常な軽さに、リメアは脳天を撃ち抜かれる。

 とても、見た目から想像できる体重ではない。

 どれほど、どれほどの無理をアリシアにさせてしまったのだろう。

 そんな自責の念に、心が押し潰されそうだった。


「……リ…………メア……?」


 カサついた唇が、震えながら小さく動く。

 リメアは叫びたい衝動を抑え込み、無理やり笑顔を作って見せた。


「しゃ、喋らないで、大丈夫、大丈夫だから!」


 なんの根拠もなかった。

 どうすればいいかもわからなかった。

 それでも、なにかしなければという焦燥感だけが、リメアを突き動かしていた。

 体温を失い、緩やかに痙攣を始めたアリシアの腕を、必死に擦る。

 その時、勢い余って指にチューブのようなものが引っかかった。

 ブシュ、と気の抜けた音とともに、腕から勢いを失った赤い液体がぼたぼたとこぼれ落ちる。

 水たまりに転がったのは、親指の太さほどもある凶悪な点滴針だった。

 そこから赤いもやが、じんわりと広がる。

 

(あぁっ、そんな、アリシアが、アリシアが……!)

 

 動揺を悟られぬよう呼吸を抑え続けたリメアの指先はとうに感覚を失っており、平常を装ったつもりでも体の震えが止まらない。

 さらさらと腕から静かに流れ出る血は、アリシアの体から抜けていく命を暗示しているようだった。

 

「リメア様、残念デスがアリシア様は、もう……」

 

 リッキーがリメアの背後から現れ、力なく俯く。

 静寂の中、白い雲の落とした影があたりを一層暗くする。


「リッキー、嘘だよね。こんなの、嘘だって言って」

「…………」


 ポツリ、とアリシアの額へ落ちた水滴に驚き、リメアは反射的に顔を上げた。

 雲が太陽を隠しているが、雨が降っているわけではない。

 さっと、熱が頬を滑り落ちる。

 そこでやっと、リメアは自分が泣いていることに気がついた。


(泣いてる場合じゃない! 今は……今はアリシアを助けることだけを考えなくちゃ……!)


 慌てて腕で涙を拭い、はっとする。

 その手には泥で汚れたアリシアの日記の束が、未だ強く握られたままだった。


『私は、アリシアで、いたい』


 アリシアの歪んだ文字が、皺と汚れの間からのぞいた。

 鼻の奥がツンと痛みを訴え、血液が頭に集中し顔が熱くなる。

 目の前の現実に、もう、耐えられなかった。

 

「こんなの、嫌だよ、アリシア……。嫌だよ……っ!」

 

 腹の底から湧き上がる激情を、体内ですべて、エーテルに変換していく。

 背中の髪が重力に反してふわりと浮き上がるのを感じる。

 慌てたリッキーの声が耳に響いた。


「だ、だめデス、リメア様! 未確認の敵性反応アリ、今動くと危険デス! 何よりアリシア様を助けられる可能性は極めテ――」

「でも今なんとかしなきゃアリシアが! アリシアが死んじゃう!!」


 前髪が黒から白銀へと変わり、淡い発光を始める。

 リメアはリッキーに断ることなく、知識回路を起動した。


《ホログラムAI並列起動状態で、知識回路――医療分野、技術回路――医療分野を開放します。この動作を伴う医療行為は、貯蓄エーテルを大量に消費し、使用者の脳に多大なる負荷を――》


 脳内で機械音声が警告を促してくる。


(――うるさいっ!)


 リメアは奥歯を噛み締め、警告を無理やり遮断した。

 髪は波打ち、七色の輝きを纏う。

 身体全体にエーテルが漲っていた。


「リメア様!!」

「もう、決めたの!!!」

 

 言葉を叩きつけながらアリシアの身体をエーテルで透過(スキャン)する。

 瞳の上にアリシアの分析データが表示されていく。

 

「嘘、うそ……。腎臓萎縮、小腸閉塞、肝臓……腐敗、脾臓溶解……」

 

 喉が震え、瞬きをするたびに下瞼から涙が溢れる。

 以前知識回路を開いたときとは比べ物にならない頭痛は、断続的にリメアを襲い続けていた。

 それが毛ほども気にならないくらい衝撃的な結果だった。

 唇を破れるほど強く噛み締めながら、リメアはアリシアの腹部に手をかざし、エーテルによる治療を開始した。


「リメア様、まさカ!」

「そうだよ! アリシアの機能を失った内臓を、わたしの身体と同じエーテル組織で作り直す!!」

「いけまセン! 生身の人間にエーテルは毒! たとえ今を凌げても長くは持ちまセン!」

「それでもわたしは! アリシアにちゃんとお礼だって――言えてないんだもんっ!!」

 

 声はとうに掠れていた。

 アリシアの体から生気が失われてもなお、リメアは治療を続けていく。

 掌から光が溢れ、アリシアの体内へ吸い込まれていくのを固唾を飲んで見守った。

 腐りきった臓腑を焼き切り、新たな内臓をゼロから構成していく。

 体との接続が切れかけていたアリシアの魂を、無理やりエーテルに繋ぎ止め、蘇生の瞬間に備える。

 

 「魂を一時的に分離して大気中のエーテルに仮固定……八十六、八十七%、体組織形成、七十八、七十九%……! お願い、お願い……。間に合って……!!」


 胸の奥底から絞り出されたような祈りが、空気を揺らした、その時だった。

 突然、音のない衝撃が大地とリメアを襲った。

 視界がわずかにぶれ、世界が回る。

 バシャ、と軽い水音が後を追った。


「ぇ……?」


 いつの間にか、リメアは頭から地面に倒れ込んでいた。

 何が起こったかわからず、目だけを動かして宙を見る。

 その瞬間、あまりの驚きにリメアは声を上げることもできず、瞼をこれでもかと見開いた。

 鎖。

 空から地上まで垂れている、恐ろしく長い鉄の鎖が、ゆらゆらと揺れていた。

 その先端には、ギョロギョロとした大きな目玉がぶら下がっている。

 目玉は大気中のエーテルを通じて、直接頭に音声を流し込んできた。


『やっと見つけた。ここ最近従響星で大量のエーテルを消費していたのは……お前か。基幹規則の38……大規模なエーテルの無許可使用に該当。この一帯からエーテル使用権限および滞留エーテルを剥奪する。まったく……煩わしい――』

 

 言葉が終わるやいなや、突如虚脱感に襲われる。

 体内でエーテル活動量が著しく低下していくのを感じた。

 リッキーはエーテル体のホログラムを維持できず、ノイズとともに崩壊を始める。

 

「精霊デス、精霊のエー■ル……干渉妨■……デス! 即■……離脱……ヲ……!」


 ホログラムの最後の欠片が、風に散る。

 途切れ途切れの音声が、耳に残響した。

 ハッと我に返ったリメアは、鉛のような体をなんとか持ち上げる。


(一体、何が起こったの……!?)

 

 すると目の前に、水気を含んだ真っ黒な前髪(・・・・・)が、だらりと垂れ下がる。

 エーテルが完全に霧散していた。

 リメアは展開されていたエーテル治療が強制中断されてしまったという事実に、やっと思い至る。


「そんな……! 力が! アリシアの治療がまだ途中なのに!」


 地を這いつくばってアリシアへ覆いかぶさり、リメアは体中のエーテルを再活性させる。

 がしかし、まるで力の気配は感じられない。

 鎖と目玉はリメアの努力は無駄だと言わんばかりに、ゆるりと溶けるように姿を消した。


(さっきのは何……!? どうして力が出ないの!?)

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