第7話(3)境界値【フェニス第3従響星】
「このチップを確認してみて! きっと何かの間違いだから!」
「し、しかし……」
手の甲を鼻先に突きつけられた女性は、激しく困惑していた。
一方アリシアの目は血走り、息も荒い。
すると店の自動ドアが開き、黒服の男が現れて間に割って入る。
「大変申し訳ございません、お客様。お食事のご予約は確認できたのですが、店内でのお食事はご遠慮ください。恐縮ですが、当店ドレスコードがございまして」
「ドレスコード……?」
「ええ、お客様のようなカジュアルな服装ですと、当店のドレスコードに抵触するため、誠に残念ですが入店をお断りしておりまして」
「なによ、それ! お金はあるの! ちゃんとお金はあるのよ!!」
アリシアが牙を剥くと、黒服は端末でICチップを読み取る。
初めて見るアリシアの剣幕にリメアは少し恐怖を感じた。
ただハンバーガーのため、つまりリメアのために怒ってくれている彼女を責めることはできない。この星のルールもよくわからないため、リメアはただひたすら状況を見守ることしかできなかった。
黒服は情報を確認し終えると片膝をつき、アリシアに大きく頭を下げた。
「こちらの都合でこのような結果となり、誠に申し訳ございません。ご提案なのですが、間を取りましてテイクアウトはいかがでしょうか。代金をお支払いいただけるのでしたら、店内でのお食事は難しくとも、ハンバーガーをこちらでお渡しすることは可能です。そちらで、なんとか……!」
「………………じゃあ、それで、お願いします……」
アリシアは歯の間から絞り出すように低い声を出した。
黒服と店員は会釈をし店内に戻っていく。
ピカピカに磨かれた自動ドアの前に、アリシアとリメアだけが取り残された。
「……なんか、中は入れないんだって。ごめんなさい、知らなかったの」
「いいよ、ぜんっぜん! わたし、外で食べるか中で食べるかなんて、これっぽっちも気にしてないよ!」
俯いていたアリシアだったが、必死に訴えるリメアを見て思い直したのか、ぱっと顔を上げる。
「でもちゃんと食べれるからね、ハンバーガー! 楽しみね!」
さっきの怒り顔はどこかに消え、アリシアはニッコリと笑う。
それを聞いて、リメアもほっと安心した。
「うん! 楽しみ!」
待つこと約十分、自動ドアが開くと小さな袋を恭しく抱えた店員が現れた。
「お待たせしました。こちらがご注文の――」
「いいから、お支払いするわ」
「かしこまりました。では」
アリシアが店員が差し出した端末に手をかざすと、光とともに効果音が流れる。
「ハンバーガーショップ、フェニシアルをご利用いただき、ありがとうございました!」
店員は深くお辞儀をすると、くるりと向きを変えて戻っていく。
アリシアは受け取った袋を片手に、チップの埋め込まれた手の甲をじっと眺めていた。
「アリシア……?」
「…………え、ええ。行きましょ。このあたりはなんだか空気が悪いわ。そうね……あそこの橋の下ならどうかしら」
「うん、アリシアについてく!」
アリシアはそそくさとその場を離れ、リメアもそれに従った。
たどり着いた橋の下は薄暗くて人気もなく、濁った川が目の前を流れていた。
リメアたちは川辺のブロックに腰を下ろし、一休みする。
ハンバーガーショップを離れたあたりから、アリシアの顔色が優れない。
呼吸も荒く、額にはびっしりと汗をかいていた。
朝に比べてくまが大きくなり、目の焦点も安定していない。
少し歩いたわりには、随分ばてているようだった。
「ふぅ、なんだかひどく疲れたわ」
「無理しないで、アリシア」
アリシアは首を小さく横に振る。
「大丈夫よ。ほら、せっかく楽しみにしてたんだから、早く開けて」
促されたリメアはアリシアから渡された紙袋を開く。中から出てきたのはハンバーガーがひとつだけ。
「あれ? アリシアの分は?」
「私はいいの。最近お腹空かなくて。それより、ハンバーガー楽しみだったんでしょ?」
てっきり一緒に食べられると思っていたリメアは面食らうも、早く早くと急かされるので気を取り直し、心を込めてお礼を伝えた。
「ありがとう、アリシア! ずっと食べてみたかったの!」
その時、手の中で何かがモゾ、と動いた気がした。
「……?」
不思議に思いつつも、包みを開けていく。
ハンバーガーショップのロゴが入った薄い紙をめくった瞬間、リメアは叫び声を上げた。
「いやっ!」
手から離れたハンバーガーが、宙を舞う。
見開かれるアリシアの目。
半開きの包みは軽い音を立て、地面に転がった。
――崩れたパンの間で、なにかがうごめいている。
それはソースにまみれた、生きたミミズの群れだった。
塩分に苦しんでいるのか、激しくのたうち回り外へ外へと這い出してくる。
リメアはただただ理解が追いつかず、恐ろしい見た目のハンバーガーから目が離せない。
「…………リメア……?」
凍りつくような声が、隣で聞こえた。
涙目になったリメアがゆっくり顔を横へ向けると、血走った虚ろな目をこれでもかと開いたアリシアが、石のように固まっていた。
ハッとして、ハンバーガーに目を落とすも、あまりに不気味さにすぐ目を逸らしてしまう。
リメアはアリシアに向かって、必死に訴える。
「ち、違うの! アリシア、ごめんなさ……でも、これ、気持ち……わる――」
言い終わる前に、アリシアは倒れ込むようにして四つん這いになった。
もはやリメアのことなど見ておらず、その視線はハンバーガーに縫い付けられている。
「えっ、何? どうしたの、アリシア!?」
アリシアの反応はない。
栗色の髪の間からハンバーガーを睨みつけ、一歩、また一歩とブツブツなにかをつぶやきながら這いずっていく。
「アリ、シア……?」
再び名前を呼んでも、こちらには見向きもせず、どこか怯えたような表情で。
狂ったように地べたに散らばったハンバーガーを食べ始めたのだった。
川の水音に獣のような咀嚼音が混ざって響いた。
「っ……!」
目を逸らすことが、できなかった。
そこにいたアリシアは、リメアの知っているどのアリシアでもなかった。
砂を払うでもなく食べられる部位を選別するでもなく、握りつぶすようにパンやミミズを鷲掴みにし、詰め込むように繰り返し口に運んでいく。
明らかに、常軌を逸していた。
ものの数秒の出来事だった。
アリシアはひとりで、あのハンバーガーを、食べ尽くしてしまった。
「アリシア……どうしちゃったの……?」
涙声のまま、動きを完全に止めたアリシアの背に、恐る恐る手を伸ばす。
手が触れた瞬間、びくっとアリシアの体が跳ねた。
小さな悲鳴を上げ、手を引き戻す。
アリシアはガバっと首だけで振り返る。
だが見つめる先にリメアはいない。
半開きの唇を痙攣させ、泣きそうな顔でアリシアは叫んだ。
誰もいない、虚空に向かって。
「っ! ――えと、母さ、ごめんなさい! ごめんなさいっ!! 床に、床に落ちたから、私、私が食べていいと思って!!」
幻覚を見ている。
リメアはそう直感した。
なんとしてでも、正気に戻してあげないといけない。
そう思い、無我夢中で名前を呼ぶ。
「アリシアッ! 気づいて!! ここには誰もいないよ!! わたしリメアだよ! ねぇアリシア!!」
するとアリシアは縮めた体から顔を持ち上げ、今度はしっかりとこちらを見る。
「あれ? リメア……? あの人はどこに……私、ちがう、そうじゃなくて、私、わた――うぷっ」
急にえずいたアリシアは立ち上がり、川べりに駆け寄ると頭を突っ込むようにして嘔吐した。びちゃびちゃと、跳ねる水音が橋下に反響する。
何が起きているのか、わからなかった。
リメアは目の前の光景が受け入れられず、ただ震えて、小さく首を横に振ることしかできない。
そのままの姿勢でアリシアは嗤う。
「は、ははは、あは、リ、リメアが正しかったよ! 食べてみたけど、ぜんぜん味しないし、食感気持ち悪いし、ハンバーガーって、ハン、バーガーって、――ハンバーガーが、なによッ!!」
アリシアは狂気に似た怒りを川に向かって叩きつける。
やけに大きく聞こえるせせらぎ。
新品の服の裾にベッタリと張り付いた包み紙。
踏み潰された紙袋。
バクバクと心臓が鳴っている。
リメアは息をするのも忘れ、豹変したアリシアを見つめ続けた。
と、その時、彼女の荒い呼吸になにか破れたような雑音が交じった。
「げほっ、げほっ、かはっ!!」
乾いた咳のあと、アリシアは自分の手を見て目を見張る。
そのまま困惑した目で、こちらへ振り向いた。
口元には、べったりと、血糊がついていた。
「あ……」
小さな声を漏らした後、白目を剥き崩れ落ちるアリシア。
ドサッと、体を横たえる音。
助けなきゃ、と頭で考えても足がすくんで動かない。動かせない。
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