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第6話(1)ふたり暮らし【フェニス第3従響星】

 孤児院から離れ、仕事を始めてちょうど一ヶ月が経過した。

 気持ち程度のセキュリティが施された旧式鍵をガチャリと回し、アリシアは玄関の扉を開く。


「あー……、疲れたー……」

 

 油の切れた蝶番が耳障りな音を立てる。

 正面には直角に折れた玄関の壁と靴箱。

 変則的な間取りだったが家賃には変えられない。

 背後から街灯に照らされた自分のシルエットが、正面の壁掛けの鏡に映った。

 ジャケットにショートパンツというスタイルは孤児院服を着ていた頃に比べ、背丈は同じでもちょっぴり大人っぽく見える。

 この服がアリシアのお気に入りだった。通勤で毎日着るほどに。

 バタンと扉が閉まった後で、部屋の明かりが一切ついていないことに気がついた。

 街灯の明るさに目が慣れてしまっていたせいで、室内の暗闇がやけに際立つ。


「え……暗……。リメア……いないの?」


 しょぼしょぼする目を凝らしつつ、手を伸ばしてライトのスイッチを探した。

 指先が硬いボタンに触れると、そのまま強く押し込んだ。


 パンッ!


 光と同時に乾いた破裂音が室内に響き渡る。


「アリーシアー! おかーえりー!」

 

 何が起こったか分からず、アリシアは目を丸くしたまま固まった。

 色とりどりの紙吹雪越しに、リメアの満面の笑顔。

 肩から仕事カバンのかけ紐がずり落ちた。


「今日は~、お引越しの一ヶ月~、記念日! 記念日っ!」


 ぴょんぴょんと跳ね回るリメアを見て、顔が一気に綻ぶ。


「私を驚かせようとして、明かり消してたな~! このこの!」

「いひぃ、こめかみはー、こめかみだけはご勘弁を~!」


 少女たちはきゃいきゃいと騒ぎながら部屋へと移る。

 借家はこじんまりとした1DK。

 ダイニングキッチンには食卓とリメアが寝るためのソファが配置されている。他の家具らしいものといえば、棚と冷蔵庫が1つづつ。奥にはアリシアの部屋とシャワールームという簡素な作り。壁紙はほとんど取り払われていて、コンクリート壁のところどころに剥がし残しが目立つ。古い建物で、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 でも今夜は違う。

 リメアが一日かけて取り付けた装飾が、部屋中に取り付けられていたのだ。

 いずれの飾り付けも携帯食の包み紙やチラシ、梱包紙を切り貼りしたものばかり。

 それでもアリシアは安っぽさを微塵も感じなかった。

 なぜならリメアのたゆまぬ努力により、それぞれがびっくりするほどカラフルに塗り分けられていたから。ちょっぴり目が騒がしいと感じるほどに。

 ふわりと飛んできたリッキーが、お腹のタイマーに表示された時間を読み上げる。


「アリシア様が帰って来るマデ、一時間四十七分。その間リメア様はずっと玄関で待機しておられマシタ!」

「あー! またリッキーが余計なことを言ってるー! ちょっとしか待ってないからね? ほんとにちょっとだからね?」

「はいはい、わかったわかった」


 くっついてきたリメアの背中をぽんぽんと軽く叩き、アリシアは改めて部屋を見回す。


「それにしてもすごいねリメア。まるで絵本の世界じゃない」

「うん! アリシアがこの前買ってくれたクレヨン、大活躍したんだよ!」


 リメアは赤や緑に汚れた指で、クレヨンの箱を嬉しそうに見せてくる。

 ラミネート越しに覗く十二色のクレヨンはきれいなグラデーションで並べられていて、買ったときより随分背が縮んでいた。

 どうやら黄色がお気に入りらしく、一本だけ三分の一ほどの大きさになっている。


「…………ありがとね。疲れが一気に吹き飛んだわ」

「わーい! アリシアに褒められたー!」


 アリシアはふぅ、と小さくため息をつきながらリメアを優しく抱きしめる。

 ちょうど目線の先に、女の子二人が水遊びをしている絵が飾られていた。

 子どもが描いたとは思えないほど、かなり上手に描けている。


「わぁ! すごいわ! これもしかして、私? 隣りにいるのがリメア?」

「うん! そうだよ!」

「この黒い線は何?」

「しばき紐!」

「ビキニよ! ビ・キ・ニ! まったく、どこから出てきたのよ、その名前は」


 窘めるアリシアの目の前で、リッキーがくるくると踊りだす。

 

「よくぞ聞いてくださいまシタ! しばき紐とは、リメア様が宇宙船にいたコロ、何度も繰り返し視聴されていた長編アニメーション作品、『宇宙海賊シバキ』のメインウェポンなのデス!」

「……へぇ、ビキニがメインウェポンねぇ……。それ、子供が見ていいものなの?」

「ええ、もちロン! 宇宙海賊シバキは安心安全な子供向け番組。主人公はシバキ紐を常に10枚以上装着しており、戦闘時の使用配分が勝利の鍵を握る、骨太スペースファンタジー巨編なのデス!」


 リッキーの説明は熱を帯びていて、やたら早口だった。

 AIの好みはわからないわ、とアリシアは思う。

 ほっといたらあらすじから第1話の内容にまで踏み込みそうだったので、やんわり制止する。


「なんでリッキーが一番熱くなってるのよ。ほら、もうリメアなんて別のことしてるわよ」

「んハッ! ワタクシとしたことガガガッ!」


 ひたすらガタガタ震えるという、最近発明した故障機械ジョークをかましてくる球体。もちろんまったく面白くない。

 リメアは相棒もお構いなしに、壁の絵へクレヨンを走らせ続けている。


「んー? なにか描き忘れたの?」


 頭の後ろから覗き込むと、黒と白のクレヨンを交互に使い、丸をグリグリ描いていた。追加されたのは、水辺でにっこり笑顔の少女たちの隣で、ちょうど頭と同じ高さに浮かぶ灰色の物体。

 アリシアは、ははんリッキーだなと推測した。

 だが同時に違和感を覚え、記憶がその情景を否定する。

 

「ふふっ、リメアってば、忘れちゃったの? あの沢遊びの日、リッキーはいなかったでしょ?」


 沢遊びに参加できなくてリッキーが不満を漏らしてたとリメアに聞いたこともあった。なのであの時リッキーがいなかったことに疑いはない。

 にも関わらず、ふふん、とリメアは絵の前で自慢げに胸を張った。

 

「これはね、前行った沢じゃないんだ。いつかアリシアと一緒に行く、バカンスの絵なの!」

「そういえば、そんな約束、してたわね……」

 

 アリシアは目を細め、完成した絵を眺める。

 決して多くの色が使われた絵ではない。

 湖は水色。

 草は黄緑。

 空は青色。

 太陽は赤。

 それでもアリシアには、その一つ一つが、目の前で呼吸をしているように感じられた。

 揺れる木の葉、草原を撫でる涼風、輝く湖面、流れる雲――。

 楽しそうに響き渡る笑い声が聞こえたところで、はっと我に返る。

 感想を楽しみにしているのか、リメアが鼻をふくらませて待っていた。 


「アリシア、気に入ってくれた?」

「……えぇ、とても」


 素敵な絵ね、と黒髪を撫でるとリメアが嬉しそうにすり寄ってくる。

 ちらつく蛍光灯、ひび割れたコンクリートの天井。

 ソファと冷蔵庫はゴミ捨て場、棚やテーブルは廃墟から引っ張ってきた。

 多少色褪せてたり、傷が目立っているがまだまだ使える。

 決して豊かとは言い難い生活水準。

 それでも他では得られない、穏やかな時間が確かに存在していた。

 誰かに叱られることも、脅かされることもない、ふたりだけの空間。

 アリシアはなだれ込んだソファの上で、深いクマが浮かぶ目を静かに閉じる。

 ここだけは、何が何でも守り抜く――。

 リメアの温もりを感じながら、心の中で強く誓った。

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