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第3話(3)儚い幸福【フェニス第3従響星】

 「こんな常識的なことすら違うなんて、宇宙って広いのねぇ。ビックリしちゃったわぁ。じゃあ改めて教えて上げる。リメア、この星ではね――」


 ざぁっと風が吹き、草たちが一斉に向きを変えた。

 口元になびいたボブの横髪を耳にかけながら、アリシアは続ける。


 「この星では、精神年齢が成人の基準よ。だから、大人みたいな成熟した考え方ができれば、今からだって働いて、お金を稼ぐことができるの!」


 すっと立ち上がったアリシアは澄み切った青空を瞳に映し、踊るようにくるくると舞う。孤児院服はぶ厚い生地で重たかったものの、風と遠心力のお陰でふわりと広がった。

 リメアに見せた表情は清々しく、希望に満ち溢れているはずだった。

 だが当のリメアの反応は芳しくなく、訝しがるようにこっちを見ている。


「そんなに……いいものなの?」

「いいなんてもんじゃないわ。どこにだって行ける、欲しいものは我慢しなくていい、美味しいものだってたくさん食べられる、欲しいものは、なんだって手に入る! いい事ずくめよ!」

「おぉー」


 いまいちピンときていないのか、とりあえずといった様子でまばらな拍手を送ってくる。

 この星に来て日も短く、経験の浅いリメアにはうまく伝わっていないようだった。


「まったく、まだリメアには早かったかしら、お金の魅力。じゃあちょっと予定を早めて、もしお金があったら何ができるか、私が教えてあげよっか? 名付けて、バカンス体験!」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべるアリシアは、いつもよりちょっぴりハイテンション。もちろんそれに乗らないリメアではない。


「体験、するーっ!!」

「よしきた、任せてちょうだい!」

 

 アリシアはゴソゴソとポケットをあさり、紐がぶら下がった布切れを取り出した。


「じゃじゃん! これなーんだ!」

「しばき……紐……?」


 聞き慣れないワードにアリシアは一瞬固まるも、すぐさま大声でツッコミを入れる。


「違う! ビキニよ、ビ・キ・ニ! こうやってつけて、泳ぐのよ!」

「わはぁ!」

「ほら、リメアもついてきて!」


 アリシアがビキニの着用方法を見せると、リメアは子どものようにはしゃいだ。

 手応えを感じたアリシアはリメアの手を強引に引っ張ると、丘の向こうを指さし走り出す。

 青空には大きな入道雲。丘の上の芝生は空を押し上げるかのように、雲に向かって大きく背伸びしていた。熱気と湿度と草の匂いを孕む風をかき分け、ふたり手を繋ぎひたすら丘を下っていく。

 ちょうど孤児院の建物裏、崖下に位置する場所にたどり着くと、小さな林があった。近づいてみると、さらさら水の流れる音が聞こえてくる。


「ここからは、ちょっと慎重にね」

 

 しぃーっ、と口に人差し指を当て、アリシアは林の奥を覗く。

 木々の間からは小さな沢が見え、太陽の光を受けてキラキラと水面を輝かせていた。

 

「……よし、今日はあいつら誰も来てないみたい! ほら、これリメアの分!」


 そう告げると同時に、先程見せびらかしたビキニをぽいっとリメアの頭上へ放り投げる。

 

「えっ、これ、いいの!? アリシアの分は?」


 リメアがビキニをキャッチするよりも早く、アリシアは沢に向かって走り出す。

 孤児院服脱ぎ捨てれば、着用済みのビキニが中から姿を表した。


「よーし、沢まで競争! 先に水に入ったほうが勝ちー!」

「あ゛ーー!! アリシアがずるしたぁぁぁーーー!!」

「あははははっ、えいっ」

 

 アリシアがジャンプし川面を叩けば、大きな水しぶきがあがる。


「わたしも飛ぶー!」


 後から続いたリメアはアリシアより遥かに高く飛び上がると、アクロバティックに回転し、沢の中央でド派手な水柱を晴天にぶち上げた。

 白く泡立った水面から、リメアがぷはっと顔を出す。

 そこにアリシアはすかさず勝利宣言。

 

「勝負は私の勝ちー!」

「ずる禁止! もっかい! もっかい!」

 

 バチャバチャと水面を手で叩く少女は結局ビキニの付け方がわからなかったのか、ワンピースのまま着衣水泳だ。

 

「えー、飛び込みは一本勝負だしー……って、ちょっとリメア! ビキニはそんな風に使うものじゃ……」 


 ヒュンヒュンと風を切りながら、リメアの頭上でビキニが回転する。


「これは悪い子をやっつけるための、しばき紐!」

「違うから! って、わぶっ!」


 カウボーイも顔負けの精密投擲で、べしゃっ、という音とともにアリシアの顔面にビキニが命中。


「もーーーー! やったなーーー!」


 少女ふたりはキャアキャアと騒ぎ、笑い声は沢に響き渡る。

 その後日が傾く頃まで、小さな小さなバカンスを、楽しんだのだった。


 その帰り道のこと。


「はぁー、疲れたわぁ、遊んだ遊んだ」

「わたし、初めて泳いだ! ほんとに楽しかった!」

「うん、楽しかったわね……本当に。夢を見てるみたい」


 水滴の滴るリメアの頭を、アリシアが優しく撫でる。

 

「どう? 大人になってお金があったら、もっと広い川とか、海とか行けるのよ。リメアは、その、私と遠くに遊びに行きたいって思わない?」

「思う! たくさん思う! 大人ってすごい!」

「そう。すごいの。大人はね……」

 

 夕日が地平線に顔をうずめ、影が長く伸び始める。

 アリシアは徐ろに手を後ろに組むと、ひょいっとリメアの顔を覗き込んだ。

 

「ねえ、リメア。突然だけど、リメアはなにか将来の目標とかある?」

「えー、将来の目標~?」

 

 うーん、と首を傾げ数秒。

 

「……まだ、わかんない……かも」


 しょんぼりと俯くリメア。

 アリシアは彼女の前に回りこみ、白い歯を見せる。


「私はあるよっ! 今、決めたの!」

 

 言うやいなやアリシア踵を返し、リメアを置いて夕日の丘に駆け上がる。

 てっぺんにつくと、顔を上げて胸いっぱいに息を吸い込んだ。


「私の目標はー! リメアの目標が決まるまでー!」


 ここなら大声を出しても孤児院までは届かない。

 夕日が体ごと赤と黒で塗りつぶしてくれるから、リメアにだって表情は見えないはずだ。だから、少しの間くらい。被っていた仮面を外してもいいかもしれない――。

 アリシアの頭にそんな考えが湧き上がってくる。

 なにより込み上げてくる幸福感を今吐き出さなければ、頭がどうにかなりそうだった。


「大人になって、お金を稼いで――」

 

 息継ぎのため大きく体をくの字に曲げ、ありったけの声量で叫ぶ。


「リメアの、保護者になるぞーーーっ!! そして、今日よりも楽しい思い出を! たくさん、たくさん作るぞーーっ!! はぁっ、はぁっ」


 すべてが真っ赤に燃えていた。

 空も、大地も、アリシア自身も。

 責任は全部、沈む夕日に押し付ける。

 

「じゃあ、また明日っ! さらばっ!」

 

 アリシアは羞恥に耐えかねて、踵を返すと孤児院に向かって走り出す。

 突っ立っていたリメアを一瞥もせず、顔を隠すようにして脇を駆け抜けた。

 熱くなった頬と首筋を撫でる夕暮れ時の少し涼やかな風が、心地よかった。

 リメアと出会い、アリシアの生活は大きく変わった。

 毎日が楽しかった。輝いていた。生きていると実感できた。

 今までの、どんな日々よりも。

 青臭い台詞を、恥ずかしげもなくぶちまけてしまうほどに。

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