09.来訪者
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あの謎の男の接近から三日後。ようやく内心の平静を取り戻した私は、学校の訓練場の端でアルベリク様の稽古の様子を眺めていた。
アルベリク様は騎士である。貴族学校では騎士として学び、放課後も訓練場に残り、剣の腕に磨きをかけているのだ。
女に対しては優柔不断でつまらない見栄を張る人だが、こういう努力を怠らず、常に自分を高みへ向けていく姿勢は尊敬に値する。
「エステル。こんな汗臭い場所で何をしているんだ?」
稽古に集中していたアルベリク様は、ひと段落したタイミングで私の存在に気がついたようだった。額から流れ落ちる汗をシャツの裾で拭いながら、こちらへとやって来る。
「邪魔をしてしまってごめんなさい。真摯に剣と向き合っていらっしゃるアルベリク様のお姿が一目見たくて、自然と足がこちらに向かってしまいました」
私に対して鼻の下が伸びた顔ばかり見ていては、不安になってしまうからとは言わなかった。
微笑みながらタオルを差し出すと、先ほどまであれほど凛々しい顔で剣を握っていたアルベリク様の顔が、いつものように情けなく緩んだ。
「ちょうど稽古を終えたところだから、エステルの屋敷まで送ろう。少し待っていてくれ」
そう言うとアルベリク様は、私の返事も聞かずに急いで更衣室へ向かって行った。
別に送ってもらいたかったわけではないのだけれど……まぁ、いいわ。
アルベリク様の用意した馬車に乗り、私たちはパシュテール邸への帰路についた。
時々こうして送り迎えをしてくれるのだが、車内に二人きりになると彼は決まって私の手を握る。私は内心それが嫌だったのだけれど、今日はどういうわけか手も握らず、ぴったりと隣に座ることもなかった。向かいに腰を下ろし、じっと私の顔を見つめている。
「アルベリク様? 私の顔に何か……?」
「あぁ、いや……すまない。なんでもない……」
歯切れの悪い様子で、窓の外へ視線を移した。
「あー……その、最近……リアーナはどうしている?」
アルベリク様は、自分が振った女の近況を新しい婚約者に尋ねるという、無神経さと優柔不断さを兼ね備えた男だった。
「同じクラスのアルベリク様の方が、よくご存知だと思いますわ」
なるべく不快を顔に出さないように気をつけたが、少しばかり棘のある言い方になってしまったかもしれない。
「そう……だな。いや、そうなんだが……近頃なんだか変わったと言うか、なんと言うか……」
「お姉様がどうお変わりになりましたの?」
「どう、と言われると上手く言えないんだ。ただ、以前とは違うような、でも気のせいのような……」
何が言いたいのかさっぱりわからない。
リアーナとは夕食時にしか顔を合わせないし、最近では彼女の方がさっさと部屋へ戻ってしまう。まともに会ったのはあの帽子屋に三人で出掛けた時以来だから、ほぼ半月はろくに会話もしていないのだ。
「……わかりました。私も気にかけておきますわ」
「いや、いいんだ。忘れてくれ。本当に、俺の気のせいかもしれないから」
そう言われても、もう遅い。これだけアルベリク様が気にしているのだから、何かあるはずだ。婚約破棄の心労がたたり、窶れたのだろうか。それともグレて不良にでもなってしまったのか――とにかく今夜にでもリアーナの部屋を訪ねてみようと考えを巡らせているうちに、馬車はパシュテール邸の門を潜った。
「送ってくださってありがとうございました」
お礼を言って上目遣いでアルベリク様を見上げたが、彼は車窓の向こう側に目を向けたままで、何かに気を取られているようだった。そっと視線を辿ってみると、その先にいたのはリアーナだった。彼女は庭の花壇の側で、侍女たちと穏やかに談笑している。
「……アルベリク様。エスコートはしてくださらないの?」
「へ? あ、ああ! すまない、ぼーっとしていた!」
弾かれたように慌てて馬車から降りると、私に向かって手を差し伸べる。その手にそっと手を添えて、私も馬車を降りた。
私はもう一度、リアーナの方を横目で見てみた。彼女も私たちに気がついて、こちらへと向かって来ているところだった。
……あぁ。アルベリク様が言っていた、違和感の正体がわかったわ。
「アルベリク様。妹をお送りくださって、感謝いたしますわ」
「ああ……」
気まずそうに目を逸らすアルベリク様に、リアーナはピンクの頬を緩めて微笑んだ。
いつもほとんど化粧などしない姉が、化粧をしている。引っ詰めただけのお団子は解き、緩めのハーフアップに。制服から着替えたドレスも、いつもの地味な色合いではなくベビーピンクを選んでいた。
「お姉様、その格好はどうなさったの? どなたかお客様でもいらっしゃるの?」
「へ、変かしら!? あの……い、色々と試行錯誤をしているところで……もしも変だったら、正直にそう言ってほしいのだけれど……」
変である。いつものリアーナらしくない、という点を除いても、その色の化粧とドレスは彼女には似合っていない。髪飾りとイヤリングもちぐはぐで、靴の選び方も最悪だ。強いて挙げるなら、少し前までふくよかだった体が痩せ、引き締まったことは評価できる。
しかしアルベリク様の感想は私とは違うようだった。
「そんなことはない。近頃の君は日ごとに違う人になっていくようで、なんと言うか……」
頬を赤らめ、後頭部を掻きながらリアーナを見つめた。
……嘘でしょ。優柔不断にもほどがある。
言葉を失って立ち尽くしていると、俄かに門の方が騒がしくなった。
「何の騒ぎですか?」
ちょうど屋敷の中へ駆けて行こうとした下男を、リアーナが呼び止めた。
「あの……旦那様にお客様なのですが……」
「お父様は外に出ているわ。お父様と今日お会いになる約束を?」
「約束はしていない、と。ふらりと立ち寄っただけだとおっしゃっていて……その……」
リアーナは露骨に眉を顰めた。
「どなたなの?」
「ケーストリデン家の者だと名乗っておられます。リュカ・ケーストリデン様と……」
ケーストリデン。その名前に一番に反応したのは、アルベリク様だった。
「リュカ様がいらしているのか!? すぐに門を開け、歓迎の準備をしろ!」
「は、はい!」
下男は小さく飛び上がり、屋敷の中へと駆け込んで行った。
「ケーストリデン……まさか、公爵家の?」
「そうだ。リュカ様と言えば、ケーストリデン家の三男で、次期王国騎士団総長と噂されているお方だ」
アルベリク様は次期北部騎士団長となるお方。その東西南北の騎士団を統べる長が、王国騎士団総長である。
「そんな方が、どうして事前に伺いもなく突然うちに……?」
「急を要する事情がおありなのかもしれないわ。お父様は不在でも、お兄様とお母様はいらっしゃるのでしょう? お母様にはメイドを総動員して、すぐにお出迎えの準備をしていただくわ。お姉様は、足の速い者を選んでお父様に報せを走らせて。私も着替えたら――」
言いながら屋敷の中へと向かおうとした矢先、門の方からロミが血相を変えて飛んできた。
「エステル様! エステル様ー!」
彼女は鼻と鼻がくっつきそうなくらい私に顔を寄せて、甲高い声を上げる。
「大変です、エステル様! あの男がお屋敷にまで押しかけてきました!」
「あ……あの男って?」
「あの男ですよ! 三日前、エステル様の背後に音もなく忍び寄った――」
「そう、俺」
「ぎゃあ!?」
その声は、ロミの肩越しに聞こえた。ロミは悲鳴を上げ、それでも逃げ出さずに私に被さるようにして抱きついた。
それは確かに、三日前の黒髪の男だった。あの時とさほど変わらない服装で、あの時と同じ挑戦的な目。腰に差した剣を見て、一瞬喉の奥が詰まるのを感じた。
「エエエステル様に指一本でも触れたら、許しませんから!」
「へぇ。この短期間で、随分と飼い慣らしたものだな」
私を庇うロミを見て、男は鋭い目つきとは打って変わって人懐っこい笑顔を見せた。
「あ……あなた……ケーストリデン家の従者だったの……?」
「エステル!?」
悲鳴にも似た声を上げたのは、なぜかアルベリク様だった。彼は青ざめた顔で姿勢を正し、深く頭を下げた。
「従者などとんでもない! こちらの方こそが、リュカ・ケーストリデン様だ!」




