10.リュカ・ケーストリデン
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ケーストリデン公爵家の名前は、もちろん知っている。王の近くで国を支える重鎮で、長い歴史のある一族である。この北西部まで名前が聞こえてくるのは、長男のエリアス・ケーストリデンだ。非常に頭のキレる宰相で、その補佐を務める次男と共に政治の核たる部分を担っているらしい。
一方、三男について私はほとんど知らない。社交界に一度も出たことがないため、中央でも顔が知られていないらしい。ただ、王国騎士団総長を期待されているので武芸に秀でた人物なのだろう、ということくらいだ。
それがまさか、護衛も従者もつけず、こんな場所を一人でふらふらしているなんて誰が想像できるだろうか。
「本当に公爵家の方なのですか……?」
「間違いない。俺は一度遠目ながらお会いしたことがあるし、王家の紋章が刻まれた剣を携えておられる。あれが何よりの証拠だ」
応接室の壁にぴったりとくっついて、リアーナとアルベリク様が小声で囁き合っている。私もそこに並んで、部屋の中央のソファに母とセレスタンと向き合って腰を下ろしたリュカ様を見ていた。
アルベリク様が本物だと言うのだから、本当にケーストリデン公爵家の三男なのだろう。しかし彼には、貴族らしさを感じなかった。足を組んでソファに深く沈み込み、値踏みするような目でこちらを一瞥する仕草には、育ちの良さよりも野性味のようなものが滲んでいて、貴族学校の騎士爵令息の方がまだ気品がある。初対面が無礼だったから余計にそう思うのかもしれないが、あの目がどうにも受け入れがたかった。
「この街にお越しいただく前にお知らせくださっていれば、まともなおもてなしが出来ましたのに……」
「もてなしは不要だから知らせなかった。用が済めば去るつもりだったのだが、予定が狂って滞在が伸びたんだ。だから余計な気は使わなくていい」
萎縮する母に軽く手を振って答え、テーブルに出されたお茶に口を付ける。所作だけは、確かに貴族のそれだった。
「リュカ様の御用というのは……?」
尋ねたのはセレスタンだ。リュカ様は、よくぞ訊いてくれたとばかりに口を開いた。
「俺の愛剣が、遂に悲鳴を上げて折れた。この街は中央よりも腕の良い鍛冶屋が多いから、片っ端から直せないかと訪ねて回ったんだが、年季が入りすぎて無理だと断られた。泣く泣く新しい剣を探すことにしたんだが、なかなか気に入るものが見つからなくて難儀している」
まるで長年連れ添った戦友でも失ったかのような、大袈裟な口ぶり。それでわざわざ単身王都からこんな場所まで来るだなんて、余程こだわりが強いのか、ただの道楽息子だ。
「それで街をぶらついていたら、面白い見せ物を見かけてな」
リュカ様は唇の端を上げた。セレスタンが首を傾けると同時に、リュカ様はこちらに向かって手招きをした。
「次女、お前だ。こっちに来い」
なんて失礼な男だろうか。いくら身分が高いとは言え、貴族の令嬢に対する態度とは到底言えない。名前すら呼ぼうとしないその態度に、腹の底がじわりと熱くなる。
「エステル……」
さすがにアルベリク様も面食らった様子で、私を心配そうに見た。
大丈夫。このくらいの屈辱は耐えられる。部屋中の視線が私に集まっているのを感じながら、私は表情筋だけを動かして、いつもの笑顔を貼り付けた。
「エステルと申しますわ、リュカ様。以後お見知り置きを」
得意の笑顔でリュカ様の前へと進み出た。彼はにやにやと試すような笑みを浮かべ、私を母の隣に座らせる。
「約束通り、改めて話を聞きに来てやった。あの物乞いがどうやって使用人に格上げされたのか、経緯を話せ」
まさか、本当にそれだけの理由で? いいえ、そんなはずはない。不審者として扱ったことを、咎めるつもりなのかもしれない。
私は両目に薄らと涙を浮かべ、心から反省している表情を作り上げた。可憐な令嬢が小さく肩を窄めている姿は、憐憫と庇護の情を誘われるはずだ。
「まずは、先日の非礼をお詫びさせていただきます……お気を悪くされたと――」
「いい、いい! そんな話をしに来たんじゃない。早く本題に入れ」
リュカ様は私の渾身の謝罪はどこ吹く風で、絵本の続きをせびる子供のようにわくわくしたような顔で話を促した。
横目でセレスタンと母を見ると、彼らも明らかに困惑した表情を浮かべている。
「何も面白い話ではございませんが……――」
仕方がないので、そう前置きをしてからロミの件の顛末を話して聞かせた。
「――で、その髪も物乞いが結ったわけか」
勇者の英雄譚を聞き終えたように興奮した顔をして、リュカ様は私の頭を指差した。今日の髪型は、編み込みをアレンジしたゆるふわなまとめ髪である。ロミの優秀なところは、お使いで街に出掛けた際に、すれ違う人々の髪型を見て勉強しているところだ。お陰で私は毎日違う髪型を楽しむことができている。
リュカ様は立ち上がり、私に一歩近づいて物珍しそうに私の頭を観察した。
「女の髪型の良し悪しはさっぱりだが、確かにこれは複雑だな。相当手先が器用なんだろう」
「はい。この屋敷の侍女の誰よりも」
「あんたはその物乞いが身に付けていた腕輪を見て、才能を見抜いたと?」
「見抜いたなどと、おこがましい気持ちはありませんわ。ただ応用できるかもしれないと思った次第にございます」
「ふぅん」
ソファに座り直し、リュカ様は顎を指先で摩りながら何かを思案する。
「俺は明日、鉱山へ出向く。エステル、お前が案内しろ」
「リュカ様、ご案内なら私が――」
「セレスタン殿は仕事があるだろう。俺の道楽に付き合わせるのは忍びない」
咄嗟に名乗り出たセレスタンだったが、あっさりと断られてしまった。
「明日は学校も休みだろ? 別に最高の鉄鉱石を見極めろなどと無茶は言わない。俺の話し相手になればいい」
私を同行させたい本当の目的がいまいち読めない。飄々とした態度を装っているが、そこいらの男と同じように私の可愛さに心を射抜かれただけだろうか。
「リュカ様にご指名いただけるなんて、光栄至極にございますわ。喜んでお供させていただきます」
暇つぶしに付き合わされるのは腹に据えかねるが、公爵家との縁は大切にしなければならない。大袈裟に嬉しそうな笑顔で誘いを受けると、背後からアルベリク様が駆け寄って来た。
「リュカ様。鉱山付近は警備されているものの、魔物が出て危険です。私の同行もお許しいただけないでしょうか」
「……誰かと思っていたら、アルベリクか」
アルベリク様は目を見開く。
「私をご存知で……?」
「一度、ミラーセン卿と王都に来たことがあっただろ。挨拶はできなかったが、その折に見かけた。剣の腕も確かだと聞いている」
「勿体無いお言葉にございます……!」
「この機に親睦を深めるのも悪くないな。同行を許そう」
リュカ様は、深々と頭を下げるアルベリク様の後ろで、心許ない表情のまま突っ立っているリアーナへと目を移した。
「お前も来るか?」
「私も……ご一緒してもよろしいのですか?」
「暇ならな」
「お心遣い感謝いたします。では、厚かましくもご同行させていただきます」




