38.最低の気分
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「馬鹿なことを言うんじゃないよ! こんな年寄りがピンクのドレスなんて着たら、いい笑い者になるだけじゃないか!」
「あら。ピンクは若い娘だけのお色だと思っていらっしゃるんですか? ピンクこそ、お年を召された方に似合うお色ですのに」
あれから街へと繰り出した私たちは、高級ブティックの中にいた。洗練されたデザインのドレスが揃う、以前から目をつけていた店だ。
「せいぜい爪や紅の差し色に使う程度だろう。それを全身ピンクだなんて……」
「このピンクは気品のあるお色ですから、決して若作りには見えません。肝心なのは布の面積とデザインですわ。これなら足元まで十分な長さもございますし、装飾も華美すぎません」
私の説明に、店の店主も大きく頷いた。
「奥様に、大変お似合になるかと存じます。一度、ご試着なさってはいかがでしょうか」
「結構で――」
「はい、試着いたします。ではこのドレスと、念のためあちらのドレスも。ああ、あれもいいわね……取り敢えず、全部で」
ブランシュ様が拒む前に、彼女と侍女たちを試着室へ押し込んだ。
しばらくは試着室の中からブランシュ様の騒ぐ声が聞こえていたが、やがて静かになり――ゆっくりと扉が開いた。
「まあぁ、奥様! 想像以上にお似合いでございますわ!」
私自身も、少し驚いていた。美しくなるだろうとは思っていたけれど、ここまでとは。
ブランシュ様は仏頂面のまま、侍女に支えられて試着室の大きな鏡の前に立っている。
「ブランシュ様。そろそろご感想をお聞かせ願えませんか?」
「……」
ブランシュ様はジロリと私を睨んだ。それから、試着用に選んだ別のピンクのドレスを、無言で指差した。
「……あっちも着てみるわ」
「はい! 是非ご試着くださいませ!」
――それからブランシュ様は五着のドレスを試着し、結局、一番最初に袖を通したドレスを購入した。
「このドレスを着たまま、次へ参りましょう」
「次? まだ私を連れ回すつもりかい」
そう言ったブランシュ様の声には、いつもの刺々しさはなかった。
私はブランシュ様の車椅子を押しながら、賑やかな商店街を進む。
「確か、このすぐ近くだったと思うんです。前から行ってみたいと思っていて、まだ行けていないお店なんですけれど……あ。あそこです」
私が指差した先にあったのは、いつだったか馬車の中から見かけたカフェだった。
「果実茶とケーキが美味しいお店だそうですよ。内装もオシャレだと聞いたので、屋敷の参考になればと思いまして」
「若い娘ばかりの店じゃないか。年寄りには場違い過ぎるよ」
「年齢制限などございませんわ。さあ、参りましょう」
華やかな娘たちの間を抜けて、私は堂々と店内へ足を踏み入れた。
なるほど、これは確かに素敵なお店だ。壁紙の色や床の材質、テーブルと椅子の組み合わせ、照明や観葉植物に至るまで、隅々まで洗練されている。
初めは車椅子の上で小さく縮こまっていたブランシュ様も、いつの間にか頭を上げ、店内を見渡していた。
店員に案内され、奥の広い席へと通される。すれ違いざま、他の席の女性客たちの視線がこちらへ向いた。その途端、ブランシュ様は再び俯いてしまう。
「ブランシュ様。よく耳を澄ませてくださいませ」
「何を……」
女性客たちの囁き声が、途切れ途切れに聞こえてくる。
「見て、すっごく素敵なお二人だわ。お祖母様とお孫さんかしら?」
「娘さんもお綺麗だけれど、マダムも素敵ねぇ!」
「私も、あんな風に歳を重ねたいわ」
耳に届いてくるのは、私とブランシュ様への賞賛の言葉ばかりだった。
「ね? どうぞ、背筋を伸ばしてくださいませ」
席に着くと、ブランシュ様は車椅子から椅子へと座り替えられた。
「お待たせいたしました」
可愛らしい制服の店員が、商品を運んでくる。
透明なガラスのティーポットに、イチゴやリンゴなどのドライフルーツが揺れる、見た目にも美しい果実茶。それと、宝石のように輝くモモとブドウのタルトである。
「ご覧ください、ブランシュ様。とっても綺麗ですわね」
「え、ええ……そうね……」
「お味もとても美味しいです! ブランシュ様も召し上がってください」
さすがは王都だ。これほどオシャレで味も良い店は、パシュテール領では見たことがない。きっとこんな店が、王都にはまだいくつもあるのだろう。これからの暮らしが少し楽しみになる――そんな事を考えていた私は、ふと、ブランシュ様の手が止まっていることに気付いた。
「ブランシュ様……? お気に召しませんでしたか?」
「……最低の気分だよ……」
ブランシュ様の口から漏れた言葉は、何故だかひどく寂しげだった。
「私はね、確かに政略結婚だった。でも初めての顔合わせの時、間違いなくお互いに惹かれ合ったんだ。主人は私の美しさに惚れ惚れとしていたし、私も彼の優しくも頼もしい人柄を尊敬していた……」
目線をタルトに落としたまま、ブランシュ様は自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「ただ、あの人はとても嫉妬深くてね。私を他の異性の目に晒すことを極端に嫌って、『頼むから、華美な格好はしてくれるな』と、私に懇願したんだよ」
「まさか……それで、美しくいることを諦められたんですか……?」
「諦めた……そうだねぇ、自分では諦めたつもりはなかったけれど、主人に愛想を尽かされるのが怖くて、気持ちに蓋をしてしまっていたんだろうね」
ブランシュ様は顔を上げ、窓ガラスに映る自分自身へと目を向けた。
「こんな格好をして……主人を裏切っているようで、ひどい罪悪感でいっぱいだ。けれど――……若い娘時分に戻ったようで、胸の奥底がわくわくしているんだよ」
「ブランシュ様……」
「若い頃の私は、着飾ることが好きだった。フリルのたくさん付いたピンクやブルーの綺麗な色を纏って、流行りのお店を巡るのが好きだった。あの化粧台も、結婚前に何日も掛けて店を回って、ようやく出会った私のお気に入りだったんだ……」
今にも泣き出しそうな顔で、ブランシュ様は自嘲するように笑う。
「本当に……いつからだろうね、こんな嫌な年寄りになったのは。納得して蓋を閉じたはずなのに、私が諦めたものを謳歌する貴女たちが憎くてたまらないんだ。貴女たちが憎い。そして何より――」
側に寄せられた車椅子を、その悲しい眼差しで見つめる。
「髪も肌も昔の輝きを失って、足腰まで弱ってしまった自分自身が、憎い」
「……お言葉ですが――ブランシュ様」
私は静かにフォークを置いた。
「どうしていつまでも、いじけていらっしゃるのですか? ブランシュ様にオシャレをするなとおっしゃった旦那様は、もう何年も前にお亡くなりになったのですよね? それに、旦那様が本当にブランシュ様を愛しておられたのなら、ブランシュ様の笑顔まで奪うことを善しとされるとは思えません」
「今更……」
「今、なんですよ。何かを始めるタイミングは、いつだって今しかありません。本当は綺麗で在りたいと思うなら、今から努力すれば良いだけのことです。失った時間は取り戻せませんが、これから積み重ねる時間は、まだいくらでも残っておりますわ」
「今……」
ブランシュ様は惚けたような顔で、じっと私を見つめた。
「ちなみに私は、リュカにどれだけオシャレをするなと言われても、絶対に聞き入れませんけれど。だって私は、この美貌こそが最大の武器ですもの」
「……ぷっ。あっはっはっ! なんて娘だい、あんたは!」
「な、何で笑うんですか!?」
「あんたの最大の武器が、その美貌だって? まったく……笑わせるんじゃないよ!」
ブランシュ様は涙を滲ませながら笑った。笑いながらフォークを手に取って、タルトを口へ運ぶ。
「あぁ……本当に美味しいね、エステルさん。今度、バシリオを誘ってここへ来てみようか」
その後も、ブランシュ様はずっと笑っていた――




