36.黒幕
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一体私の身に何が起きていたのか――その全貌が明らかとなったのは、それから二日後のことだった。
「あの朝、一番に目を覚ましたメリッサさんが、エステル様が何者かに連れ去られるところを窓から目撃したんです」
二日間寝込んだ私のベッドの端に腰掛けたロミが、あの日の出来事を教えてくれた。
「すぐにメリッサさんは他の人たちを起こして、既に騎士団の詰め所に出ていたリュカ様にも報せを走らせて、それはもう大騒ぎになりました」
「だけど……どうして私が、あの湖に連れて行かれたと分かったの?」
「ブランシュ様が、警備が手薄になっていたことに違和感を覚えて問い詰めたんです。すると一部の警備員への指示がおかしなことになっていて、裏口がガラ空きの状態になっていたことがわかりました。で、そのおかしな指示を伝えた侍女を特定しました」
やはり、犯人は私を良く思っていなかった侍女だったのか――そこまでの悪意を見抜けなかったことに肩を落とす私に、ロミは続けた。
「更に、彼女にその指示を伝えた人物がいて、そこからエステル様の行き先を突き止める事ができました」
「……黒幕は、侍女じゃなかったの?」
「はい。少しだけエステル様を困らせるだけだと言われたから協力したみたいで、ここまでの大事になるとは思っていなかったみたいです。とは言え、罰は免れませんけどね」
それでは一体、誰が指示をしたと言うのだろう。今の口ぶりからすると、ブランシュ様でもなさそうである。
私の脳裏に、アルベリク様と、婚約破棄をしたあの夜に激昂していたミラーセン侯爵の顔が浮かぶ。
「実行犯の男たち四人のうち、二人は死亡。一人は重傷。残りの一人から証言が取れまして、先ほど黒幕が判明いたしました」
男たちは三人だと思っていたけれど、私たちを運んだ馬車の御者も彼らの仲間だった。その男は馬車の近くに留まっていた為、魔物の襲撃からは難を逃れていた。
「エリック・バルトナー副団長です」
エリック・バルトナー……? つい先日、リュカと共に任命式で騎士団の副団長に昇進したお方ではないか。
思いもよらなかった名前に、私は言葉を失う。
「完全に、バルトナー卿の一方的な私怨です」
バルトナー卿は、元々は第一騎士団の隊長を務め、その副隊長がリュカだった。今はまだ、バルトナー卿の方がリュカよりも立場が上である。しかし近い将来、リュカは副団長を超えて総長の座に就くであろうと、まことしやかに囁かれていた。
卿は、それが大層面白くなかったそうだ。実際、リュカが結婚を決めたと知ると、彼に大量の仕事を押し付けるという地味な嫌がらせを始めた。私が王都に来てから、リュカがほとんど帰って来られなかったのは、引き継ぎと称して不要な会合の席へと引きずり回されていたからだ。
そして任命式の日、私の姿を直接目の当たりにしたバルトナー卿は、リュカに対する嫉妬のタガが外れた。
公爵家という身分に恵まれ、抜きん出た剣の才能があり、部下たちからの人望も厚い。その上、妻となる女があまりにも美しい――せめて一つくらいは奪ってやろうと画策した結果が、あの事件だった。
「エリック・バルトナーは、先ほど騎士団によって身柄を拘束されました」
なんて愚かな男だろうか。恐らく突発的な行動だったのだろう。杜撰な愚策によってあっさりと罪を暴かれ、ようやく手に入れた地位を失ってしまうとは。
「……リュカは? どうしてる?」
昨日までは時間の許す限りこの部屋で過ごしていたのに、今日はまだ一度も顔を見ていない。
「騎士団での取り調べを受けています。しばらくは騎士団内部も荒れるでしょうね」
「そうね……」
思えばリュカは、薄々バルトナー卿が関与していることに気付いていたのかもしれない。
目を閉じて静かに目を閉じた私の手を、ロミの小さな手がぎゅっと握った。
「……本当に、ご無事で良かったです」
「ありがとう」
瞼の裏に浮かんだのは、男たちの顔でも、無数の赤い双眸でもない。
闇夜を斬り裂く、蒼い炎だ。
あの時はあれほど怖かったのに、時間が経つにつれて胸に蘇るのは恐怖ではなく、あの炎が現れた時の安心感だった。
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「……エステル」
翌朝。三日ぶりに自室から出て食堂に足を踏み入れた私を、どこか元気のないリュカと、相変わらず冷たい目をしたブランシュ様が迎えた。
「まだ無理をしなくていい。落ち着くまでは部屋で休んで――」
「大丈夫。もう十分休んだわ」
私は二人の前に立ち、頭を下げる。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「違う! 俺のせいでエステルがあんな危険な目に遭ったんだ。謝るのは俺の方だ!」
「貴方のせいではないでしょう。それに私は、第一騎士隊長の妻となる身。誉れある身分であると同時に、敵も多いことを認識するべきだったわ」
「エステル……」
「貴方は、約束通り私を守ってくれたじゃない」
微笑む私に、リュカは大きな体を小さく窄めた。
「お前が攫われたと聞いて、生きた心地がしなかった……うちの警備員たちには厳しく指導をし直して、もう二度とお前に怖い思いはさせないと誓うよ」
「ええ、そうしてちょうだい」
「まったく……このしみったれた空気、本当に嫌になるね」
ブランシュ様のぼやきに、私は再び頭を下げた。
「ブランシュ様にはご助力をいただいたようで、ありがとうございました」
「別にあんたを助けたわけじゃない。ケーストリデン家に傷を付けるような事があってはならないからだよ」
ブランシュ様と顔を合わせるのは三日ぶりだが、憎まれ口は健在らしい。
「リュカ、今日は一日空いているんだろう? せっかくだから、どこかに出掛けようじゃないか。あんたが小さい頃、よく競馬場に行っただろう。あそこはどうだい?」
「いや……悪いけど、今日はエステルの側にいたい。遊び相手は他に探してくれ」
「この娘とは、これから嫌でも毎日顔を突き合わせるんだから、今日くらいいいじゃないか」
ああ、そうだ。あまりにも衝撃的な出来事のせいで頭の中から抜け落ちていたが、こちらの問題は何一つ解決していないのだった。
「ブランシュ様……私はまだ、一日リュカと過ごしたことがありません。あんな事があった後ですし、今日は私にお譲りいただけませんか?」
するとブランシュ様は、これ見よがしに驚いた顔を作ってみせた。
「一日一緒に過ごしたことがない!? なんて可哀想な……ああ、そうか。愛のない政略結婚だものねぇ。いいえ、違った。リュカには何のメリットもない、貴女一人だけの打算的な結婚だったかしら」
「おい、婆さん……!」
リュカが非難の声を上げてくれたが、ブランシュ様はニヤニヤと笑っているだけだ。
このクソババア……! 大体あの日だって、貴女のせいで私は一睡もせずに夜を明かしたのだ。もしかしたらいつも通りの睡眠が取れていたら、違和感にももっと早く気付けていたかもしれない。そうしたら、あんな事態にはならなかったのだ。
「そうおっしゃるブランシュ様は、どのようなご結婚をなさったんですの? 大昔のことですし、やはり当時主流だった政略結婚では?」
「……大昔とは言ってくれるじゃないか。政略結婚の何が悪いのさ」
思わず反撃してしまった私の言葉に、ブランシュ様の目元がぴくりと歪んだ。
もういい。もう知らない。あれだけ怖い思いをしたのだから、今はもう何も怖くない。
「政略結婚が悪いなんて、一言も申しておりませんわ。政略結婚には愛がないとおっしゃったのは、ブランシュ様ご自身ですけれど」
「私は愛されていたよ! だから私は――」
「エステル、婆さん。やめろって」
呆れた声でリュカが仲裁に入るが、私とブランシュ様の応酬は止まらない。
「そもそも、いくら敷地の中とは言え、あんな時間に外をうろついているからあんな事になるんだよ。あんたが責任ある行動をしていれば、みんなに迷惑はかからなかったんだ」
「散歩は毎朝の日課ですわ。安全なはずの庭を歩いて、何がいけないのか私には理解できかねます。ブランシュ様こそ、目障りな小娘の粗探しばかりせず、もっとご自身のことに目を向けてはいかがですか?」
「……どういう意味だい」
ブランシュ様の目つきが鋭くなる。けれどもう、私の口は止まらなかった。
「何故いつも、小豆や枯れ草のようなお色ばかりお召しになるのですか? 爪はあんなにも可愛らしいピンクを選ばれるのに。本当は、もっと明るいお色を纏いたいのではありませんか?」
「っ!」
ブランシュ様の頬が、みるみる赤く染まった。図星らしい。
「他人には自由奔放に振る舞われるのに、どうしてご自身に対しては自由にして差し上げないんですか?」
「うるさいねぇ……あぁ、うるさい、うるさい! 朝食くらい、静かに食べさせておくれ!」
ご自分から仕掛けた戦いを放り投げ、それきりブランシュ様は、食事が終わるまで一言も口をきかなかった。




